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海外と飲み会には一度も行ったことがない

 私は人生経験が少ない。だからこそと言うべきか、「海外旅行」と「飲み会への参加」は同列で語って良いと思っている。それら二つは精神/肉体的負担が計り知れないばかりか、それなりの時間とお金を要する、高次元の道楽。
 本当は、海外にはとても興味がある。韓国ならば二泊か、頑張れば一泊でも楽しめそうだと思い、韓国語の勉強を始めたこともある。アプリや動画で基礎から学び、通信講座に申し込み、様々な教材を買い、ハングルのポスターをトイレに貼り、毎日単語のCDを聞いた。TOPIK初級に合格してから韓国旅行に行こうという算段だった。
 けれど挫折した。勉強にリソースを割くあまり、小説を読み書きする時間がなくなってしまったのだ。それは駄目だった。その上、勉強の成果もほとんど得られなかった。他者のYouTubeやブログでは、三ヶ月の勉強で試験に合格し、ペラペラに話せるようになったという人が何人もいたのに。私には才能もしくは意欲が足りなかったのかもしれない。
 その後、韓国のトイレ事情を知り、過敏性腸症候群である私にはハードルの高い地であることが判明した。清潔なトイレがどこにでもある場所じゃないと、私は生きていけない。何せ建物に入ってすぐにすることは、トイレの位置を把握することなのだ。非常口や避難経路の確認よりも先に、トイレへの最短・最速ルートを頭に叩き込まねばならない。
 トイレが綺麗だと嬉しくなるし、あまりに汚れているとがっかりする。ウイルス性胃腸炎も恐ろしい。トイレを清潔に保つことは、健やかに生きていく上でとても大事なことだ。
 自宅でも、トイレには様々なアイテムを駆使している。スタンプ、ブルーレット、消臭剤、スプレー、ジェル、泡の洗浄剤、シート。ブルーレットだけ商品名になってしまった。ブラシはかえって不潔なので使わない。
 海外旅行の候補先は韓国だけではなかった。本当はハワイにも行ってみたかった。けれど韓国よりもハードルが高かった。一番の問題は、まとまった日数を要すること。次に、お金がかかること。英語の勉強が間に合わないこと。食事が合わないであろうこと。そしてやっぱりトイレ問題が不安なこと。
 考慮した結果、海外よりも先に国内の素敵な場所を旅行しようという結論に落ち着いた。

 次に、飲み会の話だ。
 職場で歓迎会やら送迎会がある場合、開催場所が結婚式場や旅館になら参加してきたが、居酒屋ならば不参加を貫いてきた。
 居酒屋は、落ち着かない。何だか常にざわついているし、突如大声で笑い出す人がいたり、怒鳴ったりする人がいる。何となく怖い場所だという印象が強い。
 居酒屋に行った回数自体、両手で事足りるだろう。家族または一人で行ったことがある程度だ。一人の場合はランチタイムに行くか、個室のある店を選ぶ。ビールも日本酒も焼酎もワインもテキーラもウォッカも、飲んだことがない。
 アルコールを摂取すると必ず体調が悪くなる。けれど自暴自棄になったり年末年始などの長期休みに入ったりすると、何故か飲みたくなる。よって、アルコール度数が三パーセント以下のチューハイを、一年に三本までは飲んで良いことにしている。健康のことを考えて、そういう制限を設けている。
 ついでに言うと、煙草も麻薬も覚醒剤も未経験。パチンコを始めとするギャンブルの類も未経験だが、麻雀は、父や叔父たちがやっているのを幼少期によく見学していた。
 父や叔父たちが夏の暑い日にトランクス姿でぎゃあぎゃあ言いながら、時に怒鳴りながら、じゃらじゃらと牌をかき混ぜるのを、父の膝の上でぼんやり眺めていた。
 あの集まりが途絶えたのは、果たしていつだったのか。祖父が亡くなり、祖母が施設に入所し、そして祖母が亡くなった、その一連の間に、多分いつの間にか終わっていた。私も父たちも、皆それぞれ年をとった。麻雀のルールは最後まで理解できず仕舞いだった。
 UNOもやったことがない。いとこたちがやっているのを見学したことはあるけれど、ルールは分からない。
 ルールといえば、スポーツのルールは一つとして分からない。野球もサッカーもバスケもバレーも、学校の体育や部の応援なんかで経験したことがあるにも関わらず、そしてフィクションの作品でも散々触れてきたにも関わらず、完璧には理解できていない。
 例えばバスケ作品なら『黒子のバスケ』が好きだが、何を見ているかというと、登場人物の成長や人間模様、面白いプレイスタイルなのであり、スポーツとしてのバスケットにはあまり関心がない。
 野球作品なら『おおきく振りかぶって』や『バッテリー』が好きだが、「好き」の内訳を大きく占めるのはやっぱり人間模様だ。

 こうして未経験のものや理解できないものを列記していくと、自分の人生経験の浅さがよく分かる。
 それは友人が少ないこととも、きっと関係している。
 幼稚園から高校までの間、学校生活を共に過ごす友人は確かにいた。けれど中学入学を機に小学校までの友人とは何となく疎遠になり、高校入学を機に中学までの友人とは連絡を取り合わなくなり、高校卒業後はフェードアウトするように誰とも連絡を取り合わなくなり、会うこともなくなった。人間関係リセット癖とまではいかないだろうが、何だか全てが嫌になり、家族や同僚以外の連絡先を全て消去してしまった。それが十八歳とか十九歳の頃。
 それからというもの、家族以外の人間と休日を共にすることはなかった。
 変わったのは二〇一七年、二十三歳頃だ。

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