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意地悪バナナ

 セブンイレブンに朝食を買いに行った。
 毎回そうするように、今回もまずは雑誌コーナーで足を止めた。そこでは絶対にゼクシィに視線が釘付けになる。表紙には『婚約した今、知っておくべき結婚のお金』と記されており、買うべきか買わないべきか迷ってしまう。けれど私は婚約していないし、今後もその予定はない。
 これは私に宛てられたものではない、と自分に言い聞かせ、その場を離れる。それだけで十分だったはずなのに、脳が弁明めいた理由を更に考え始める。持参したエコバッグはゼクシィを入れるには小さすぎるから。付録のポーチも不要だから。だからこれは買わない。そんな風に必死に言い聞かせる。
『付録のポーチ』は、きっと多くの人がそうであるように、私の自宅にも有り余っている。それらは本来の役割を果たさないまま、収納ボックスの底に沈んでいる。
 過去にゼクシィを買ったことは、一度や二度の話ではない。たった三百円で可愛い付録が手に入るし、可愛いウエディングドレスを着た可愛いモデルが沢山見られるし、煌びやかなジュエリーも見られるし、結婚式やブライダルフェアや両家への挨拶マナーや婚姻手続きに関する情報も読める。そして何と言っても婚姻届がついている。しかもピンクの婚姻届が。ゼクシィは、私のような、パートナーのいない人間にも快く婚姻届を与えてくれる寛大な雑誌なのだ。
 私はゼクシィを買うとき、店員にどう思われるだろう、という自意識過剰な動揺を携えてレジに持って行く。「袋いりますか」と訊かれ、「いりません」と答える声が震える。支払いを済ませると、即座にエコバッグでその存在を覆い隠す。自宅に戻るまで気は抜けない。田舎故、外は顔見知りだらけなのだ。コンビニ店員には中学の同級生も、職場をよく訪ねてくる人もいる。コンビニやスーパーの客は知っている人ばかりだし、ひどいときは両親や親族と出くわす。そんなときにエコバッグからはみ出たゼクシィを見られ、「結婚すんのけ?」と訊かれたら、「するわけねえべよー」と剽軽に答えなければならない(方言レベルは相手に合わせなければならない)。万が一にでもこんなことが起こったら、この街ではもう生きていけない。
 何とかゼクシィを誰にも見られずに切り抜けた後は、自宅に帰って付録を開封し、雑誌を隅から隅まで読む。そして婚姻届を記入する。『妻になる人』の欄に自分の名前を書き入れ、住所と本籍を埋め、初婚の欄にチェックを入れた後、夫の欄や『同居を始めたとき』の欄が空白であることを見つめ直し、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる。この一連の行為を、今日はしないで済んだ。だから良かった。
 セブンイレブンに朝食を買いに来たのは、食パンを食べたかったから。けれどいくら探しても食パンがなかった。そんなことってあるんだろうかと思いつつ、パンの棚とレジ前をうろうろした後、諦めた。サンドイッチのコーナーで、ソーセージエッグマフィンに手を伸ばしかけて、やっぱりピザトーストサンドソーセージを選んだ。ポテトサラダとりんごを手に取り、レジに持って行く。そこで、レジ前に置かれたバナナの商品名に目が留まった。
 意地悪バナナ
 そう書かれていたのだ。瞬きをして、次に見たときには『フィリピン産高地栽培バナナ』と書かれていた。『地』しか合っていない。近眼なのを差し引いてもおかしい。
 ピザトーストサンドソーセージは美味しかった。あんまりコンビニでサンドイッチを買うことはないんだけど、たまには挑戦してみるもんだなと思った。片手で食べながら、空いた片手で『ファミレス行こ。』を、終始笑いながら読んだ。和山やま先生の静かな笑いが大好きだ。

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