三年千日とは


はじめに

先月の天理教教会本部祭典で、『諭達第四号』が真柱様より発布され、140年祭に向けての教団の方針が打ち出されました。

140年祭は、今から3年と数ヶ月後に行われます。
その3年後に向けての、三年=千日間の通り方の方針を示されたのが『諭達第四号』です。

ではなぜ、そんな三年も前から、年祭に向けての通り方に方針を出すのか。
その三年間が大事だとされているのか。

それはあるおさしづ(神様の言葉)から来ています。

ひながたの道通らねばひながた要らん。

で有名なおさしづで
今回の『諭達第四号』にも、一部引用されています。

このおさしづがくだった当時は、教祖五年祭の約三年前で

三年後に迎える教祖五年祭を目標に、教祖のひながたの道を真にひながたとして、三年千日を精一杯に通り、国々所々の手本になるように、と教えられた「おさしづ」である。
おさしづ研究



よく一部抜粋されることが多いですが、ここではその長い全文と解説を

『おさしづ研究』(山本久二夫・中島秀夫)
『おさしづを拝す』(橋本武)
『おさしづの手引』(桝井孝四郎)から引用しまとめて紹介します。

まずおさしづを全文、
そのあとに解説文付き、と続きます。


おさしづ全文

明治二十二年十一月七日 午後十時四十分

刻限御話

さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある、聞けば一つの理がある。二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。世界道というは、どんな道あるやら分からん。世界の道は千筋、神の道は一条。世界の道は千筋、神の道には先の分からんような事をせいとは言わん。ひながたの道が通れんような事ではどうもならん。どんな者もこんな者も、案ぜる道が見え掛けてはどうもなろまい。一日二日経ったらと言うたら、どんな事やと思て居たやろ。ちゃんとしてやる道は見るも同じ事。ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや。

十年あとの道は、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。国々の者やない。そこからそこの者でも分からなんだ。なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た。なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。ひながたの道がどんな日もある。ひながたの道にはいろ/\ある。誠の道も蒔いた事がある。なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。十年の間、八年の間の苦労は容易やない。なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。皆貴方々々と言う。

ひながたの道が出してある。ひながたそばにある。めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。三日の日は越せんという理はあるまい。どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。三日は分かろうまい。今と言うたら、今の事のように思う。ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。あちらも広め、こちらも広めに運ぶ。三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。そこで、難しい事せいとは言わん。古い型のひながた、見えてある事分からん。一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという処から、一寸道を開き掛けた。まあ/\世界から見れば往還。細道は通りよい、往還通り難くい。何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。たったそれだけの事が分からん。そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。



おさしづ全文+解説文


(※太字=おさしづ原文、その下に解説文)

さあ/\一寸話仕掛けるで/\。
さあ、ちょっと話して聞かせよう。

まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
あれこれ、いろいろのことをとりまぜて神の思いを諭しておこう。

もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。
たすけ一条のため神は、今は、もう日々いそがしく非常に急き込んでいるのである。

何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある、聞けば一つの理がある。
だから日々見るもの聞くもの、何もかもに、神のたすけ一条の思いがこめられているのである。

二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。
お前たちは、見ては道の理を思案し、聞いては道の理をさとり、神の思わくを心に治めてくれなければならない。

難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。
けれども、むずかしいことはいっていない。また、お前たちのできないようなことをせよとも、どうしてよいかわからないことをせよとも言っていない。

皆一つ/\のひながたの道がある。
お前たちのなすべきことについては、すべて一つ一つについて教祖の行為を通して教えておいたひながたの道がある。

ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。
そのひながたの道を通れないというようなことではどうにもならない。

あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向こうの守護をして居る事を知らん。
存命の教祖は日々あちらこちらと先回りをし、たとえば三十日むこうのことを願えば、五十日むこうの守護をしている。そのことを、お前たちは知らずにいる。

これ分らんような事ではどうもならん。
この親心がわからないようなことではどうにもならない。

ひながたの道通れんような事ではどうもならん。
せっかく親のひながたが示されているのに、そのひながたの道が通れないというようでは、どうにもならない。

長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。
それも長い年月にわたって通れというのなら、あるいは通れないというのも道理かもしれない。しかし実は、それほど長い間通れと言っているのではないのである。

