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名が変える肉体

 少し前にチャットレディになった。

 今年いっぱいで退職する。退職後は死のうと考えていたが、一応、生きるという選択肢も考えなければならなかった。やはりどうしても両親の泣き顔が目に浮かぶし、小説ももう少し書いていたかった。それに、何にでも言えるが、選択肢は多ければ多いほど良い。
 退職して二ヶ月か三ヶ月ほどは、リフレッシュも兼ねて転職はせず、小説を書く時間に充てたかった。しかし、それでは生きていけない。たった三ヶ月なら何とかなるんじゃないかとも思ったが、きっかり三ヶ月後に就職できるなんて保証はどこにもないため、お金が必要だった。
 私には貯蓄がほとんどない。積立NISAに充てていたからだ。売却すれば半年くらいは生活できそうだが、できればそのまま積み立てておきたかった。十年後とか二十年後、両親に何か起こったとき、例えば施設に入所する際などに、必要になるかもしれない。縁起でもない話だが、葬儀費用としても使えるかもしれない。
 両親は二人とも「死んだら燃やしてくれるだけでいい。葬儀も墓もいらない。適当に散骨でもしてくれ」と主張しているが、正式な遺言書でもない限り、姉と共に話し合いで決めるつもりだ。別に文句は言われないだろう。多少葬儀を豪勢にしたところで、彼ら自身を愚弄したことにはならないはずだ。

 新たな職には来春頃に就きたいと考えており、先んじて複数の転職サイトに登録した。が、私の希望を満たす素敵な会社にはなかなか巡り会えなかった。私は残業なしの、週4勤務が許された、フルリモート可能の会社を探していた。引っ越しも視野に入れているため関東近郊ならば割とどこでも良いのだが、どんなに地域を広げようと、そんな夢のような会社はどこにもなかった。
 スカウトも全然来ない。それもそのはずだ。私は英会話もできなければ学歴もない。そうなると、『高収入バイト』で検索をかけることになる。
 あれも無理これも嫌、と選り好みしていると、もう何もできなくなってくる。アダルトな職業は確かに高収入だけれど、心身共に健康な美人にしかその門戸は開かれない。私がそういう職に就く場合、まずは心療内科への通院と体力作り、そして全身の美容整形が必須になる。それらをクリアできたところで、採用してもらえるかどうかは不透明な上、そもそも私は見知らぬ人とはアダルトな行為をしたくなかった。絶対にできなかった。

 そこで見つけたのがライブチャットだった。ライブ配信をしてお客さんのコメントを読み上げたり、ビデオ通話のようなものをしたり、メールをしたりすると報酬が発生するのだという。しかもアダルト禁止のサイトがあった。私はほとんど衝動的にサイトに登録をした。
 一対一の通話は苦手なのでお断りしているのだが、それでも文字を読まずに突撃してくる人もいる。そういう人は、ある意味面白い。何かクチャクチャと音が聞こえるなと思えば食事中で、「鯖うめえ」と呟くだけだったり、何かゴソゴソ聞こえるなと思えば終始こちらとコミュニケーションを取らずに「ねみー」とか「よいしょ」とか呟くだけだったりする。そして唐突に切断される。
 アダルト禁止にも関わらず、アダルト行為を要求してくる人も多い。登録して二日目、突如「ワキ見せて」とコメントされたときはどう返したら良いのか分からず、固まってしまった。尤も、これは厳密にはアダルトには該当しないのかもしれないが。何にせよあまり傷つかなかった。二十歳の頃ならその一言で深く傷ついていただろうが、鈍化した今は、「そんなこと普通に生活してて言われたことないなあ」と思う程度だ。何はともあれ、私が拒否するや否や、即座にチャットは切断された。
 ライブ配信を重ねると、メールの受信数が増えた。メールの内容は「見てもらえませんか?」が七割、「見せてください」が二割を占める。一応運営の目を気にしているのか、そこには主語も目的語もない。メールの送信にもお金がかかるというのに、何故わざわざ送信するのだろう、と思う。絶対にアダルト可能なサービスを利用した方が合理的だろうに。それとも、他の女性たちはそういう要求にすんなり応じているのだろうか。

 ごくまれに、健全な日常会話のみで参加してくれる奇特な人もいる。プロ・アマチュア問わず、毎日どこかで誰かが無料でライブ配信をしているこの現世で、お金をかけてまでライブ配信を視聴する、その心理とは一体どのようなものなのだろう。
 疑問に思うと共に、こういう人のために何をすべきなのか、自分は一体何を求められているのか……そんなことを考えるようになった。報酬を得ている以上、それ相応の接遇をしなければならない。そう思い至ったのはチャットレディになって五日目のことだった。本来ならば、一日目に自覚しておくべきだった。
 例えば歌手ならば、歌うことでファンは喜んでくれるだろう。俳優ならば、作品の話をしたり素の姿を見せることで喜んでくれるはず。
 何者でもない私に、一体何ができるのか。
 考えた結果、対話で相手の心を癒そう、という結論に辿り着いた。私は心理学や雑談力向上に関する本を読み、カウンセラーの通信講座情報を集めた。サービス接遇検定試験を受けるべく、テキストを読み始めた。
 人に尽くすこと、施すことでその対価を得る。我々はWin-Winの関係を構築すべきだ。
 こんな風に考えたことで、本業の方でも意識が変わった。人の役に立ちたいという思いが自然に沸き起こり、どんな人にも親切にしようと思えるようになった。
 気がつくと希死念慮は薄れていた。いかに相手に楽しんでもらえるか、居心地良く過ごしてもらえるか……頭の片隅では常時そのことが渦巻いていた。

 チャットレディとしての登録名で呼ばれるとき、私は少しだけ自分の軸から外れることができる。
 嘘はつけないし極力つきたくないため、踏み込んだ質問をされたらピンボケさせるようにしているが、プロフィールに二つばかり嘘を書いた。一つは血液型だ。私は本当はB型なのに、A型と偽った。血液型差別は良くないが、A型の方がB型よりも信用を得られそうだからだ。本当は『ガタガタ』とか『クワガタ』とか書きたいところだが、自由入力式ではなくプルダウン式だったため、それは叶わなかった。もう一つの嘘は身長。三センチずらした。これには特に意味はない。強いて言えば身バレ防止なのだが、顔を丸出しにしておいて、身バレも何バレもないだろうということは重々承知だ。私は浅はか。
 けれどそれらのささやかな嘘に、随分助けられている。
 カメラをつけ、照明をつけ、配信を開始すると名前が変わる。それと同時に、私の血管に流れる血液もがらりと変容する。

 ちなみに現在の緩やかなペースのままでは、当初の目的である生活費や引っ越し費といったまとまった額のお金は得られそうにない。まとまった額を得たいのならば、一日につき五時間は活動しなければならないらしい。本業の他に五時間も会話をし続けるなんて正気の沙汰ではないし、小説を書く時間も生活する時間さえも失われてしまう。本末転倒。
 だからやっぱり終活も視野に入れる。エンディングノートを見直し、遺族に迷惑がかからないよう考える。今の悩みの種は、大型家具や家電の処分、廃車、賃貸マンションの解約。
 面倒だなあ、と思う。
 死ぬのも生きるのも面倒だ。

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