リコリス・リコイルについての考察~『So far, so good』~
学校にいじめっ子がいなかったら最高だな?
道徳に満ちあふれて人のことを考えられる子供たちだけを集めたら、もしかしたら可能かもしれない。
よく高学歴の環境ではいじめが少ないって話を聞くけど、だからってどんな場所にいってもいじめっ子は存在するし、横領を辞めない無能な部下も実自在する。
だからいじめっ子がいない世界なんてものは存在しないんだ。
唯一方法があるとしたら、いじめっ子を事前に間引く、先生たちが目を光らせていれば万事解決だ。
でもどうやら、それを国家規模でやってのけて世界一住みやすい国(笑)とやらを8年間維持している極東の島国があるらしい。
そう、リコリコの世界にはね!
ってことで、この記事では『リコリス・リコイル』について考察していこうと思う。
え、なんで今さらかって? 当時の熱量とバランスを取った結果だよ。
○キーワードは『バランス』
どっちが正しいか。それが問題だ。
だけどバランスを主張し続けた真島の貢献は非常に大きいと思う。
そもそもここで言うバランスとは《ありのままからかけ離れた状況を、ある程度天秤から下ろす》ということを意味している。
悪意のある事件なんて、世の中いくらでも発生する。
それに対処して、時に意見を戦わせながらみんなで成長していくのが法治国家の本来あるべき姿だと、俺は思う。
もちろん犯罪は良くないし、悪いことは無い方がいい。
ただ、それについて考える機会を摘み取ってしまうとどういうことが起きるだろうか?
○魚の釣り方ではなく魚を与えてしまったのか?
リコリコ本編では『現在の平和について考える』という描写はほぼ無かったので、ここからは俺の想像になるのだけれど、興味があれば付いてきてほしい。
例えば
・いじめっ子には親が学校にその両親や学校にクレーム
・校内でケガをしたら学校が悪いと改善を要求
・外は危ないと過保護に目の届くところで教育
……etc
という環境でずーっと育って来て、急にこれからの庇護下から外れて、誰も守ってくれない社会に出たとしよう。
<現実の社会>
・いじめてくる上司
・不意のトラブル
・騙そうと寄ってくる人々
これらには自分で対処する必要がある。
与えられた平和は否定しないけど、それが続く保証なんてどこにもない。
そもそも守られていた時は、それが誰かのおかげだなんて思ったこともないと思う。
子供の時って、ピンチの時になんとかなるだろうって祈ったり信じてて、大体その通りになったのは願いが通じたわけでもない。
親や大人に守られていたんだと後になって気づくと思う。
だから《現実と向き合って対処する能力》というのは必須になってくる。当たり前だ。
だけどリコリコの社会はそれを奪い取ってしまったように見える。
だから真島は、透き通った水ではなく、ありのままの水質に戻そうとしたんじゃないかって、俺は思う。
ただ一つ、真島のやり方はテロリストという点に置いて、失敗だったのかもしれない。
だが真島の立場に立てば、正面からDAの思想に勝てるはずもなく、テロリストという立場にいなければならなかったのかもしれない。
逆に言えば、それだけDAって連中の思想もぶっ飛んでいたと思う。
魚を与え続けるなら持続可能であるべきだ。
……が、残念ながらそれはたった一人の真島という人間にひっくり返されてしまったわけだが。
○真島の言うバランスは実はどうでもいいのかもしれない
人や社会が成長するためには、問題提起は必要だ――というようなことを書いてきたんだけど、そもそも国民の立場になってみれば、至極この話(リコリコ)自体はどうでもいいって思っている。
作中に出てくる刑事さんが
「あんな子が明るく暮らせるなら隠蔽でもなんでもいいだろ」
ってことを言っていて、真理だなって思った。
平和に明るく暮らせる社会。
シンプルに世界にはそれだけでいいと思う。
真島のいう『バランスが取れた』状態になって、現実を突きつけられて絶望し、大切なモノを失う社会だとしたら、そのバランスの取れた状態に一体なんの意味があるだろうか? いや、ない。
つまり真島の主張もただのエゴでしかないのかもしれない。
ちょっと真島について深掘りをしたいのだが、今回はテロリストとう立場と、電波塔事件の詳細が作品で描かれていないので、俺もバランスを取ろうかと思う。
○『Sor far,so good』
これはリコリコ5話のタイトル(今のところ順調)。
ということで真島という我が儘思想ヒーローにより、相変わらずリコリコ in ジャパンの平和は偏ったバランスで今も運営されているんだと思う。
……では、俺たちが暮らしているこのリアルはバランスが取れているのだろうか?
・戦争
・テロ
・凄惨な事件
・痛ましい事故
・不慮のあれこれ
これらに直面しながら、日々みんなが「どうしたら住みよい世の中になるか」を考えていると思う。
法律も少しずつ変わってきている。
だけど、この状態すらアンバランスだと言う者が現れたら?
そう思うとちょっとゾッとする。
楽しいこともあるし、とても大変なこともある。
だけど、日々なんとか暮らしている――そう思っている我々も世界も、実は除菌された箱入りの世界だとしたら?
幸なことに、街を歩いていて、無骨な鉄の塊が入った紙袋をまだ目にしたことはない。
だけど、似たようなものはきっと落ちていて、気が付かないだけかもしれない。
――それに気づいた時に、慌てることなく自分を保っていられるのか?
『リコリス・リコイル』とう作品からはそういうメッセージが感じ取れた。
この世の中が『今のところ順調』だと願うばかりである。
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