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移ろわないこと

 このところ毎日そうめんを食べている。偏食を野菜ジュースとフルーツジュースで帳消しにしようと試みているが、栄養学的にはどうなのだろうか。
 運動不足の極みでもあるので、今日は踏み台昇降をした。昇降しながらYouTubeを見た。またダラダラと動画を見てしまったな、と後悔の念に苛まれたけれど、ダラダラ見るのが良くないのであって、きちんと注視すればどの動画も最高の教材になり得る。特に、何てことのない雑談動画が良い。現代に生きる様々な年代の人間の語調を知ることができる。YouTubeは、多種多様な生物の生態を無料で見ることができるという素晴らしい利点がある。そんなことに今更気がついた。
 視聴動画が偏っているのか、年代問わず文節ごとに「さあ」と入れる人が多い。
「あのさあ、服さあ、濡れちゃうからさあ」……この例はZOZOTOWNのCMの台詞を改変したものだが、こういう文節の区切り方は、古文の授業を連想し、舌に苦味が広がる。授業自体はさっぱり覚えていないものの、古文への強烈な苦手意識だけは身に染みついている。まあ、それは今はいい。
 複数人で出ている動画は会話の勉強になる。実生活に活かすも良し、創作に活かすも良し。特に自分とは異なる方言を使う人たちの会話は良い。『○○弁講座』を見るよりも、○○弁話者たちの自然な会話を見る方が、多分良い。

 そういえばYouTubeだけでなく、私は外に出ると、よく耳をそばだてて他者の会話を聞いている。高校生の語調や雰囲気が、自分が高校生だった頃とさほど変わっておらず、そのことに少し驚く。この十五年ほどの間でSNSが発達し、流行りの言葉も確実に移ろいだけれど、会話を聞く限り、変化はほんのひとさじほどしかない。
 ただ、遠目からでも分かるような、明らかなギャルは減った。日焼けサロンに足繁く通ったり、強めのつけまつ毛をつけたり、眉毛を細くしたり、そういうギャルが。単にギャルの定義が変化しただけなのだろうか。
 私より十五歳上の人が高校生だった頃は、一体どんな風に会話していたのだろう。携帯電話や音楽プレイヤーといった電子機器の違いはあれど、本質的な部分はやっぱり変わらないんじゃないかな、と思う。大体皆、好きなものを好きで、嫌いなものは嫌いで、昼食後の体育で脇腹を痛めて、そんなことに愚痴を言ったりして、文化祭に打ち込む人とそうじゃない人がいて、皆卒業していったんじゃないかなと思う。

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