AC6に登場する人物たちはお手本のようなキャラクター造形がされているという話
火を点けろ、燃え残った全てに。
『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』発売から一ヶ月が経ちました。
知る人ぞ知るロボゲーがよもやこんな話題作になるとは誰が予想できたでしょうか。本当に嬉しい誤算ですね。
コミュニティでは作中には存在しない強めの幻覚が日々生まれ続けているわけですが、どうしてこのような事態となっているのか。
自分なりに納得できる解釈をしてみた結果、その要因のひとつとしてプレイヤーの心を掴んで離さない魅力的なキャラクター、というのがあるのではないかという考えに行き着きました。
あくまでも持論に過ぎないものの、今回はぼんやりとそう思い至った解釈について書き出していこうと思います。
※本記事はAC6のネタバレを含みます。シリーズ未履修の方、プレイ途中の方は注意してください(途中で細かく注意喚起あるのでまだ1周目しか終わってないみたいな方も途中までは読めると思います)。
そもそもキャラクターのグラフィックが存在しないということの特異性
「アーマード・コア」シリーズは歴代、キャラクターのグラフィックが存在しない稀有な作品だ。コンセプトアートやフレーバーとして使われていることはあるものの、顔つきなどがわかる正確な人物描写は一切されていない。
なお、人間がロボットに搭乗する作品は原則としてゲーム問わず、搭乗者を描写するのがセオリーといっても過言ではない。
理由としてはシンプルで、あくまでも搭乗者が主軸となっていて、搭乗者を拡張するデバイスとしてロボットが描かれることが多いからだ。
ロボットそのものが相棒として描かれるケースも存在するが、バディとして描く場合においてもやはり搭乗者の存在を描かなければ、その関係性を示すことは難しい。
であれば、搭乗者がどのような人物であるのかをあらわすためにビジュアル面を描写というするのは、受け手が作品への理解をわかりやすく深めることができるポイントだろう。
また、中にはロボット自体にあまり興味はないものの、物語やキャラクター、その関係性が好きというファン層も当然ながら数多く存在する。
個人的にはこういった楽しみ方もひとつの在り方であると好意的に捉えていて、それはたった1点でも受け手の琴線に触れるものがあれば、好きになる理由なんてそれ以上は必要ないと考えているからだ。
つまり、より多くの作品ファンを生み出すために作品へ興味を抱かせるフックをいくつも用意しておくというのは合理的かつ重要で、だからこそキャラクターへの理解を深める上で最もわかりやすい要素であるビジュアルを用意するというのは、当たり前といえるやり方なのだ。
しかし先述した通り、「アーマード・コア」シリーズにキャラクターのグラフィックは存在しない。しかし歴代のシリーズ作品においてキャラクター人気というものは間違いなく存在していて、今作では特に顕著だと感じる。
それらはコミュニティで日々増え続けるキャラクターのイラストを見れば一目瞭然だろう。
人によってキャラクターの解釈やデザインは当然異なるものの、過去にここまで多くのキャラクタービジュアルが描き起こされたことがあっただろうか。
わかりやすくまとめるならば、一般的にキャラクターへの理解を深める上で重要なビジュアルという要素が抜け落ちているにも関わらず、本作は根強いキャラクター人気がある状態なのだ。
個人的には、異常事態と言わずにはいられない。
短い台詞でキャラクター性を表現することに特化した言動
では何故、このような事態が起きているのか。その疑問を解決する糸口は、歴代シリーズの経験を活かしきった「アーマード・コア」ならではのキャラクター描写の仕方にあるように思う。
「AC6」では終始寡黙な主人公621の代わりに、ハンドラー・ウォルターやエアがオペレーターとして戦況の報告や、ときに味方陣営を代表して意見を述べる。
最初に注目するべきは、やはりハンドラー・ウォルターだろう。彼は必要以上に喋らず、感情を表に出すことも少なく、淡々と依頼を提示し、621へ指示を飛ばす。
プレイ済みの方ならば理解出来るだろうが、不思議なことにウォルターの言動の隅々から621への気遣いと、ウォルターという人物の優しさが伝わってくる。
