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半ドンは焼きうどん

 先日、休日出勤した。と言っても半日だけだ。朝八時から十三時まで働いて、帰宅して昼食を食べたとき、『半ドン』を思い出した。
 小学一年か二年生まで、毎週だったか隔週だったか忘れてしまったけれど、土曜日に半日だけ授業があった。土曜日は給食がなかったから、帰宅して母が作ってくれる焼きうどんや焼きそば、チャーハンを食べるのが嬉しかった。それらメニューが朝食や夕食に出されることはなく、土曜日か日曜日の昼食のみ、と何故か限定されていた。
 そのことが身体に染みついているのか、半日だけ仕事をして帰れる日は胸が躍る。先日も焼きうどんやチャーハンを食べたくなったけれど、ちょうどそのタイミングで冷蔵庫から材料が湧いてくるなんて奇跡は起こらず、結局は適当なものを適当に食べた。
 一人暮らしをして初めて分かったのは、自分が買いに行かないと、食べるものがないということだ。時には母や職場から食糧を恵んでもらうこともあるが、基本的には、ない。きちんと切られた果物が夕食後に出てくるなんてことは、ない。お菓子も自分で買ったことなんて、実家暮らしの頃はなかった。戸棚を漁れば甘じょっぱいチョコクッキーや湿気たお煎餅をいつでも食べられたし、パスタやうどんといった乾麺も、常備されていた。野菜室を開ければ使いかけの野菜がいくつも出てきたから、中高生にもなれば母に頼らずとも炒めれば食べられた。
 母はよく私を許してくれたなあ、と今になって思う。中高生の頃の私の食欲ときたら、本当にひどいものだった。運動部に所属してもいないのに、夜中に起きてはゴソゴソと食糧を漁り、勝手に焼きそば三人前やパスタ二人前を作って食べていた。
 野菜もお肉も、数日間の献立を大体計画してから買うものなんじゃないかなと思うのだが、それを私という食欲モンスターに勝手に食べられて、嫌じゃなかったのだろうか? こいつは野球部でもないくせに、とか、家にお金を入れもしないくせに、とか、思わなかったのだろうか?
 そういえば、たまに実家でご飯を食べると、「おかわりあるからね」「もっと食べなよ」と言われる。その度に私は「私のこといくつだと思ってるの」と言うのだが、「親にとっては何歳になっても子どもは子どもなんだよ」と返される。違う。私が言いたいのは、続柄的な親と子のことじゃなく、年齢的な意味の大人と子のことなんだけど。そう思うのだが、だからといって更に反駁はしない。私も多分満更じゃないのだ。母に子ども扱いされることが。おかわりを許されることが。だからご飯をおかわりする。「自分でよそってくるよ」と言っても「それくらいやるよ」と、茶碗を持っていかれてしまう。更にはお茶まで淹れてくれる。
 母が淹れてくれたお茶を飲み、ふとカレンダーを見上げると、私のシフトが書いてあった。母の筆跡だった。実家住みの姉曰く、「毎日あんたのシフトの話してるよ。今日は遅番だ、今日は早番だ、とか」。
 母と私は人間としては相性が悪いはずなのに、そういう風に気にかけてもらっていることが分かると、やっぱり嬉しい。
 そして私がご飯をおかわりしたことで、炊飯器は空になる。母は「ご飯なんか冷凍庫にいくらでもあるんだから」と言って、自分は一口か二口ほどしか食べない。
 何なんだ一体、とも思う。
 それら一連のやり取りを見て、父も「いいから食べなよ」と私に食べさせようとする。自分のおつまみまで分け与えてくれる。
 父は結構無口だ。いつもテレビばかり見ている。母が一方的に喋り、父は相槌を打つ。姉が喋り、父は相槌を打つ。父は楽しいのだろうか? ずっと仕事をしてきて、定年退職をして、楽しい人生だったのだろうか? 「うちらって本当に社会不適合者だよね」と笑い合う私と姉を見て、どう思っているのだろうか? よく分からない。分からないけれど、なるだけ幸せに暮らしてほしいなと思う。

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