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ごめんなさいとありがとうの見本になろうと思います

薬局に知り合いが来た。うちの姉妹と同い年の兄弟を制しながら、さらにおんぶ紐に女の子を負ぶって。
「おーい、お疲れ様。みんな揃って体調崩す。元気だけどな。」
仕事の方が百倍楽なので、「マジお疲れ様としか言えんわ」と処方せんとお薬手帳を預かる。
小児の粉の分包は時間がかかる。
その間、兄弟そろってトイレに行ったり、小さい喧嘩が始まったりした。知り合いはそのたびに注意をして申し訳なさそうにしていた。かわいい声が、一丁前なことを言ったり、鬼におびえたりするのが可愛くて、調剤室からも笑い声が聞こえた。

「わぁ、おくすりできとる!」二番目の男の子が調剤室を覗く。
分包された薬がツーカッチャンツーカッチャンと機械から出てくる様子を面白そうに眺めていた。と思ったら興味がすぐに移り「これカエル?」とコロちゃん人形を手に取ったので「コロちゃんだよ」と答えると「いいなまえだなぁ」と言った。処方せんを見て「あなたもいい名前だなぁ」と言うと「うん」と答えた。

もう癒しでしかない。

「ダメダメ!そっちは入らないよ」と知り合いが来たので「いいよいいよ、私見とるで大丈夫」と言ったけど、「ごめんな…」とさらに申し訳なさそうだ。
本当に全く問題ないし、癒されるので度々来てほしいくらいだけど、知り合いが大変そうだ。
投薬が終わり、帰りがけに「夕方になると気が狂うよ」と言うのに反射的に「私も」と答えて気づく。

人の子はかわいいのだ。
人の子がすることは危険がない限りおおらかに見ていられる。

こんなくらい気楽に自分の子どもとも過ごせたらどんなに心穏やかかと思うけど、何かに縛られているかのように”こうあるべきコース”をはみ出されると黙っていられない。狭い薬局で粉の分包が終わるまで黙って座っていられる子がいたら、本当に具合が悪いんだと思う。わかっている。わかっているのに元気な子どもにも親は焦るのだ。
それは責任といえば聞こえはいいが。子どもとはいえ、自分とは違った人格を持った人間である。自分で産みましたし、まだ幼いからたまたまお世話をさせてもらっているだけで、自分の思い通りに縛り付ける事はしてはならない。自分の思い通りにしようというスタンスで子育てを続けることは、多分クセになって抜け出せない危険すら感じる。

だんだんでいい。周りの人がなんと思おうが、だんだん学んでいくんだから、待っててあげないといけない。その途中で失敗したら私が謝る。自分でも謝れるようにもなってね。こうやるんだよ。大丈夫、たいがいのことはみんなやらかしてる。そしてほら、許してくれたよ。ありがとうも言おうね。こうやるんだよ。子育てするには厳しい社会といわれているけど、近くの人一人一人は話してみれば大体優しいから。

今日は買い物中に次女が失敗してしまったので、さっそく周りに謝った。感謝もした。お店の人はみんな助けてくれたし、優しかった。


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