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うつ病になって初めて味わった“屈辱”
元々の私ってどんなんだっけ、って今となっては思い出せないし、当時も自己肯定感は低かったので「自他ともに認められたもの」しか覚えていませんが…。
●めちゃくちゃ努力家
●頑張り屋さん
だったはずなんです。しかもこれって色んなことに波及するものなので、
●おしゃれになろうと努力できる
(もちろんお風呂にも入るしドライヤーもする)
●料理の勉強を頑張れる
(一時期お弁当を自分で作ってた)
●勉強ができるだけではなく、いろんな意味で賢くなれるように努力できる
などなど、自己満のものもたくさんあるでしょうし、そんなのできて当たり前と思うかもしれませんが、私個人としては頑張ったと思えるものをあげました。
しかし、うつ病になって別れた元カレ。そしてうつ病になった私しか知らない今カレ。
今カレは私が昔どんなに頑張っててちゃんとおしゃれもできて、人間的な生活を送っていたかというのは知らないんです。
昔はこんなに涙脆くもなく、感情的にもならず、お酒に逃げることなんてなかったのに。
そういう気持ちを今日初めて知って、やっと「これが屈辱ってことなのか」と分かりました。
元々こんな自分じゃなかったから、きっと治れば元に戻れるはず!と思いたいのに、治る未来なんて見えないし、昔のキラキラした自分には程遠い。だからこそ「前はこんなんだったもん!」とも言えなくて、おしゃれもできずに努力もできずにいる感情的な自分が“私”なのだと突きつけられるたびに、毎回屈辱的でした。
「でもそれは症状だから」という言葉さえ、私の感じ方にもよるのでしょうが、全く心に響きません。
症状とはいえ、そういう人間としてあなたの目にうつってるんでしょう…?と屈辱的な気持ちになるんです。
めちゃくちゃ吐き出しになってしまいましたが、「わかるー!」って共感してくださる方、私がすごく安心するので、いいねとかしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、サムネとして選ばせていただいたこちらのイラスト、すごく素敵ですよね。
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