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本の話

 馬鹿にされそうだけれど、図書館の本が読めない。正しく言えば触ることができない。

 読書自体は好きだし、潔癖症というわけでもないと思う。知人から本を借りることもある。しかし図書館の本特有のあの匂いや黄ばんだページ、ビニール加工された表紙の触り心地なんかがどうしても苦手だ。同じ理由でブックオフのマンガも触ることができない。どうしてだろう・・・

ほかの人はなんてことなく図書館を利用しているのに、自分はそれができないということに気づいてから、これを図書館アレルギーと呼んでいる。読みたい本があるたびに買っていてはお金が足りないし、もう自分の本棚もいっぱいになっていて、置く場所もない。小説とマンガが好きな自分にとって致命的なアレルギーだと思う。

 記憶している限りでは、小学校の頃は図書館アレルギーは発症していなかった。手書きの図書カードを埋めることが楽しかったし、学級文庫に入っていた本を読んでいた記憶もある。ならば、触れなくなったのは中学に入ってからなのか?


 地元の名古屋を離れて東京の学校に進学したので、中学1年から高校3年まで寮生活をしていた。その間、お金の使い方は自分次第、親が自分に預けているお金が無くならない限りはある意味使い放題だった。
しっかりと予算を立て、1か月に使えるお金の量を決めて管理している友人もいたが、私はどちらかというと欲望のままに使ってしまうタイプで、生活必需品以外は割と好き放題に使っていた。(バイトをするようになってから、むやみやたらと使うことはなくなった)

その中でも本が占める割合は多かったと思う。当時は携帯も持っていなかったし、テレビもほとんど見られなかったため、娯楽と言えば本を読むことぐらいだった。
もしかしたら、アレルギーの原因は本屋で新しい本ばかり買っていたからで、いつの間にか知らない人が触れた本が触れなくなったのかもしれない。(本屋に並んでいる本だって誰が触ったかわかったものではないのに…)根拠としてはちょっと弱い気がするけど…


それにしても、やむをえず図書館を利用しなくてはいけない場合はある。中学でも高校でも大学でも、やたらと調べものは強要されるからだ。本の状態にもよるのだが、そういう場合は仕方なくマスクと手袋をして読むようにしている。(ここまで完全防備することはめったにないけれど、本に対して申し訳ない気持ちになる。)

しかし、そういう作業も近い将来無くなってしまうのかもしれない。近年は電子書籍がかなり普及しているし、図書館や本屋に行くよりも、家でタブレットを操作する方が簡単なのは明らかだなと思う。場所もとらない。私の図書館アレルギーだって、電子書籍にしてしまえば解決する。


 私自身としては紙の本を推していきたいけれど、どうやら時代は私の意思に反してアナログからデジタルに移行している。もしかしたら、遠くない未来、すべての書籍は電子化されて、本という概念さえもなくなってしまう日が来るかもしれない。・・・考えすぎだとは思うけれども。

 まだアナログの時代は終わらないでほしいな、と思う。やはりアナログの強みと言えばモノとして存在すること。実体があり、その重さ、質感、匂いなんかを感じられることだと思う。触れることができる分、温かさがある気がする。

図書館の本の話からアナログとデジタルの話へ思わず発展してしまった。両者を天秤にかけて一概にどちらが良いか決めることはできないけれど、デジタル化はどんどん加速している。しかしアナログが根強く愛されているのも事実だ。だから図書館だって当分なくならない。たぶん。

悲しいけれど、まだしばらくは図書館アレルギーと付き合うことになりそうだ…

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