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美しいものを見た。 外での仕事を終えて帰宅した夕方。 もうすぐ娘の帰ってくる時間。 ごはんの支度やあれやこれや気持ちは焦るものの、 優先順位がつけられない。 そうだ、お蚕さん、葉っぱまだあるかな? と思い、そばに寄って見てみると、 食べ尽くして、残っているのは乾燥した葉脈ばかり。 みんな元気かな〜と、なんとなく全体を見てみる。 すると、見慣れない様子が目に飛び込んできた。 ひとりのコ。 普通ならば、葉っぱをいっぱい食べて体の外見こそ白いけれども、 うっすら感じる中身
根拠のない自信 根拠のない安心感 それは、 なんだかわからないけれども、 わたしは大丈夫と思えること。 なにがあっても大丈夫と思えること。 「証拠」や「証明」「データ」や「数値」がないと納得してもらえない、 受け入れてもらえない、いまこの社会。 でも、 この「根拠のない」なんたるかが、 どれだけ自身を満たすものなのか、 これは感じているひとにしかわからない。 自分の外側に、 判断や評価を求めることなく、 わたしはわたしである、ということを わたしがなんの疑問もためらい
たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ
ほんの3ヶ月ほど前、桜が咲き始め、 自粛生活に入る直前に、 絶妙のタイミングで受けることができた 「アクセス・バーズ・プラクティショナー認定講座」。 ご縁がご縁につながり、素晴らしいタイミングのバトンがつながれて、 我が愛する「ふしぎな娘」と一緒に講座を受けることができた。 だから、わたしだけでなく、 娘も一緒に認定プラクティショナーとなった。 それからの日々が、思い返してみたら、結構すごかった。 自粛生活だったけれども、 わたしの内側は、すごい勢いで動いていた。 毎日
娘とふたり、散歩の道すがらに、娘が話したこと。 いつも「それ」は突然くる。 わたしが、話が通じない夫のことを、 「夫(パパ)の言いたいことがわからない、言いたいならば言葉にしないと伝わらない!」とグチをぽろんとこぼしたら、 「こころのとびら」の話がはじまった。 「こころのとびらを開いて聴かないと入ってこないしね」 「聴こうとしないと入ってこない」と。 「とびらを開けていないと、言葉も外に出ていかない」と。 へぇ~ 娘はそういうふうに会話やコミュニケーションを理解している