世界道というは、どんな道あるやら分からん。
世上の道というものは、先々どんな道があるかわからない。

世界の道は千筋、神の道は一条。
世上の道は幾筋にも分かれており、どの道をたどればよいか明らかではない。
しかし神の道は、陽気ぐらしへの一筋の道である。

世界の道は千筋、神の道には先の分らんようなことをせいとは言わん。
世上の道は千筋であって、先々行き迷ってしまうような道もある。
一筋の神の道では、先々でどうなるかわからないことをせよとは教えてはいない。

ひながたの道が通れんような事ではどうもならん。
かならず先々に結構と思う道を見せるのが神の道、ひながたの道なのである。
そのひながたの道を通れないというようなことでは、どうにもならないのである。

どんな者もこんな者も、案ぜる道が見え掛けてはどうもなろまい。
たとえ、どんな者でも、悩まざるを得ない道が見えかけては、どうにも困ってしまうであろう。

一日二日経ったらと言うたら、どんな事やと思て居たやろ。
今までも「一日二日経ったならば」と神が先のことを言えば、お前たちは、それがどんなことかと思ってきたであろ。
しかし素直に、この道を通っておれば、それでまちがいないのである。

ちゃんとしてやる道は見るも同じ事。
この道こそたすけ一条のために神がつけた道であるから、かならず、このさき結構になってくるということは、この目で見るように明らかなことなのである。

ひながたの道を通らねばひながた要らん。
たすけ一条のために示した、そのひながたの道を通らないようならば、教祖が示したひながたの道というものは必要がなくなってしまう。

ひながたなおせばどうもなろうまい。
ひながたをしまいこんでしまって通ろうとしないようなことであっては、神の思いは無意味になってしまう。

これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや。
このことを、よく聞きわけて、どこから見ても、なるほどひながた通り、りっぱな通り方をしていると言われるようにしたならば、それで、まちがいないのである。

十年あとのみちは、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。
立教後から十年ほどの間は、どんなことを教祖が説いて聞かせても、どれほど説いても、人々はみな「そんなことはない、何をばかなことを言ってるのか」などと言って、すこしも信じようとはしなかった。

国々の者やない。
このことは決してぢばを遠くはなれた国々の者ばかりのことではない。

そこからそこの者でも分からなんだ。
ほんの、この近所の者ですらわからなかったのである。

なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽くせん道を通りて来た。
けれども十年たち二十年たち、その間、言葉でも表現できず、筆をもってしても書きつくせないような容易ならぬ道を通って来たのである。

なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。
しかし、それとても千年も二千年も通ったのではない。
わずか五十年の間のことであった。

五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。

その五十年の間のひながたの道すがらを、五十年とか三十年通れと言えば、お前たちにとっては、むずかしいであろう。

二十年も十年も通れと言うのやない。
しかし神は、二十年も十年も通れとは言わない。

まあ十年の中の三つや。
十年のうちの、いわば三つ、即ち三年千日の間を通ってくれと言うのや。

三日の間の道を通ればよいのや。
たとえ三日の間でも、教祖のお通り下されたあの当時の教祖のあの誠真実の心で通るならば、必ずや三年千日は通れるのや。

僅か千日の道を通れと言うのや。
その三年千日を通ってくれと言うのや。

千日の道が難しのや。
が、その千日の道が、なかなか人間心ではむつかしいのである。

ひながたの道より道が無いで。
教祖によって示されたひながたの道のほかには、陽気ぐらしへと通ずる道はない。

何程急いたとて急いだとていかせんで。
たとえ人間思案で急いでみたところでどうにもならないのである。

ひながたの道より道無いで。
ひながたの道よりほかには、たしかな道がないということを、お前たちは、しっかりと心に治めておかなければならない。

ひながたの道がどんな日もある。
ひながたの道をたどる上には、照る日くもる日と、どんな日もあるであろう。

ひながたの道にはいろ/\ある。
また通り方も形の上では、いろいろにあるであろう。

誠の道も蒔いた事がある。
たとえば本席が、誠真実をもって通った道すがらのことも、お前たちは聞いたことがあろう。

なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。
けれど、そうした中に、何年たてばこうなるという、たしかな筋道があらわれているであろう。
実際に神の話は、はずれていることはあるまい。
このように年限つんだこうのうの理は、何時かは、かならず現れてくるものである。

