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【ワンライ】教祖ならここにいます

 最近のばばちゃんの口癖は、「男の子と手を繋いだりしたら駄目だよ」。学校は勉強するために行く場所で、恋愛する場所じゃないから。そんなことはわざわざ言われなくたって分かってる。普段ならするりと躱せた場面だ。でも今日は駄目だった。多分昨日寝る前に切った前髪が上手く纏まらなかったから。数学の課題が終わらなかったから。推しが知らない間に結婚と離婚を経験していたから。六時のお祈りをサボったことをお母さんに怒られたから。ブチ切れたお母さんは朝ご飯を食べる隙も与えてくれなかったし、それがばばちゃんにも見つかって、ばばちゃんにも怒られて、それでまた、例の口癖。そんなに見てくればっか気にするなんて、男がいるんじゃねえべな。高校生の癖に男と手ぇ繋いだりしたら、駄目だかんな。男は、どうしようもねえ生き物だかんな。
 親子なのに双子みたいなばばちゃんとお母さんは意気投合して同じことを何度も繰り返した。内容は同じなのに言葉と温度ばかりがヒートアップしていくのを、脱毛していない毛穴で感じ取る。

 普通に遅刻した。ばばちゃんとお母さん的には私が学校に遅刻するのは良くて、でも恋愛と脱毛とメイクは禁止で、朝晩のお祈りと週末の参拝は強制で、だからバイトもできない。
 それでも私は不幸なんかじゃなかったし、ましてや生きづらくもなかった。そう思えるのは隣の席の橋本くんが今日も今日とてひどい恰好をしていたから。外は雨なんか一粒たりとも降っていなかったのに頭からずぶ濡れで、天パの癖毛からは雫が滴り落ち、教科書に深い染みを作りまくっていた。後ろから消しゴムのカスが飛んできて、それが橋本くんの頭とシャツにへばりつく。隣にいるものだから、それは時々私にも飛び火する。生きづらくはないけれど、爆発しそうにはなる。
 橋本お。ポテトとカレーとカツ丼買って来いよお。
 レトロで捻りもない命令なのに、橋本くんは笑顔で頷き、お金も貰わずに駆けていく。ほどなくして戻ってきた橋本くんが握りしめているのはポテトのみ。教室の一角に緊張が走った直後、橋本くんの後頭部が壁に押しつけられた。ここまでがお決まりのパターン。カレーとカツ丼は人気な上に少量しか販売されないから、四時間目に移動教室だった生徒に圧倒的に分があるのだ。そうでなくとも橋本くんはのろいのだから、もう最初から命令を聞き入れなければいいのに。ガン、ガン。橋本くんの後頭部が壁にぶつかり続けるうち、その衝撃で眼鏡がずるりとずり落ちた。誰も助けないし、誰も何も言わない。こういうとき、神様なんていないんだってはっきり思う。本当に神様がいたなら、お母さんはお父さんと離婚しなかっただろうし、じーちゃんがあんなに早く死ぬこともなかっただろう。
 今日はノアが休みだから、私は一人でおにぎりを囓っていた。お母さんが作ってくれたもので、中には私の好きな焼き鮭が入っている。私はお母さんやばばちゃんを憎んでいるわけじゃない。私は奪われたものじゃなく、与えられたものを見つめていたかった。
 咀嚼したおにぎりを、水筒の温かい緑茶で流し込む。ガン、ガン、ガン。音の鳴る方に近づいて、キモい手を上から叩き落として、橋本くんの腕を掴んだ。橋本くんは笑っていたけれど、両目は馬鹿みたいに濡れていた。もっと早くこうしておけば良かった。私は何も言わなかったし橋本くんも何も言わなかった。教室を出て廊下を駆けて階段を落ちた。自販機にはまだパンがいくつか残っていたから、全部買って全部橋本くんの胸に押しつけた。

 ばばちゃんへ。お母さんへ。今日初めて男の子と手を繋いだよ。二人が言うみたいなひどい生き物なんかじゃなかったよ。会ったことも話したこともない神様なんかじゃなく、私は私の感覚を信じることにするね!


 了

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