621の選択を否定するようなことも、彼の戦いを叱ることもなく、さらには自身の目的さえも伏せたうえで、協力を無理強いすることなく、最後まで621に自由を与え続けている。
また、任務後に休暇を与えたり、労いの言葉も欠かさない。さらには当事者のいない場所で621を悪く言う者に対して憤りをみせるなど、徹底した過保護っぷりをみせる。
特にバスキュラープラント到達後、企業に捕縛されてしまった621が脱出する辺りから、ウォルターという人物への好感度が上限を振り切るに違いない。
数々の気遣いの果てに、彼は自らよりも621を優先し、そこでようやく本当の目的を告げる。そして「火を点けろ」という言葉を最後に残し、物語からフェードアウトする。
ここまで彼の優しさに触れてきたプレイヤーならば、なんとしてでも彼のたったひとつの望みを叶えてあげたいと思うことだろう。そしてどちらのルートを選んだとしても、ハンドラー・ウォルターの優しさに涙を流すことだろう。
ハンドラー・ウォルターから学ぶことができるのは、たとえ言葉は少なくとも、感情のこもっていない声色であろうとも、その行いで内面性や感情を伝えることは十分可能だということだ。
それは1周目に行き着くことのできる「レイヴンの火」「ルビコンの解放者」どちらのルートでも感じることができるはずだ。
そしてそういった感情移入はウォルターだけに留まらない。途中からオペレーターとして加入するエア。なにかと面倒を見てくれるシンダー・カーラ。ぶっきらぼうな言い回しと反して茶目っ気の強いチャティ。
壁越え以降、最後まで頼れる戦友のラスティ。厳しい言い回しの中に強い仲間意識と気配りを垣間見せるG1 ミシガン。言い出せばキリがないが、たった1ミッションしか活躍のないキャラクターでさえ、その台詞が印象深く残ることも多い。
ちなみに個人的に印象深いキャラクターはV.I フロイトだ。ゲームシステムとの相性が悪く実際の難易度が噛み合っていないことこそ残念だが、彼のバックボーンや言い回し、ストーリー上の演出には思わず背筋がゾクリとするような、まさしく強者らしさがあった。
ラスティなどがわかりやすい例だが、やや鼻につくくらいの、かっこつけすぎるくらいの台詞のほうが印象に残りやすいと感じる。いわゆる厨二病的な要素なのだが、硬派な世界観であるならばそれらの言い回しが雰囲気に噛み合い、違和感なく溶け込んでいる。
それどころかシリアスな場面に、やり過ぎなくらいかっこいい台詞を投下してくるものだから、夢女になってしまうのは無理もない話である。当然だがアイスワーム撃破時のラスティの台詞に見事に撃ち抜かれた一人である。
外しはしない男、流石である。
振り返ってみれば、積み重ねによって伝わる感情もあるが、たった一言で印象を変えた台詞も多かったように感じる。
例の男について(※3周目の内容につき注意)
そういった意味では、とある人物を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
序盤から登場し、任務の中で何度も遭遇し、そして最終的に621の前に立ちふさがった人物。そう、G5 イグアスである。
621と何度も戦っては破れ、いわゆる負け組の道を歩み続けた。そんな彼が歪み、621への憎悪を積もらせていく様子は遭遇するたびに感じ取ることができる。
しかし彼が最後、今際の際に放ったのは621に対する怨嗟の言葉ではなく「お前に憧れた」という、贖罪とも懺悔とも受け取れる言葉だった。
個人的な話をすればイグアスという人物に対してそこまで思い入れがなく、最初にラストステージで対峙したときには「何故彼が?」という気持ちだった。
しかし振り返ってみれば、たしかに事あるごとに彼と遭遇し、その度に難なく退けていたことを思い出す。そう、無自覚のうちにイグアスという人物に対して何の感情も抱くこともなく、621としてそれ以外へと意識を向けていたのだ。
まさしくイグアスが妬み、憎み、歪んでしまうのも当然と思えるほどに、彼の存在は621にとって意識の外側にいたのだ。
仮にイグアスが非常に手強い存在で、何度もリトライしなければならないほどの強敵であったなら、もっと印象強い活躍をして戦果を上げていた人物であったなら、こんな結末にはならなかっただろう。
