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戦いの終わり それから

記事を書くことから遠ざかってしまっていました。
noteに何か書くなら、考えをまとめてからと思っていましたが
そんなのいつになるかわからないので、まずは何か書き続けようと思いました。

6月の「戦いが終わった日」以来
私は深刻に悩まなくなりました。
体調がよくなかったり、物理的事情でイライラすることはありますが
人生を悲観的に捉えることはなくなりました。
人に嫉妬することも、過去に苦しむことも、未来への不安に押しつぶされそうになることもありません。
目の前の今という幸せを感じられるようになり、自分を苦しめるものを手放し、バランスをとれるようになりました。


さらに「人の気持ち」がよく見えるようになりました。行動を起こす時はまず、人の気持ちを考えるようになりました。「気持ち」だと少し意味として狭いかもしれません。
その人の「数式」であり、影響を与えている環境、ものの見方など、そういったもの全て含めて人の発するものを
計画を立てるときに考慮するようになりました。


(人といると疲れてしまうのは、その人から発せられる無数の情報の波が押し寄せてくるからで
場面緘黙症もそれに圧倒されるからかもしれません。
世界にはストーリーがあるような、画面越しに世界を見ているような、そんな感覚があります。そこに自分が介入していくことに「不協和感」を感じます。
マジックミラーが近いかな?こちらから向こうは見えますが、向こうからこちらは見えません。
ある程度こちらが見えているのでは?と思っていましたが、本当に見えていないみたいです。
話せなくなるのは、この違和感が関係している気がします。)

6月のあの時期、しばらく眠れず
幾何学模様のカラフルな幻視が見えました。
「これ以上考えると、もう戻れなくなる」と思い
無理やり思考から遠ざかり、睡眠をとりました。
そうしてしばらくしたら戻りました。

INTPって怖いもの知らずというか
こういう無茶なことしますね…

あのとき、抽象世界にとりこまれ、二度と戻れない感覚になりました。これは、公式を知った感覚に近いかもしれません。
新たに正しい公式を知ってしまったら、もう間違った古い公式を使う気にはなれませんよね。使うとしたら「その公式は正しくはないけど」という意識は必ずある。正しくない公式を使い答えを出すことに意味はあるのか?という強い違和感を抱き続けることになる。
私の「何かにかりたてられる感覚」はそれに近いです。「正しさ」に目を背けることはできません。

抽象世界に取り込まれたものの
精神状態は異常ではありません。

で、最近余暇に何をしてるかというと

読書、YouTube、思索、人間観察です。

読書、YouTubeは、哲学、宗教、文化人類学、政治、経済、歴史それと、宇宙。
このあたりがやはり好きですね〜。
あと、数学、物理は学び直したい。
今、とても幸せです。30代半ばで、過去の自分に向き合えてよかったです。
人生が終わる頃にはどんな気持ちになるのか?
楽しみです。

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