見出し画像

終わりたい

 一刻も早く死にたいと思うとき、『死にたい』『自殺したい』といったワードで検索をかけることがある。その検索フォームがGoogleにせよXにせよnoteにせよ、必ず相談ダイヤルが出現する。その度に思うのだけれど、希死念慮がピークに達した状態で見ず知らずの誰かに電話をかける勇気が持てる人間だったなら、こんな風にはなっていなかっただろう。絶対にこんなことにはなっていなかった。
 死にたい。死ぬべきだ。死ななくてはならない。そういう思考で脳が埋め尽くされるあまり、意識を内側にしか向けることができず、他者に優しい気持ちを抱いたり感謝したりする気持ちが薄れている。それを自覚すると、余計に死の三段活用との距離が近づき、視界が狭まってしまう。
 一体どうしたものか。
 何のために生きるべきなのか。
 私にはもうそれが分からない。できることなら明日は目を覚ましたくない。明日のみならず、明後日も明明後日もずっと。そうすれば何も考えずに済むし、全て終わりにすることができる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?