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【掌編】冬が良かった

 死ぬなら絶対に冬が良かった。安定剤と睡眠導入剤を酒で流し込み、路傍に横たわる。それでゴールできるはずだと思った。
 計画遂行のため、複数の病院を梯子して薬を手に入れた。中には「次は必ずお薬手帳を持ってきてくださいね」と厳しい目を向けてくる医師もいた。そうじゃないと処方できないとのことだった。この手の薬は「悪用」されやすいから。本当はその辺りの現実も医療制度も把握済みだったが、黙って頷くのみに留めておいた。俺は優良な患者だった。決して「悪用」なんかしない。
 決行日は三十歳の誕生日と決めていた。十二月三十一日。迷惑な日に生まれた俺は、宿命通り、迷惑をかけ続けてきた。粗野で素行不良、ルールは守れず、集団生活にはもちろん馴染めず、かといって特別学級に入るほどのレベルでもないと判断されたため、三十人弱の箱で騙し欺し過ごすことになった。
 初めて希死念慮を覚えたのは小二の頃で、それが明瞭な輪郭を持って俺の口から漏れ出たのは小四の頃だ。だってこれは俺の意思じゃない。俺は何も、皆に迷惑をかけたくて乱しているわけじゃない。乱れてしまうのだ。自分がとんでもない欠陥生物のように思え、毎日死にたくて仕方なかった。どのように死ぬかということばかりに頭を使ってきた。
 中学を卒業し、高校を一年の途中で中退した後は、外で働いた。叔父の職場だった。皆が良くしてくれたおかげで希死念慮は薄まり、結果的に無駄に生き延びてしまった。同じような境遇で入ってきた同僚たちが続々と結婚し子どもを作り家を建てていくのを別次元の出来事みたいに見送ってきたが、何かもう、人生ってこれの繰り返しなんだろうなと思ったら、もういいや、十分だ、という結論が落ちてきた。
 三十歳を迎えた。
 みなと川まで車を走らせたのは、薬と酒で眠れなかったら最悪飛び込めばいいやと思ったから。でもそれが間違いだった。川のそばの駐車場には幼馴染みの陽平がいた。ごくわずかな街灯の下、ピンクの車が馬鹿みたいに光っていたからすぐに分かった。光源は他にもあった。火だ。陽平は駐車場で焚き火をしていた。
 馬鹿みたいな赤い車を走らせていた俺に、陽平はすぐに気づいた。顔を上げ、手を振る。俺は後に退けなくなり、駐車場でブレーキを踏んだ。
「何してんの?」
「光こそ何しに来たの?」
 陽平は質問に質問で返してきた。酒臭い。あぐらをかいた尻にはクッションが敷かれていて、その周辺には氷結の缶とかつまみの空袋とかが乱雑に転がっていた。
「死にに来た」
「ふうん」
 陽平はさきイカをくちゃくちゃやりながら、俺に氷結とポテチを勧めてきた。車からクッションとブランケットまで引っ張り出してきて、俺の足下に置いた。
「酒なら俺も持ってきてるから、いい」
「ふうん」
「で、陽平は何してんの」
「呑んでる。よくやんだよ。いいべ?」
 何がいいのか分からない。
「何で死にに来たの? こんなクソ寒い日に」
「寒いからいいんだろ」
「えー、何か変態っぽい」
 陽平とは、幼稚園から高校までずっと一緒だった。俺とは違い、陽平は真面目に高校を卒業した。その後はちゃんとした大学に行った。あの底辺高校ではかなり珍しかった。当然、ちゃんとした大学に行ける奴なんて学年で一人だけだった。そんな奴が何故あんな高校に通っていたのか、分からない。普通に話している分には知性の欠片も感じられないから、何か、そういうことなのかもしれない。テストで正しい答えを書くことにのみ特化してるとか、そういう才能だけ備わっているのかもしれない。そうに違いない。
