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再登校継続 【私の過去と向き合う時が来た】

以前の記事でも書きましたが、私は成人してから私の両親とは疎遠になっていました。子供たちの入学や卒業に関しても一切関わりを絶っていましたし、お盆や正月にも部活の休みもないことを理由に5年以上は顔もみせていませんでした。
息子が不登校になり、私自身の歪んだものの見方、考え方、行動の仕方を振り返るようになってから自分の両親のことがチラチラと頭をよぎるようになってきていました。
私が学生の頃は、私は自分のことは自分で出来る子でしたし、学校のことや生活の事についてはすべて任されていました。保育園から習っていたピアノをやめたいと言った時も両親は悲しそうでしたが無理やりやらされることはありませんでした。
進学する高校も短大についても全く口出しをされませんでしたし、海外へ短期留学したいと言った時も(たくさん費用がかかるのに)反対されることもなかったですし、当時の私は一人で新幹線を予約して、経路を調べ、東京まで一人で留学の説明会にも参加していました。
当時はスマホなんてありませんので、電車の時刻表をもらいに駅まで行き、新幹線のきっぷを買い、旅行会社で宿の予約をして、そこまでの交通経路を地図帳を買って調べ、地図帳片手に歩くというような感じでした。
今の時代は車もナビがあって、どこでも下調べしなくても行けますが笑
ですので今でもナビがなくても割といろいろな所へ行くことができます。旅行の計画を立ててスケジュールを組んだりするのも得意です。
これって、両親が私のリソースをみつけて伸ばしてくれたからですよね。
英語に関係する職業に就きたいと思ったのも旅行が好きだったからですし今でも映画は吹替ではなく字幕で観ます。翻訳の仕方も人によって違うのはおもしろいなと感じています。

さて、話を戻しますが・・・
息子にも、家族の在り方や思いやりについても話し合う機会も増えてきたのですが、私の想いと息子の想いが一致しないというか、私の話を心から耳を傾けてくれていないと感じていました。
「あなたはみんなに愛されているんだよ」
と事あるごとに伝えていましたが、
「そんなのただの理想論。表面だけそんなこと言われても心に響かない」
「お母さんはいつまでばぁちゃんを無視し続けるの?」
「何度も言ったけど、家族なのにいつまでもそうやっているのってものすごくダサイと思うよ」
こんな風に言うのです。

あんたになにがわかるのよ。

以前の私ならこう言っていたでしょう。
この息子の言葉は、私の心の黒い膜をチクチクと突っついてくるのです。
親になってみてはじめて親の気持ちがわかる。
私はこれでいいのか?
子供に、あなたは愛されているよ、と伝えたい時に果たして私は”お母さんも愛されていたよ”と胸を張って言えるのか?
(愛されている実感のない人が愛を語っても信ぴょう性がないのでは?)
自分と向き合ううちに、私自身も自分の両親とのすれ違いを乗り越えなければいけないなと思うようになっていきました。
ある時、意を決して息子に言いました。
「お母さんも、乗り越えたいことがある。あなたが不登校になっていろいろ勉強させてもらった。お母さんも自分の改善点は克服したい。」
すると、
「おう!そうしな!」
と短い返事が返ってきました。

息子の高校の合格発表の報告をしてみよう。
「高校受かったよ。一度顔見せに連れてってもいい?」
勇気を出して、一言送りました。
「おめでとう」「連絡くれてありがとう」
「心配していたんだよ。元気でいてくれたそれだけでよかった」
このやり取りから、私の中で止まっていた「家族の時計」が再びコチコチと動き始めたのです。

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