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東京は夜の7時

 カフェで近くに座った高校生二人組が、表参道の話をしていた。どうやら東京へ遊びに行く計画を立てているようだった。
「徒歩五十九分だって」
「え、どこから?」
「表参道から」
 表参道から徒歩五十九分先には、一体何があるのだろう。
 そもそも表参道とはどこにあるのだろう。銀座とか、その辺りだろうか? どこで得た知識なのかは自分でも定かじゃないが、何となく、カリスマ美容師が沢山いるところだったような気がする。けれど私は名探偵ではないので、一人で推理していても埒が明かない。潔く諦めて、Googleマップを開いてみる。
 なるほど、表参道とは原宿付近に位置するらしい。では、表参道駅から一体どこまで行けば徒歩五十九分を要するのか、調べてみることにする。
 Googleマップを親指と人差し指で拡大したり縮小したりしていると、真っ先に東京タワーが目に入った。表参道駅からは、最速ルートで徒歩五十三分。結構良い線をいっているのではないだろうか? つまり東京タワーから六分ほど離れており、尚且つ高校生が行きたそうなスポットを探せば良いというわけだ。
 あ、慶応義塾大学がある。ここは高校生が見学に行ってもおかしくないのではないだろうか。調べてみる。駄目だ。徒歩五十二分。というかこの周辺にはセブンイレブンとファミリーマートがずいぶん多い。勤務している店員さんが、自分の勤務先と間違えて近隣の店舗に入ってしまっても不思議じゃないほど近い距離にある。けれど閉店せずそこにあり続けているということは、それだけの需要があるのだろう。

 東京タワー方面には、高校生が好みそうなスポットが慶応義塾大学以外に見つけられなかった。
 逆方面を探索してみる。明治神宮を発見した。数年前、私はここに初詣に行ったはずだ。もし間違っていたら恥ずかしいが、とにかく原宿付近の神社であったことは間違いない。雑炊屋さんで雑炊を食べた記憶もある。
 探索を続ける。ジャンプショップは違う、早稲田大学も違う、新宿区立大久保公園は徒歩五十七分。ここから徒歩二分くらいの場所を探してみよう。
 見つけた。ドン・キホーテ新宿店だ。ドン・キホーテ新宿店は表参道駅からちょうど徒歩五十九分の位置にある。高校生が行きたがってもおかしくはない。ただ、地元にもあるだろうけれど。

 こうしてマップを眺めていると、ふと井の頭公園に視線が吸い寄せられた。行ってみたい場所はいくつもあるが、井の頭公園もそのうちの一つだった。西村亨先生の『自分以外全員他人』にも登場するし、又吉直樹先生の『火花』にも登場する。
 さて、井の頭公園とはどんな場所なのか、調べてみることにする。ホームページを開き、“アクセス”、“公園マップ”の順に閲覧する。そこで既視感が生じた。
 あれ? ひょっとすると、行ったこと、あるんじゃないか?
 メールアプリを立ち上げ、『井の頭公園』で過去のメールを検索をしてみる。
 すると、一通のメールが引っかかった。とあるバンドのメンバーからのメールだった。そこにはミュージックビデオ撮影の概要が記載されており、『井の頭公園』の文字もばっちり含まれていた。私はそこに行ったことが、やっぱりあるのだろうか? 疑問に思いながらメールを読んでみる。読み進めるうち、脳裏に撮影日の記憶がじわじわと蘇ってきた。
 井の頭自然文化園でモルモットと触れ合ったり、リスを眺めたり、吉祥寺駅近くの古書店で本を立ち読みしたり、カフェでコーヒーを飲む振りをしたり、ゲームセンターに行ったり、マンションの部屋でパスタを食べたりした。
 あまり大々的に打ち出されはしなかったものの、確かにそのミュージックビデオはインターネット上に公開された。今から五年以上も前の話だ。もう恥ずかしくて、あんなことは二度とできない。
 かつては終始緊張していたが、次に井の頭公園に行く際は、リラックスした状態で楽しみたい。スワンボートにも乗ってみたい。

 ピチカート・ファイヴの『東京は夜の7時』には、「早くあなたに逢いたい」というフレーズが八回も登場する。確かに分からなくもない。夜の一人歩きは危険だから、早々に誰かと合流した方が良い。
 私は井の頭公園で、誰に逢いたいのだろうか。誰とスワンボートに乗りたいのだろうか。
 少し考えてみると、数人の顔が浮かんでは消えた。それは友人だったり姉だったりしたのだが、結局は消えたまま、誰一人として戻っては来なかった。

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