世界には何を言うやら大工がと。
本席の生涯を見るがよい。世間では「大工が何を言うやら」とか

日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。
「日本一の大工やというが何を言っているやら」とみんなで笑っていたのである。
しかし一途に、真実をもって通ったからこそ本席に定められたわけで、こうした事実を、よく思案しなければなるまい。

十のものなら八つという。
たとえば、十のものなら八つという、

後二分の処放って了うは八分という。
あと二分のところで放ってしまえば、たしかに八分だけ通ったことにはなるが、それでは決して充分ではないし完全ではない。
これまで通った八部の道も、それでは意味がなくなってしまう。

難しい。
ここがむずかしいのである。

後二分というたら僅かや。
あと二分と言えば、わずかなことである。

まあ何年居てくれたら、内も結構や。
けれども、もう何年か教祖についてきていたなら、内々とも「結構やなあ」と言えるようになる

なれどもどうも半端である。
なのに、あと二分というところで放ってしまうのは中途半端であって、充分の理にはならないのである。

十年の間、八年の間の苦労は容易やない。
十年間とすれば、八年の間の苦労は、なかなか容易なものではない。

なれども、まあ後二年は何でもない。
しかし八年通れば、もうあとの二年は、それにくらべれば何でもないことなのである。

八方明けたら明らかや。
そこで、この二年を通りきりさえしたならば、充分の理となり、八方あけて明らかな道が見えてくるのである。

もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮はない。
もうわすか、いわば最後の三日、すなわち十のものなら、最後の二分を通りきるしんぼうをしとげたら、誰に遠慮気がねもなく

皆貴方々々と言う。
みんなに「貴方々々」と仰がれるようになるのである。

ひながたの道が出してある。
お前たちの通りよいように教祖のひながたの道を示してある。

ひながたそばにある。
そして更には、そのひながたを素直にたどった本席の手本雛形の道がお前たちの身近にある。

めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。
だから、お前たちも、いかに苦労の道中があろうとも最後まで通りきったならば、あとあとの手本になる道をつくることができるのである。

以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。
本席にしても、昔はみんなと一緒に、「おまえが、おれが」と言った仲で通ってきたのである。
それが本席となったというについて、その理を、よく思案してくれなければならない。

三日の日には越せんという理はあるまい。
そうした本席の手本雛形の道が目の前にあるのだから、お前たちにしても、しめくくりの最後の三日間を通り抜けられないという道理はあるまい。

どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。
誰でも教祖のひながた通りに通りきったならば、ひながたを目標に通りきった本席の道と同じように受け取ってやろう。

まあたった三日や。
それも、最後のわずか三日間を通りきるか、どうかのことなのである。

三日は分かろうまい。
しかし、この三日が、どんな三日であるかわかるまい。

今と言うたら、今の事にように思う。
今日の結構な日の三日のように思うであろうが、そうではない。

ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。
ひながた通りに道をたどるならば、ほんのわずかの年限の間に「なんと分からないものだなあ」

前々は我が俺がと言うていたなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。
「昔は、おまえが、おれがと言い合っていた間柄なのに、どうも、あんなえらいものになるとは知らなかった」と、みわなから言われるようになる。
そうなるのも、またならないのも、実は三日の間を通りきるかどうかである。
すなわち最後まで通りきるかどうか、あるいは十のものなら八分まで通って、あとの二分を放ってしまうか、しまわないかにかかっているのである。

三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。
その最後の、いわば三日間のしんぼうさえしたならば、どんな結構な道が現れてくるかわからないのである。

あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。
教祖五年祭を迎えるに当たって、このやしきは、あちらの地所もせまいし、こちらの地所もせまい。

あちらも広め、こちらも広めに運ぶ。
だから、あちらもこちらも広めてかからなければならない。

三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。
それが成るも成らないのも、みんなが、いわゆる三日のしんぼうをするかどうかの問題である。
ここで心定めをした三日(三年千日)を真剣に通りきったならば、それがどれほど大きな理となるかわからないのである。

