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皆お母さんの話をしてる

 先日、産休中の同僚が職場に顔を出した。
「おめでとうございます」と言いながら、私は内心驚いていた。同僚のお腹はほんの三か月前までぱんぱんにはち切れそうだったのに、それがすっかり平坦になっていたのだ。あ、この人、産んだんだな、と思った。胎内で別の人間が膨張していく感覚は、一体どんなだろう、ともう何度目になるか分からない疑問を抱いたけれど、誰にも訊けなかった。私は皆よりもちょっと離れたところから「毎日大変でしょうね」と言うだけだった。意図していたよりもずっと他人事のように響いたように聞こえ、自己嫌悪に陥った。

 同僚たちの雑談の多くを占めるのは子どもの話だが、そこにはよく、母親の話も紛れ込む。
 ある人は「うちの母親は私に厳しいんだよね。妹には甘いのにさ」と言う。私は「私のところとは逆だな」と思う。
 ある人は「うちのママは弟にばっかり甘くてさ」と言う。私は「私のところとは逆だな」と思う。
 ある人は「うちの母親は最近ボケちゃって、同じ話ばっかりしてる。それが原因でいがみ合っちゃったりする」と言う。私は「何となく分かるなあ」と思う。
 ある人は「うちの母親は肺がんなのに煙草が辞められなくてさ。あの人、本当にしょうがない」と言う。私は「お母さんのことを“あの人”と言っちゃう気持ち、分かるなあ」と思う。
 皆がお母さんから生まれたから、いくつになってもお母さんの存在がへばりついているのかもしれない。

 数日前、SNSのおすすめに、太宰治に関する投稿が現れた。その日は太宰治が愛人と共に亡くなった日だった。私はこれまで、太宰の最期について詳細を知らなかった。知るのが恐ろしかったから、努めて目に入れないようにしていた。けれどいとも容易く視界に入ってきた。太宰と愛人の写真も表示された。そこで私はぎょっとした。愛人が、私の母に似ていたからだ。母の高校の卒業写真とか、母の出産直後のビデオとか、とにかく若かりし頃の母に似ていた。私の姉にも似ている。目元が控えめで鼻が高くて下唇が少しだけぽってりしていて、華奢。酷似とまではいかないものの、人間としてのつくりが同じだった。
 Wikipediaを流し読みしたらもっとこの人について知りたくなったけれど、何だか怖くなってしまい、やっぱりやめておくことにした。彼女は二十八歳で亡くなったというが、私の母が結婚したのもその歳だった。人生って何なんだろう。
 それから何をしていても太宰治と愛人の死が頭に過ぎるようになった。共鳴したのか感化されたのか、やがて、一緒に生きてくれる人よりも一緒に死んでくれる人と一緒になりたい、という考えに至った。それでマッチングアプリをインストールした。結果的に誰とも言葉を交わすことなく一日で退会した。マッチングアプリの会員は皆、誰かと一緒に生きたがっており、どこか輝いていた。誰一人として陰鬱な人はおらず、夢や希望を抱いていた。それはプロフィール写真や自己紹介文にありありと滲み出ていた。
 マッチングアプリは、互いの腰に赤い紐を括りつけて一緒に死にたいと思える人に出会える場所では絶対になかった。そのアプリには「いいね」と「スキップ」ボタンが搭載されていて、表示される相手をタップ一つで選り好みすることができるという代物だった。こんなに簡単でいいのだろうか。結婚や交際に至らずとも、人と出会うという行為には、もっと責任が伴うものなんじゃなかろうか、と思った。すぐさま退会したのは正解だった。誰も巻き込まずに済んで良かった。

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