絶望しかみえないときは

これとあれとこれがあるから、これとあれとこれがないから絶望しかできないということがあるとする。
けれど考えてみてほしい。世の中のことをすべて知っていないとその絶望は正しくないということに。希望が見えないだけで、目の前にある絶望に埋まっているだけかもしれない。反対に、数え上げている絶望よりもっと絶望的なことがあるかもしれない。
何かの思いにとらわれすぎているときに、別の見方をしてみることは大切だ。あらゆる角度から観察してみれば、絶望以外のものがたくさんあるはずだ。
自分は旬の果物を食べるだけで幸せを感じることができる。楽観的過ぎるだろうけれど、何もかもが真っ暗闇にあるようなときにはこれが救いになることがあるかもしれない。
比べることはあまり好きではないが、この国はかなり恵まれている。屋根付きの家で寝られるだけで幸せだ。それを幸せと思えなくなっているなら、それは周囲の水準が高いだけで、その人たちだけと比べるからだ。そういう中での絶望は近視眼的だと思う。一度見栄やら何やらを取っ払って自由に考えてみるのもいいと思う。

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