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LINEの友だち15人

 LINEの友だちが2人増え、15人になった。けれどその2人は職場の人なので、厳密に言うと友達ではない。
 友だちリストの内訳は、以下の通りだ。

 ・親族:4人(内、連絡を取り合うのは姉のみ)
 ・同僚:6人
 ・美容師:1人(もう通うのをやめたため、ずっと連絡をしていない)
 ・ネット上の友達:1人(10年以上前にSNSで出会ったが、一度も現実で会ったことがない。何年も連絡をしていない)
 ・友達:3人(会いたい)

 こんなだから、真夜中に悩みを打ち明け合ったり、真夜中に取り留めのないことを長電話したりする、という話は、別の星の事象だと思っている。その星の親密な人間同士は、主に真夜中に交流を深め合っている。私はその時間帯は眠りこけている。こちらとあちらとでは、どうやら時差があるようだ。
 私は寂しい。
 にも関わらず人間への求愛行動に踏み切れず、いつも地団駄を踏み、指を咥え、ひとりだってへっちゃらなんです、という顔で生きている。

 先日、美容室に行ったとき、美容師さんが「私は子どもを産んでいないから永遠に半人前なんです」と言っていた。私たちには、産めない・産まない同士という共通点があった。だからそういう話をよくしていた。
 私は「0.8人前くらいにはなりたいです」と言った。美容師さんは少し笑っただけで、同調はしなかった。
 ひょっとすると、私が思うよりも、「産めない」「産まない」の間に横たわる溝は深いのかもしれない。確かに私は肉体的には産むことができる、その可能性がある。それでも、私は産まないし、どちらかといえば、産めない、と言う方が正しい気がする。「子どもはいつまで経ったってできっこないよ。天罰だからさ」と『こころ』の先生も言っていたように、できっこないのだ。

 猛烈な寂しさを感じ、ぬいぐるみをかき集めて抱きしめた。やがてただのフェルトに熱が生じ、骨と血肉が形成され、柔らかな皮膚にくるまれた。私はひとりの赤ん坊を抱いていた。
 産めはしないしLINEの友だちが増えることもないけれど、夢見ることくらいは許されたい。
 私は掃除も洗濯も料理も完璧にこなし、仕事も失敗することなく達成し、帰宅後は我が子に母乳を与え、おむつを替え、絵本を読み聞かせる。
 夜泣きは赤ん坊にとって重要な仕事なので、泣き声で目が覚める度、私は喜んで我が子をあやす。泣き声の音色で必要なものを聞き分け、適宜ミルクを作ったり撫で擦ったり、小声で子守唄を歌ったりする。そしてまた仕事に出かける。
 日中は、赤ん坊はいない。ベビーシッターさんに預けられるほど私の経済力は高くないし、親にも頼れないし、保育園はまだ少し早いだろうから。日中、赤ん坊の肌はフェルトに、母乳とミルクで満たされた内臓は綿に戻る。
 かつて我が子だった赤ん坊が息をしていない様子を思い浮かべながら、仕事に打ち込む振りをする。「お大事にどうぞ」と言いながら、目の前の患者さんが抱いている赤ん坊をじっと見つめる。赤ん坊は曇りなき眼でこちらを見ている。それがどうにも居心地が悪く、罪悪感を覚え、目を逸らす。

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