嘘をつくとき

嘘をつくとき罪悪感を感じて抵抗があるときとそうでもないときがある。
なぜかと考えてみたら、自分のためだけになる嘘をつくときには抵抗があり、他の人のためになるような嘘でその他の人も傷つかないような嘘だと大丈夫だということがわかった。
よく正義の味方が「大事な人のためなら何でもできる。力がわいてくる」というのに似ているのかもしれないと思った。嘘を正当化するわけではないけれど、「他の人のため」という大義名分を掲げることによって嘘へのハードルが低くなっているのを感じた。
大義名分があると、それがなんでもやっていい切符のようになる場合もある。ネット上でよく起こる「炎上」も一応誰かの不利益を告発するという意味で大義名分を掲げた結果なのかもしれない。
「誰かのため」であれば何をやってもいい理由にはならない。誰かのためにはやったけれど、自分がやりたかったからやるのだ、ということは忘れてはいけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?