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性教育の重要性

 子育て中のとあるYouTuberが、性教育について語っていた。プライベートゾーン(=下着で隠れる部位)は誰にも見せない、触らせない、他者のものも触らない……それらを幼児期のうちから伝えておくのが重要、という話だった。
 近年では性教育に特化した絵本も出版されており、子どもにも分かりやすく伝えることができるのだという。親向けの育児書やYouTubeも、おそらく昔とは比べようもないほど充実しているのだろう。

 この話を聞き、私は自分自身の幼少期を思い出した。
 幼稚園児の頃、クラスメイトに「おまた見せて」と執拗に言ってくる子がいた。その子はトイレに行く度、女の子を見つけてはそのように迫っていた。
 当時の私は性教育のせの字も知らなかったし、性的な嫌悪感を覚えることもなかったけれど、彼女に近寄られる度、怯えてはいた。恥ずかしかったのか、はたまた恐ろしかったのかについては、よく分からない。けれど私は彼女に性器を絶対に見せたくなかった。
 結局言語化できず仕舞いではあったものの、彼女が強行突破することはなく、性器は見せずに済んだ。

 小学一年生の頃、教室の隅、掃除用具入れのすぐそばで、クラスメイトの性器を握ったことがある。教室に人が少なかったので、放課後か昼休みか中休みだったのかもしれない。
 本当は触りたくなかったし、見たくもなかった。けれど、笑顔で手を引っ張られ、下着の中に誘導されるのを、拒否することができなかった。私は目を瞑り、顔を背けた。彼は私に性器を握らせた。手や指とは明らかに異なる、妙な感触だった。数分くらいのごく短い時間だったと思うが、私はその間ずっと硬直していた。

 それらの出来事を思い出し、思わずのたうち回りたくなった。あのとき自分は何故はっきりNOと言えなかったのだろうか?
 それから疑問にも思う。性教育を受けていないにも関わらず、拒絶反応を覚えたのは何故だろう?
 多分あの子たちに性加害の意識はなかったはずだ。ちょっとした悪戯のつもりだったのだろう。私はその愉悦の面持ちに、後退りしたくなるような恐怖を覚えたのだろうか。人の嫌がる顔を見て喜ぶクラスメイトが、不快で理解できなかったのかもしれない。
 あの子たちについても考える。あの子たちはどうして性的な悪戯を思いつき、決行したのだろうか。どこでどのように覚えたのだろうか。約二十五年も前のことだから、ネット動画が発達していたわけでもない。謎だ。

 一つ言えるのは、できることなら私も幼少期に性教育を受けたかったということ。そうしていればひょっとしたら何が駄目だったのか、明確に理解できたかもしれない。“悪戯っ子”が生まれることもなかったかもしれない。
 そういえばあの頃はスカート捲りも横行していた。私には子どもがいないし、周囲の親からそういう話を耳にしたこともないけれど、今はそんな悪しき風習が絶滅していればいいなと思う。

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