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ネイティブアメリカンの人生観に導かれて

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#スピリット

大いなる生命の輪を歩く

「The Great Hoop of Life」(大いなる生命の輪)という、 ネイティブアメリカンの教えをもとにした学びがある。 ポーラ・アンダーウッドさんによる本が出されている。 わたし自身、ご縁があって、 その学びを歩く機会を 3歩進んで2歩くらい止まりつつ、 カメの歩みのように継続している。 その中で。 人生や日々の歩みを 北東南西の輪に置きかえてみると、 北から歩みを始めて 東を通り 南を過ぎ 西にやってきて また北に戻る 方角それぞれ、その中間にも 人生で起

わたしが宇宙人を受け入れることができたわけ

以前の投稿で 夫を宇宙人かもしれないと思ってみたはなしを綴った。 まわりのひとたちから 予想以上の大反響と祝福のことばをもらい 正直、苦節10年への苦笑いと、 ずっとずっと支えてきてくれたみんなへの愛と思い、 感動が溢れた。 さて。 どうして どうやって わたしが”宇宙人”を受け入れることができたのか。 それは、 宇宙人側には、なんの動きも変化もきっかけも、原因もない。 すべては、 わたしの中で起こったことだった。 本当に、本当に、本当に、 この10年苦しかった。

ずっとつづく旅。うちがわを観ること。

いまから14年前。 ネイティブアメリカンの儀式、 ハンブレチア(ヴィジョンクエスト)に初めて参加した。 そしてその数ヶ月後に、 スピリットと、関わってくれたすべての人たちへの 感謝の儀式、感謝の会が行われた。 そのときのセレモニーマスター(メディスンマン)が スピリットのことばを伝えてくれた。 それを書き留めたメモが手元に残っていて、 いつも本棚の奥の方にしまいこまれている。 それをふと今朝、開いてみる気持ちになった。 一部抜粋。 大地にFlagをつけると雷が轟き、雨

Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

学び名のはなし

あるひとつのネイティブアメリカンの文化・叡知のなかで、 学び名、というものがある。 子どもが3つの冬を越したときに、 一族のなかでも、その子どもが学びとするひとびとがつける。 ひとりひとりはユニークだ。 ひとりひとりはユニークな学び方をもっている。 学び名をつけるだけのユニークさをその子どもがもったとき、 名づける。 わたしはずーっと前に、 日本で、学び名をつけてもらったことがある。 「ナマケモノの声をきく少女」 それが、そのときにもらった学び名。 経緯や込められたあれこ

ヴィジョンクエスト ②

初めてヴィジョンクエストに参加した翌年。 2度目を迎えた。 ネイティブアメリカンは4という巡りを大切にしている。 北東南西 冬春夏秋 ヴィジョンクエストも、4回、4年という巡りが一応ある。 4回参加しよう、と最初に決めたわけではなかったけれども、 ひとまず2年目もやってきた。 1年目があまりに強烈だったから、 熱が冷めないまま、1年経った、という方が近いかもしれない。 まずはベースキャンプとなる場所に到着して、車から降りたら、 上からどんぐりが一粒、あたまにばちんっと

ヴィジョンクエスト

まだ今より若かったとき。 まだ結婚していなくて、 まだ娘も授かっていなかったとき。 求めるがままに、 ネイティブアメリカンの儀式のひとつ、 自分のヴィジョン、生きる目的、ミッションを求める儀式、 ヴィジョンクエストに参加した。 日本の山奥で。 ラコタ語で「ハンブレチア」というその儀式は、 泣いて乞う、という意味がある。 泣くことは魂とつながること。 昼間から、自分とつながるワークをいろいろやって、 すでに意識が半分以上あっちな夢見なかんじで、 日が暮れて、 身を清め

「魂を語ることを怖るることなかれ」

“Don’t be afraid to talk about the spirit.” この言葉は、わたしの原点かもしれない。 「魂を語ることを怖るることなかれ」 初めて聞いたのは、たぶん、20年前。 ネイティブアメリカン(ラコタ族)の伝統儀式を執り行うことを許された数少ない日本人の一人、 松木正さんのワークショップに参加したときのこと。 神話の語りの冒頭だったと記憶している。  よく伸びる通った声で、抑揚をつけて繰り返された、その言葉。 “Don’t be afrai