結果としてイグアスという人物は、プレイ体験と作中の立場が完全にシンクロしていたのだ。
だからこそ、最後に彼が残した言葉が印象に残ったのも必然だった。プレイヤーと同じ立場になれたかもしれない、肩を並べられたかもしれない、ルビコンで名を馳せることもできたかもしれない。イグアスは裏の主人公ともいえる人物像だった。
ずっと皮肉を言い続け、衝突し、呪詛のような言葉を621へ浴びせ続けてきた彼の苦悩や葛藤を知るには、たった一言で十分だったのだ。
ビジュアルがないからこそ、印象に残る
記憶に残る言い回しや、描写の数々が本作には間違いなくある。しかしそれらは結果として「ビジュアルがない」からこそその存在感を強くしていた側面もあるのかもしれない。
ビジュアルがないからこそ、外見での印象を掴めないからこそ、その人物像を掴もうとした結果、発言ひとつひとつに意識を向けるようになる。
また、最初に出会ったときの第一印象で人物像が決まるといった話もある。ここでいう第一印象とは多くの場合は外見から形成されることが多いだろうが、ビジュアルのない本作では、その第一印象を決める重要なファクターとなるのが彼らの発言になるはず。
つまり、前述したビジュアルがないというデメリットとも言える仕組みが、結果としてキャラクター性への理解をより深める結果に繋がっているのではないだろうか。
それはプレイヤーの分身である621にもまた、同じことが言えるのかもしれない。621には性別も体格も性格も、作中で明確に方向性を決めつけるような描写がない。一切の外見情報や言動がないからこそ、プレイヤーの理想の形を当てはめて想像することができるのだ。
少なくとも多種多様なビジュアルでファンアートが描かれている現状について、621の場合は当然の結果であると言えるだろう。
また、例えば小柄な少女が戦場で戦うといった場合には、それ相応の合理的な設定や能力付けをしないと違和感が出る場合がある。しかし本作は機体を操縦するという都合上、パイロットの年齢や体格による制限は一切なく、そういった面でも自由なキャラクター像を描きやすい結果となっているのだろう。
となれば、ほかのキャラクターとの関係性も、プレイヤーにとって都合のいい関係性を築きやすい。さまざまな解釈が生まれるのも当然の流れだろう。
言い換えれば、本作はビジュアルもなく、主人公の存在を自由に定義できるからこそ、ユーザーにとって都合よく創作しやすい土壌が出来上がっていたといえるのだ。
その結果、さまざま層が触れたことによりファンアートが急増することとなったのではないだろうか。
企業マスコットの擬人化といった過去作にはなかった現象も、それだけ多くのユーザーが作品の世界観や人物、そして企業への理解が深まった結果であるといえる。
歴代シリーズの中でも特に人物描写、ストーリーテリングが良くできていたからこその現象なのではないだろうか。
ようやく記事タイトルの回収になるが、そういった意味で本作の登場人物はキャラクター造形としてはお手本のような出来であると感じる。コミュニティの盛り上がりこそがわかりやすい証明だろう。
たとえビジュアルがなくとも、短い台詞や活躍だけでも強い印象を残すことが出来る。そういった前例を生み出すことに成功しているのだから。
おそらく今後も作中に存在しないさまざまな概念が生み出されていくことが予見される。しかしこれらは全て、作品に魅力があるからこそだろう。魅力があるからこそ二次創作というものは活発になる。
ブームは落ち着いてきたように感じるものの、まだ発売されて一ヶ月。これからアップデートによって、あまり日の目を見ることのない武器の調整なども入る可能性が高い。
さらに人気次第では、DLCや新作の可能性も十分ありえるだろう。621とエアを主人公とした直接的な続編でなくとも、AC4からfor Answerのように、過去作のキャラクターが鮮烈な印象を残す登場をする可能性もある。
最後に言えることは、物語やキャラクター性に魅力を感じた人はぜひ3周目に到達可能となるエンドまで辿り着きし、情報ログなどのさまざまなフレーバーをすべて回収して欲しいと思う。
その先に見える自分だけの世界を表現してみるのも、悪くないはずだ。
魅力的な世界と人物、そして素敵な物語を生み出してくださったフロム・ソフトウェアに今はただ、感謝を。