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本当は歌って踊りたかった

 およそ一年ぶりにカラオケに行った。
「お時間はどうなさいますか?」
 二時間にするか三時間にするか迷った末に、間を取って「二時間半でお願いします」と伝えた。
 十代の頃は一人で歌うときも必ずフリータイムを選んだし、高校生の頃なんかは平気で八時間歌ったこともあった。
 けれど今回は、三曲歌ったところで疲れてしまった。自分の感覚では十代の頃と変わらないつもりだったのだが、思うように声が出なかった。
 自分自身に失望しながらたこ焼きを注文し、TWICEの映像を流しながら休憩することにした。アツアツのたこ焼きで火傷したり、TWICEに見とれたりしたのち、また歌い始めた。
 アイドルソングを歌いながら、やっぱり本当は歌って踊りたかったなあ、と思ってしまった。

 モーニング娘。に加入する夢を諦めたのは小学一年生の頃。ちゃんと諦めたつもりだったのだが、高校生の頃にモーニング娘。やスマイレージ(現アンジュルム)のオーディションが開催されたとき、応募してみたいと思った。応募できる人が羨ましかった。
 未成年のうちは、少なくとも自立していないうちは、オーディションに応募することさえ親の理解や協力が必須で、経済的にもある程度の余裕がなければいけない。そうでなければオーディション会場に辿り着けさえしないのだ。
 私は東京に行けるわけがない、住めるわけがない。そう確信してしまった。
 私はオーディションに参加していないにも関わらず、参加者が集う掲示板にアクセスし、夢と希望を抱く少女たちの会話を眺めては羨むという自傷的行為に浸っていた。
 そんな中、街でご当地アイドルのメンバー募集のチラシを目にした。思わず足を止め、凝視してしまった。そこには週に何度かレッスンに通う必要がある、という旨が書かれており、やっぱり私は諦めることにした。活動拠点が地元とはいえ、レッスンに参加するとなれば学校やバイトに支障が出てしまう可能性が大いにある。そうなると駄目だった。親の了承を得られるわけがないし、自信もなかった。そもそも私はハロプロ以外のアイドルを知らなかった。歌もダンスも未経験で、習い事はそろばんしかやったことがなく、見た目も良くなかった。その上、協調性もなかった。

 元モーニング娘。の田中れいなさんがバンドを結成すると知ったのは、確か社会人一年目の頃だったと思う。ツインボーカルのバンドを結成するということで、田中さんの相方となるボーカリストと、ギタリストを募集していた。
 私は田中さんと一緒に歌いたいと率直に思った。当時未成年だったけれど、社会人だったから、万が一親に反対されても大丈夫だった。何より最初で最後のチャンスだと考えた。
 そして誰にも内緒でひっそりとオーディションに応募し、書類選考で落選した。バンドメンバーが発表されたとき、自分が落ちたのは至極当然だと納得した。メンバーの中にハロプロオタクは一人もいなかったし、皆が実力者で、皆が美人だった。

 その数年後にミスiDのオーディションに応募した際は、決して歌って踊りたいなどとは思っていなかった。まして芸能人になりたいとも思わなかった。
 応援していただけるのは心底ありがたかったけれど、何も成し遂げることができない自分に落胆した。今も落胆し続けている。
 三十歳になってもまだ、歌って踊りたかったなあ、と悔やんでいる辺りにも、色々な理由をつけて挑戦しなかったことにも、落胆している。
 今回、カラオケで歌いながら、全然上手くはいかなかったものの、歌うことがとても好きだと感じた。どのアーティストよりどのバンドより、アイドルソングが一番歌いやすかったし楽しかった。身体が意図せず勝手に動いた。ただしカラオケルームのカメラで店員さんに見られているかもしれないと思うと、がっつりとダンスはできなかった。代わりに心の中では伸び伸びと踊った。
 よく、「何か始めるのに遅すぎることはない」という格言を聞く。成功者たちがよく口にする言葉だ。しかし歌って踊ることに関しては、それは該当しない。勉強や楽器や芸術ならば、三十歳の今から始めても楽しいだろう。しかし、ステージで、志を共にするメンバーと共に、懸命に歌って踊る、を目指すのは、もう遅い。
「生まれ変わったら何になりたい?」という質問に、これまでは「猫」と簡潔に答えてきたが、今ならば、「歌って踊る人」と答えるだろう。それがアイドルなのか、はたまたダンスボーカルグループのメンバーなのかは分からない。アイドルとは状態を指す語であり、ファンがそう見做すことで初めてアイドルと化すと思うから。そうでなければ職業としては歌手兼ダンサーもしくはパフォーマーと言うべきだろう。
 来世の姿にディテールを詰められるのであれば、やっぱりモーニング娘。のメンバーになりたい。本当になりたかった。

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