「まあ確かに、三十まで生きれば先はある程度見えちゃうよね」
 陽平はけらけら笑った。
「うん。陽平は何でこっち戻ってきたの? 東京、嫌になった?」
「まあね。東京じゃこんなことできねーし」
「そりゃそうだべ」
「蛍もいねえしさ」
「そりゃそうだべ」
 薬をアルミシートからぷちぷち解放し、酒で流し込んでいく。十錠くらい飲んだところで早くもぐらついてきた。普通にプラセボだろうが、それでも良かった。じゃがりこ、睡眠剤、酒、安定剤、じゃがりこ、さきイカ、睡眠剤、酒。そんな感じでバランス良く摂取する。焚き火があるとはいえ凍てつくような外気は誤魔化せず、次第に指先の感覚が落ちていく。
「そんなんじゃ死ねないよ」
「うっせ。俺は凍死すんだよ」
「凍死もできないよ。火ぃあるし」
「火ぃ消せ」
「消したらさみーじゃん」
「こっから飛び降れば死ねるべ」
「いや、無理だね。俺もやったことあるけど、どこからともなく助けが来ちゃうんだよ」
「は?」
 陽平は俺に顔を近づけ、ぐっと声を潜めた。
「天女が来るんだよ」
 やっぱこいつ本当は馬鹿なんだろうな。テストに正解を書く能力が傑出しているだけなんだ。不憫。
「アル中って悲惨なんだな」
 俺はため息をついた。陽平も大概臭いが、俺も大分回ってきた。空のアルミシートを見るに、もう百錠は飲んだだろう。水面はここから五メートルほど下にある。飛び降りれば溺死か凍死できる。こんなにぐらついてるんだから、苦痛もそんなにないはずだ。
「悲惨だよ。知ってる? 木村舞の父親なんて、酒飲んで風呂入って死んだんだってさ」
「知ってる。木村舞の弟、俺と同じ現場だから」
「ええ、まじか。葬式も行った?」
「行った。木村舞の弟と父親が大喧嘩して、父親が自棄酒して、風呂入って、全然出てこないから木村舞が見に行って、そしたら死んでたんだって。木村舞も弟も泣いてた」
「そりゃ泣くべな。馬鹿みてえだな」
「馬鹿だよ。木村舞の弟、しばらく仕事出てこなかったよ」
「そりゃそうだろうな」
 俺は燃えさかる焚き火をじっと見つめた。焚き火専用のアイテムなのか、火は中華鍋みたいな黒いボウルの中に収まっている。俺は中央に潜んでいるであろう火種を探し出そうと、身を乗り出した。
「危ねーよ」
 陽平に止められた。
「今から死のうとしてんのに危ねーもクソもねえべ」
「でもさ、今日紅白やるじゃん。見ねえの?」
「興味ねえよ。何言ってんの」
「アイドルいっぱい出るよ」
「興味ねえよ。もう帰れば?」
「帰んないよ。帰っても腫れ物だしさ、俺。光も知ってっぺ、俺が色々近所で噂されてること」
「うん、でもガセだべ?」
「うん。本当は東京が合わなかったってだけ」
「じゃあいいじゃん」
 大きな欠伸が出た。瞼がとてつもなく重たい。ぷちぷち。薬をシートから押し出し、ある程度まとめて握り、口に放り込む。酒と共に飲む。頭が溶ける。着実に死に近づいている。
「俺、三回こっから飛び降りたんだけどさ、三回とも助けられちゃったんだよ」
 陽平が新しい酒を開けた。
「天女に?」
「そ、天女に。髪が腰くらいまであるんだよ」
「妖怪だべ」
「いや、妖怪ならもっとグロい顔じゃなきゃおかしいべ」
 知らねえよ。
「んじゃあ幽霊」
「いや、幽霊は半透明だからさ」
 恥ずかしくねえのかな、こいつ。三十にもなってこんなことをこんな真面目な顔で言ってさ。ああ、恥ずかしいから死のうとしてんのか。やっぱり不憫。

 了

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