一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあという日は、まあ三年の間や。
教祖五年祭まで一日々々と日が近づいてきている。
どこから見ても、どこへ出ても、実際に現れているすがたを見れば見るほど、「ほんに教えられた通りになったなあ」と言うような日がくるのは、まあ三年の間のことである。

三年経てば、偉い事に成るのやで。
三年たてば大きく展けてくるようになるのである。

三年の道は直きや。
その三年間の歩みは、じきにたってしまう。

そこで、難しい事せいとは言わん。
そこで、お前たちに、この三年間の通り方を教えている。
むずかしいことをせよと言うのではない。

古い型のひながた、見えてある事分からん。
これまでに手本となる道すがらを示してあることが、お前たちには、よくわかっていない。

一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという処から、一寸道を開き掛けた。
教祖が現身をかくしてから一年後には、もうこれで大きな道に、ほとんどなるかと思われたのに、いろいろの事情で、どんと行きづまってしまった。
そこでお前たちは「これではならん」というところから、あれこれ手を尽くして、行きずまった道をやっと開きかけ教会を設置するまでになった。

まあ/\世界から見れば往還。
こうしたことを、まあ、世間的に見れば、往還道に出たと言えるかもしれない。

細道よりは通りよい、往還通り難い。
しかし細道は通りやすく、往還道は通りにくいのである。

何を言うと思う。
このように言えば、お前たちは「それはどういう意味であろう」と不審に思うにちがいない。
そのわけを言うと、つまり、この道は第一に心の道であるから、たとえば、細道を通る場合には心をくばり、つつしみ深く通るから危げないのであるが、往還道では、とかく心にゆだんして通るから、しばしば道をふみはずしてしまうのである。

往還通りにくいという理聞き分けたら、三日の間や。
こうした意味で、往還道は通りにくいものであるという道理を聞きわけたならば、このさき教祖五年祭まで三年、いわば、三日の間のことであるから、しっかりつとめてくれなければならない。

なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。
けれども、三年たてば大きな道になると言っても、それには、これまで苦労の細道を通ってきたという土台があることを忘れてはならない。

三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。
これからさき三年と言っても、三年やそこらのことは、教祖五十年のひながたの道すがらにくらべての三日のことだと思えば、なんでもないことではないか。

三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。
そのわずか三年の間のつとめを全うしさえすれば、どんなことがあっても落ちるに落ちられないようになるものである。

たったそれだけの事が分からん。
お前たちには、たったそれだけのことがわかっていない。

そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。
そこで神は、お前たちの一人々々が、それぞれの真実を寄せ合って一手一つで運んでくれるように望んでいるのである。

僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。
この、わずか三年の間のことを長い年月のように思うから、不足が出たり、いろいろの人間思案も出るのである。

たった三日の間や。
言ってみれば、たった三日の間のことである。

三年の道通れば不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。
すなわち三年の道をしっかりと通るならば、不自由しようにもせられず、難儀しようにも、することのできない結構な道を見ることができるようになるのである。

たった三日の間や。
それは今も言ったように、わずか三日の間の通り方によって決まることなのである。



以上、全文です。
「ひながたを通れ」と、繰り返し繰り返し、説いて下さっています。

ではその「ひながた」はどういうものなのか。
どんな内容なのか。
その詳しい内容は、また各々が掘っていかないといけませんね。

十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽くせん道を通りて来た。

というひながたの道です。

二十年といえばちょうど、文久・元治年代の頃までとなり、教祖が所謂「どん底」の生活を終える頃でありますから、家族親族の反対、近隣の罵倒、神官僧侶の反対等のさ中に、秀司様、こかん様のお二人と共に、文字通り筆舌に尽し得ない日々を送っておられたのであります。
おさしづを拝す

またその日々に関しても記事にまとめたいと思います。


今回、取り上げさせていただいたこのおさしづを心に治めて
親神様の方からここまで注意深くお説き下されている年祭活動の三年千日を、最後まで通りきれるよう
「年祭まで一日々々と日が近づいてきてい」ますので、しっかりと心をつくり、共々に勇んで向かわせていただきたいと思います。


ありがとうございました

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