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それぞれのLIFE

それぞれのライフ
2度とはない 
今日もまたどこかで泣きと笑い 
生まれたからには笑ってたい
誰かの大事な人でありたい
人生それほどいいことはない
でも生きてる事は不幸ではない

ケツメイシの歌にこんな歌がある。
「それぞれのライフ」という曲で、あまり世には知られていないが、僕は大好きだ。

2018年11月26日の第1回北陸柔術選手権の帰りに、会場の富山から自宅がある新潟まで先生が車で送ってくれた。
車内で流れていた「ケツノポリス11」というアルバムの中に「はじまりの予感」という曲があり、運転しながらその曲を口ずさむ先生を見ていて、いつもの先生からは表れない違う一面を見た気がした。

以来、ケツメイシの曲を聴くようになり、一昨年は「時代は変わるぜよどんだけ〜」というライブにも参戦し、これを機にケツメバカの仲間入りができたと思っている。

ケツメイシと言えば世間一般には「さくら」や「友よ」が知られているが、他の曲を聴いてみると名曲がずらりとならんでいる。
ケツノポリス11には収録されている曲もそれほどヒットした曲はないが、ケツメイシは幅広い層の人にそれなりにウケているという印象がある。
その根拠として挙げたいのがLINEミュージックでケツメイシをフォローしている人の数が70万人もいるということである。
どのアーティストと比較すればいいかはわからないが、他のアーティストのフォロワーをみても70万という数はなかなか見当たらない。

ちょっと熱が入りすぎたかもしれない。


人の背景を知る•寄り添う


昨日は久々に色々なことがあって、色々な人のそれぞれのライフを感じた。
まぁら色々なことと言うものの、また人様のゴタゴタに巻き込まれただけなのだが。

「力のある人とぶつかる、それすなわち孤立すると言うこと」

この言葉は以前の投稿でも並べた気がするが、自分より大きなものに挑もうとする時には覚悟がいる。
その覚悟を決める時にこの言葉が浮かんでくるのだが、あまりにもストレートに僕の心に刺さる。

誰かのせいで誰かが傷つけられた時、僕は加害者を全力で排除し、完膚なきまでに叩き潰したくなる。
自分がやられても、なんだかんだそれに耐えるだけのメンタルは持っているから「やり返そう」とは思わないのだが、人がやられるのは見ていられない。

誰かに相談されたり、現場を目撃すると、一緒になって反撃を企てるのが僕の悪いところだが、ある時久々に会った叔父さんに言われたことがある。

「何かがあった時に、その人の背景を知ろうとしたり、その人に寄り添おうとは思わないのか」

叔父は北海道は旭川で高校の教員をしていて、野球部の顧問として甲子園を目指して休む間もなく働く人だが、色々な生徒を見てきた中で数年後の定年を控える今、自らもそんなことを考えて生徒と接しているという。
まさに、日々それぞれのライフを考える人だ。

そんな言葉を向けられた時に、ぐうの音も出なかったが自分にはそこまでできる気がしなかったが、いつしかそれが理想になった。
誰かを徹底的に潰して環境を整えるような引き算的な思考ではなく、自分こそがその誰かの最大の理解者になることがでかなるように努力する足し算思考を常に心がけることを忘れたくない。

それでも、立ち向かうことで孤独感を味わうことがあるかもしれないが、それならそれでいいさ。


ずっと止まない雨などはない


「ずっと止まない雨などはない」これも、それぞれのライフの中で出てくる歌詞です。

なんだかんだ言っても他者との摩擦は起きるもの。
でも、他者との摩擦を経て何か得るものがあるのだとすれば、摩擦だって怖くない。
そもそも、揉め事やゴタゴタは一過性のものに過ぎないのだろうと経験則的に思う。
よく行くバーのマスターが「結局なんとかなっちゃう」と言っていたが、何事もそんなものでしょう。
誰かに干されればまた違う誰かと近づける、何かがなくなれば変わりは出てくるし、負けた次の日にはまた挑戦が始まる。

物事は全て一過性なのだと思えば、生きづらい世の中に光が見えたりするもので、結局のところ考え方次第なのかもしれない。

残酷で受け入れたくないようなことかもしれないが、究極的には「一過性」これに尽きる。

もしかしたら、僕はまだ本当の苦労などしていないのかもしれない。






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