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生きる理由を沢山作りたい

 死にたい、と日に何度も思う。
 それは朝起きてすぐだったり仕事中だったりとまちまちだが、夜眠る前の時間に起こることが最も多く、願望の圧力としても最も激しい。潜り込んだばかりのベッドを降りて死に場所を探し求めに行きたくなるし、自分で自分の首を絞めてみたりもする。
 この希死念慮は一体どこから来るのだろう。雨風を凌げる家があり、飢えるどころか暴食できる程度の金銭があり、大病を患っているわけでもないのに。私はとても恵まれた状況下にいるのに。どうしてこんなに死にたくなるんだろう。
 本当は、他の感情を「死にたい」に置き換えているだけなんじゃないか? 退職したい、自由になりたい、楽になりたい……そういう怠惰で傲慢な欲望が保身のために変換されて、自己憐憫に浸っているだけなんじゃないか?
 そんなことを考えて、ますます自分にうんざりした。
 素晴らしい才能を持った、沢山の人に愛された、素敵で立派な人の訃報を知る度、自分の命をあげたかったと心底思う。何故あの人が死ななければならなかったんだろう。私が死ぬことであの人が生き返って幸福な日々を過ごせることが約束されるのであれば、喜んで消えるのに。
 こんなに毎日死にたいのに、いつまでも死ねないでいる理由はいくつもある。今死んだら図書館に返却すべき本を返却できなくなってしまうから。サブスクも解約していないし、何より職場にも管理会社にも迷惑をかけてしまうから。
 生きたい理由もある。
 暖かくなったら会いましょうと言い合った、大好きな友人がいる。けれど私が死んだとして、彼女に私の死が伝わることはおそらくない。
 インターネット上にも、私の死が伝わることはない。ただぷつりと更新が途絶えるだけだ。そうなった場合、ひょっとすると心配してくれる人がいるかもしれない。余計な心配はかけたくない、と思う。
 この世への未練なら、まだまだある。ヒロアカがまだ完結していないし、太宰治文学サロンに行けていないし、コッペ田島にも行けていない。夏になったら食べようと決めている梨味のガリガリ君にも、今は二月なので当然ありつけていない。岡山県にも行ってみたい。小川洋子さんが住んでいらっしゃるから、どんな地なのか興味があるのだ。
 それから、三月になったら予約していたフィギュアが届くのだった。本やホテルや飛行機もいくつか予約してある。ハロプロのコンサートにも長らく行っていないから、行きたい。tacicaやハルカトミユキのライブに行きたい。入江明日香さんの個展に行きたい。宇宙兄弟は完結したら読もうと思っているから、それも待ちたい。積読も、呆れるくらい沢山ある。
 約束を交わした友人以外にも、会いたい人が何人かいる。けれど冷静に考えてみると、いざ会ったところで楽しんでもらえる自信が全くない。職場と家族以外に接点がない日々を送っているため、会話スキルが皆無なのだ。口を開けば吃りまくるし、目は泳ぎまくる。どうしよう、死にたい。
 危ない。生きたい理由を考えようとしていたんだった。
 そういえば、元カントリー・ガールズの小関舞ちゃんが、四月にソロデビューを果たす。これは必ず見届けたい。
 生きる理由からは外れるけれど、どうせ死ぬならタトゥーを全身に入れまくって、覚醒剤を体験して、胸と鼻と顎にシリコンを入れてみたい。とはいえ本気でやろうと思っているわけじゃないから、きっと永遠にできない。だからできなくても別にいい。
 やっぱり一番は、好きな人たちに会いたい。会って、元気であることを生で確認したい。
 孤独が最大の敵だと思う。けれどその孤独を生み出しているのは、他でもない自分自身だ。これじゃ駄目だ。もっと頑張りたい。楽しく生きたい。あわよくば、自分も誰かにとっての生きる理由になりたい。

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