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読みたい≠書きたい

 書きたい小説の題材が膨らむにつれ、自分には書けっこないという思いが強まっていく。こんなことは一度や二度ではなく日常茶飯事だったが、最近は滅多に起こらなくなっていた。無意識のうちに、自分の手の届く範囲の題材でしか、小説を書かなくなったから。
 二年ほど前に、書きたいと思い始めた題材がある。高校生クイズだ。もしくは早押しクイズ。
 思いついた当初から「いつかは書きたいけれど、少なからず調査が必要だろうから、今は書けないな」と感じていた。だから敢えて遠ざけてきた。
 けれど最近になって、自分の中でその欲望が膨張してきたように思う。かつては不明瞭でモノクロだった風景が、解像度も明度も彩度も上がり、生活の中で不意に過ぎるようになった。何度も。

 主人公は高校一年生。入学したばかりの桜舞う校舎では、部活や同好会への勧誘が盛んに行われていた。
 主人公はどこにも属する気はなかったのだが、同じ高校に入学した幼馴染に強引に誘われたことで、クイズ研究同好会の門を叩くことに。
 決してクイズ強豪校ではない高校だったが、同好会会長である三年生の先輩は、本気で高校生クイズでの優勝を目指していた。会長は一年生の夏休みにクイズに開眼し、同好会を立ち上げた。それ以降、会員は一人も集まることなく、高校生クイズ優勝どころかエントリーすることも叶わなかった。
 一年生二人が入会したことで、同好会のメンバーは三人となった。会長にとっては最初で最後の挑戦となる。当初は乗り気じゃなかった主人公も、「楽しそう」という軽い気持ちしか持ち合わせていなかった幼馴染も、会長の熱意に引っ張られると同時にクイズの楽しさに夢中になり、猛特訓の日々を送る。三人はクイズ大会に片っ端からエントリーし、日夜学んでいく。好成績を残したり、他校にライバルを見つけたりする。
 そして高校生クイズ予選。三人は呆気なく敗退する。
 強豪校が優勝する様子をテレビで見届ける主人公と幼馴染。主人公はここでクイズをきっぱり辞めるべきなんじゃないかと悩むが、主人公がまだまだやる気でいるのと、会長が大学でクイズ研究部に入る気でいるのを知るや、もうちょっとやってみよう、と思い直す。
 主人公たちが二年生になると、同好会のメンバーが増え、クイズ研究部は晴れてクイズ研究部へと昇格。名ばかりの顧問とは別に、新たにコーチ(クイズ強者)がつくと、部員はめきめき力をつけていく。
 そして高校生クイズ。地区大会は突破したものの、全国大会で一回戦敗退。後輩に「先輩が弱いせいですよ」とか言われたりして、部内に亀裂が走る。
 それからは個々の力を上げることに注力し、クイズ大会に出場するのだが、団体戦ではことごとく敗れていく。そこで立ち上がる主人公。皆で力を合わせて頑張ろうよ、的なことを言う。もしくは言わない。急に合宿を開催したりして、メンバーの絆を深めようとする。幼馴染もそれに便乗する。
 何やかんやでメンバーの絆が深まり、何やかんやで主人公たちは三年生に進級。受験も迫る中、高校生クイズに注力。優勝!

 ……というのを、読みたい。
 三浦しをん先生か、恩田陸先生の文章で読みたい。もしくは堀越耕平先生の漫画で読みたい。ゆくゆくはProduction I.G辺りにアニメ化してもらいたい。音楽は林ゆうきさん。
 考えれば考えるほど、自分の中の欲求が「書きたい」ではなく「読みたい」「観たい」であると気づかされる。
 この題材とストーリーであれば、エンタメかラノベが相応しいだろうから、やっぱり自分には書けっこないのだ。それとも、努力すれば書けるのだろうか?
 今自分は純文学系の新人賞にしか応募していなくて、だから純文学系の受賞作を結構積極的に読んでいるし、純文学系の作家さんの小説ばかり読んでいる。
 けれど元々はハリー・ポッターや青い鳥文庫といった、児童文学を読んで育った。ファンタジーやミステリーに夢中になった。純文学を読み始めたのはせいぜい高校生になってからだ。普通にエンタメ歴の方が長い。ラノベは七冊くらいしか読んだことがない。

 エンタメは、文章を書くのではなく、物語を書く、というイメージ。
 もちろん書き方次第で純文学に転がすこともできなくはないだろうが、上述のストーリーであれば、三人称の群像劇で尚且つさっぱりした地文が似合うと思う。
 そもそも致命的なのが、高校生の青春ストーリーは今の自分には書けない、ということ。あと十歳若かったなら、と思わずにはいられない。正直、適当なあらすじを書いただけでもエネルギーを消費してしまった。夕食に食べたたぬきうどんと納豆の細巻きとサラダが、全て消化された気分だ。

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