見出し画像

再開

 人身事故で電車が遅延して、少し遅れてしまいそうなんですが、大丈夫ですか。
 そう問われ、承諾した。私は病院の受付で働いていた。あと半年で退職が決まっているので、もう過去形にしたっていいだろう。私は十年間、そこで働いていた。その先の進退は一切決まっておらず、順調に終活について考えている。

 駆け込んできたのは制服姿の若者で、息をひどく切らしていた。何も走ってこなくとも、律儀な人だな、礼儀正しい人だな、と私は密かに感心していた。
 診察を終えてもまだ学生の呼吸は整っていなかった。傍らに立っていた保護者はその姿を一瞥し、やや可笑しそうに、けれど愛おしそうに微笑んだ。そして「人身事故大変だったね」と優しく言った。学生は溜め息をつき、「終点でやれや」と忌々しげに呟いた。保護者はくすりと笑い、同意を示した。
 そこで、人身事故とはこういうことなのだなと改めて思い知った。遅延が発生したが為に電車に閉じ込められ、予定を狂わされた……多くの人にとって、そんな風に、迷惑な事象でしかないのかもしれない。
 私はそのことをしっかり理解しておかなければならないと感じた。と同時に、人身事故の要因となった人にも思いを馳せた。羨ましいとも、糸が切れちゃっただけなんじゃないかなとも思った。迷惑なんかかけたいわけじゃなかっただろうに、と。

 そういえば高校の頃、数学の先生が「知人が仕事による過労でホームから転落し、電車に撥ねられた」ということを、何故か授業中に言っていた。誰かが「それでどうなったんですか」と訊いたら先生は「死んだ」ときっぱり答えた。私は授業中はほとんど眠っていたのに、そのときに限って起きていた。「死んだ」と答えた先生の両目が見開かれていてぎょっとした。教室は静まり返った。皆、それぞれに思うところがあったのだろう。私は先生が何故そんな話を切り出したのだろうかと疑問に感じていた。「過労死」も「事故」も高校生の自分には縁遠く、想像がつかなかった。だからどう受け止めるべきか分からなかった。何の反応もできなかった。
 けれど先生は、生徒からの反応を欲しているわけではなさそうだった。先生は教室の無音など物ともせず、何事もなかったかのように授業を再開した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?