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自己紹介

 小倉青(オグラアオ)
 1993年11月19日生まれ。蠍座。B型。


 幼稚園の頃にお遊戯会でLOVEマシーンを踊ったことを機にモーニング娘。に加入したいと夢見るも、翌年「モーニング娘。には可愛い子しか入れないんじゃないか?」と気づき、諦める。
 小学校では図書室に入り浸っていた。
 低学年〜中学年頃に好きだったのは『こまったさん』『わかったさん』『パスワード』『夢水清志郎』シリーズ。周囲の皆も読んでいたからそれらの話ばかりしていた。
 中学年以降は『ハリー・ポッター』に心を奪われ、新刊の発売日が決まると近所の書店で予約し、毎日期待に胸を膨らませていた。
 映画『スパイキッズ』も死ぬほど観ては台詞の物真似を繰り返した。魔法使いになりたいと思ったり、スパイになりたいと思ったりと、忙しかった。
 高学年の頃、図書室の大人向け(保護者向け)コーナーに、金原ひとみ先生の『蛇にピアス』が登場した。何気なくページを捲った瞬間、度肝を抜かれた。結局のところ当時は通読できなかったが、これまでに触れたことのなかった知らない世界が広がっていることに衝撃を受け、いつまでもドキドキしていた。
 漫画はりぼんやちゃおを読んでいた。りぼんは槙ようこ先生や持田あき先生の作品なら何でも好きだった。ちゃおはあらいきよこ先生の『ビューティー・ポップ』が好きで、何度も繰り返し読んだ。

 中学1年生の頃、理由は失念してしまったけれど初めて「死にたい」と感じ、リストカットをした。中高生の頃はリストカットしている人が周囲にも結構いた。皆それぞれに死にたがっていたけれど、誰も死ななかったから良かった。
 中学2年生で『銀魂』を知り、虜になった。アニメや声優、二次創作にハマり、気が狂う。反抗期と思春期がミックスされたひどすぎる時期で、「自分の人生は絶望しかない」というような趣旨のポエムをキャンパスノートにデスノートよろしく書き連ねていた。14冊ほど書き終えた後、我に返って全て捨てた。
 ブログを始めたのはこの頃だった。
 最初はただの日常を書いていただけだったのが、サイトを立ち上げたり絵や小説を投稿したりするようになった。おかげで同人マナーやビジネスメールマナー、htmlを学ぶことができた。

 ハロプロに再燃したのは高校生の頃。モーニング娘。の高橋愛ちゃんが卒業するというニュースを受け、数年振りにハロプロに注目するようになった。モーニング娘。に9期メンバーとして加入した鈴木香音ちゃんを好きになり、℃-uteやBerryz工房、スマイレージも好きになった。声優(鈴村健一さん、小野大輔さん、平野綾さん)のCDや、銀魂のグッズも買い集めていたから、アルバイト代はいつもあっという間に消えてしまった。
 2年生か3年生の頃、夏目漱石の『こころ』を題材に読書感想文を書いたら、佳作に選ばれた。入選だったかもしれない。いずれにせよ、現代文の先生に文章を褒めて頂けたのは今でも心に残っている。そのとき、このまま書き続けても良いのかもしれない、と思った。

 高校卒業後はフリーターになるつもりでいたから在学中は車の免許も取らず、就職活動もしなかった。けれど担任の先生から「とりあえず就職しておけ」と工場の求人を差し出され、面接に行くことに。当時は社会というものを完全に舐めていたため、担任から「化粧はして行くなよ」念押しされていたにも関わらず、化粧をして行った。辛うじてピアスは外したが、髪は明るいままだった。けれどすぐに採用が決まったので、良かった。
 入社すると、同期が7人もいて驚いた。同じ高校出身の子が複数いたことにも驚いた。手取りが10〜13万円ほどだったというのもあり、実家を離れるという選択肢はなかった。
 最初の数ヶ月は自転車で通勤していたが、雨の日に徒歩で行くのが面倒になり、車の免許を取り、ボコボコに凹んだ中古車を40万円で購入した。免許取得代と車代で貯金は消えてしまった。
 2年目に身体を壊し、通院先の病院で「事務として働いてみない?」と誘いを受け、転職。
 事務のいろはも分からず、コピー機の使い方も分からないような状態だったので、なかなか慣れなかった。色々重なり、心が無理になり、死にたい日々だった。休職したが、上司に救われ、復職。

 23歳の頃にオーディションを受け、ミスiD2018を受賞。映画出演やMV撮影、写真撮影、イベント開催などしたのち、顔という情報は小説を発表するにあたり邪魔でしかない、といった考えから、顔出しは避けることに。けれど顔が出ると安心する人もいるらしい。私もそうだ。普段滅多に自撮りを投稿しない人が投稿しているのを見ると、文字だけの投稿よりも、元気であることがよく分かるから、嬉しい。

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