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『ファースト・カウ』観た。

割引あり

多分主題は”安住の地”について。それがいかに他者との関係の中に生じるかという話。
個人的には、西部開拓時代の人々が一から生業を築き上げていく過程を想像できて良かった。

資源はあっても流通がヘボかった時代。開拓者の中には、莫大な犠牲を払いながら都会の暮らしを持ち込む者が居る一方で、有り合わせの物で体裁を整えながら暮らす者も居る。ままごとみたいな市場で売りに出される、牛乳を使った”本物”のドーナツ。その味が心を打つのは、故郷を思い出すからだという。

不安定な生活のしんどさを描くことで、その逆を甘美に強調した作品だと思う。不潔な場所にゴロっと置かれた不格好なカタマリが、こんなに美味しそうに見えることあるか?って感じだった。


以下、ネタバレ有り。主にキャラ考察。

この作品が観終わってからじわじわ来るのって、観客を特定の感情へ誘導するような演出が少ないからかも。1つ1つのシーンが、悲しいとか楽しいではなく、ただそこに在ったシーンとして思い出される。だからこそ色々な角度から眺めることができる。

例えば、草むらの中に裸の人間が潜んでるのって、最初見たとき不気味だったじゃん。話してる内容も怖いし。でもキング・ルーのこと知ってから思い返すと、なんかウケる。あちこち渡り歩いては危うい事に手を出して、ピンチになるたび川をじゃぶじゃぶ泳いで逃げてるんだもんな。素っ裸のまま行き着いた先で知らん奴のテントに転がりこんでグースカ寝てるのも、神経図太いキング・ルーらしくて、笑える(あんな状態だったくせに、次に会ったときには立派な服着てて、ドヤ顔で宅飲みに誘ってくるのだから、大したサバイバル力だ)。

そんな意味分からん奴をかくまってやるクッキーも、クッキーらしさに満ちている。手持ちの布を2枚も掛けてやって…自分のお布団無くなっちゃうんじゃないか?
牛乳を盗むハラハラドキドキの場面ですら、牛に同情してる。牛が、ここに来るまでの道のりで、家族を亡くしていることに思いを馳せている。自分が孤独だから、孤独な者を見ると感情移入してしまうのだろうか。
「クラフティを作ってほしい」という金持ちの願いを承諾し、盗んだ物を当人に売りつけるという、キング・ルーですらためらうほど大胆な犯行に及んでしまったのも、クッキーが底抜けに優しい人間だからだ。

でもクッキーにとっては、キング・ルーの方こそ優しい人だったんじゃないだろうか。キング・ルーって、あの金持ちのことは「女々しいやつだ」とか言って嫌ってたけど、クッキーのことは一切、罵ったり馬鹿にしたりしてないんだよね。飾ったお花を見て「いいね」なんて言ってくれる相手は、開拓地じゃ皆無だから、クッキーにとってキング・ルーの側はすごく居心地良い場所だったのだろう。だから安心して「美味しいお菓子が食べたい」なんて話もできたわけだ。
でもまさか盗んでまでして実現させようなんて、ビックリだよね。そんな発想無かったろうし、自分のちょっとした発言をこんなに真剣に聞いてもらった経験もあんまり無かったろうから。

キング・ルーにとってもクッキーが大切な存在だったのは間違いない。故郷から遠く離れて、あまりにも長く旅していたキング・ルーが、望むことすら忘れていた暖かさを、クッキーは思い出させてくれたんじゃないだろうか。クッキーが何気なく口にした夢は、いつしかキング・ルーにとっても憧憬となり、彼は久方ぶりに…いや、ひょっとしたら生まれて初めて、自分が辿り着くべき居場所を持つことができたのではないだろうか。

クラフティを持って行ったあと、キング・ルーがプンスカしてたのは、なんだったんだろう。金持ちがキング・ルーを無視してクッキーにばかり話しかけてたからかな。
クッキーが作る郷土菓子への懐かしさを自分だけが解していないという点で、疎外感を感じたとか、無いかな。親友は自分なのに…みたいな。
なんにせよ、なけなしの慎重さが怒りで吹き飛んだ結果、ついに犯行がバレ、2人は追われる身となってしまう。

この2人、片方ずつなら生き延びることができたかもしれない。キング・ルーはクッキーへの情に絆されなければ、また1人でじゃぶじゃぶと、どこへでも逃げただろうし、クッキーはそもそもキング・ルーにそそのかされなければ、犯罪なんかに手を染めなかっただろう。それでも2人はお互いの側に居ることを選んだ。それだけそこが居場所として魅力的だったということだ。
 

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