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稿本 天理教教祖伝

(※稿本…まだ修正改善していく余地がある。原稿本。)


要旨

本の内容についてざっと書きます。
この本は、天理高校で教科書として出てくるぐらい、天理教の信仰者として大事なものであり、広く親しまれ読まれているものです。

天保九年(1838年)江戸時代の終わりごろに、現在の奈良県天理市にあった、何でもない農家の嫁であった中山みき様(41歳)に突然神様が入り込まれ、その思し召しを伝えられ創められた天理教の立教と教祖・中山みき様の生涯や教えを書かれている伝記です。

そしてその教祖(信仰者は中山みき様のことを教祖と書いて”おやさま”と呼んでいます)に神様が宿り歩まれた41~90歳までの50年間を”ひながた”といい、人間の生き方の目指すべき目標・雛型として残されており、それを実践させていただく基準となる書物です。

その50年間の半分ほどを極貧の生活で人も寄り付かないような中ご苦労下され、安産祈願のをびや許し病たすけによって、慕いよる人々が続出し広まっていきました。

そしてよろづたすけの根本の道である”つとめ”を教えられ、それは現在も世界平和や陽気ぐらしへの祈念を込めて、毎月26日に御本部でつとめられています。



2年ぶりぐらいに読みました。

久しぶりに読むと目を覚まさせられます。
境内掛にいたころに先輩が

「死にそうなとき教祖伝読んだら生き返るよな、、、」

と言ってました。

たしかに。
命が宿る。圧倒的な自己肯定感をあたえてくれる。って印象です。



さて、

社会で働いていると、お金に走る風潮や、

「成功したい」
「大きいことがしたい」
「しかも早くに結果を出したい」

などという風潮に影響されたり、周りと比べ焦ってしまったり、目の前の仕事がつまらなく感じたり、色んなことから喜べなくなってしまうことや、ついには生きる気力がなくなってしまうということさえあります。



教祖(おやさま)は四十一歳のときに神様が宿られ、それからは

「貧に落ち切れ、貧に落ち切らねば、難儀なる者の味がわからん」

との思召しのままに、家の倉に物がなくなるくらい家財道具一切を困っている人々に惜しみなく施しをされ、自ら貧に落ち切った生活をはじめられます。


教祖伝①

(①②③と3ヶ所抜粋します)

教祖の五十六歳から凡そ十年間の間は まことに容易ならぬみちすがらであった。  …更に酷しさを加える難儀不自由の中を おたすけの暇々には、仕立物や糸紡ぎをして、徹夜なさる事も度々あった。  …普通、一人一日で四十匁、夜業かけて百匁と言われて居たのに比べると、凡そ倍にも近いお働き振りであった。  

とあります。


世界一列をたすけたいという思召しから天下られたのに、実際の日常はただ貧の底に落ち切り、人の何倍も働かれた、というものです。

後年あんなにも急き込まれた”つとめ”を初めてお教えくだされたのも立教から三十年目。

極貧の生活を何十年も実にじっくりと、先を楽しんで歩まれました。

「どれ位つまらんとても、つまらんというな。」

と何の不足も言うことなく、ない中も喜んで通られるひながたをお残しくださっています。



教祖伝②

物を施して執着を去れば、心に明るさが生まれ、心に明るさが生まれると、自ずから陽気暮らしへの道が開ける

とあります。

喜べなくなってしまう心には、何かへの執着があるように思います。

教祖の日常を見たときに

教祖はやりたいことをしていたのか?毎日が充実していたか?不満はなかったのか?先が保証されていたか?早くに結果を出したか?人から賞賛されたか?
ということを考えると

もちろんその行動はすべて親神様の思召しでなされたことですが

そこには執着や欲はなく、いつもいそいそと喜んでおられるという姿をお残しくださっています。

欲があるから、不満が出てきたり喜べなくなるのだと反省させられます。



教祖伝③

難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋方無き事をせいとも言わん。 皆一つゝのひながたの道がある。 ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。 (明治二二 おさしづ)

とあります。

(おさしづ…神言。)


教祖がみずから身に行ってお残しくださったひながたは

僕たち信仰者の一番の目標で、お手本となる生き方です。

僕たちはどうやってもひながたを通らせてもらわなければなりません。

しかし自分の欲に負けてしまっていると、ひながたから離れたような通り方をしてしまうことも多く、自分自身、自己嫌悪になったり、できないんじゃないかと難しく考えてしまうこともあります。



しかしヒントになるようなことが

別の本で書いてありました。
撫養大教会の初代土佐卯之助先生を紹介している一節です。


大体土佐会長は教理より実行を重んずる主義であった。  
それも格別なことを求めるのではなかった。
日常の平凡な最低限のことを確実に果たしてゆくことを基本としていた。
つまり、小さいことが実行できないようでは決して大事は成るものではない、というのであった。
教祖の雛型をたどり、布教に専念する覚悟の人間であるなら、第一に早起きでなければならない。
日様がお働きくださろうというのに、まだうかうかと寝ているようでは それだけですでに失格であると常々くり返した。 
         (西山輝夫著「礎 柏原源次郎の信仰と生涯」)


小さいことの実行、、、

できていませんでした。

急上昇思考や欲が出て焦るというのは、自分がなりがちなところです。

今まで他の天理教の本を読んでも

すごい先人の先生の通り方をみて真似てみよう、やってみよう、とやってもそんな簡単にすぐできるはずもなく、その理想と、できない自分とのギャップにやられてしまってました。


そんなことばかりを繰り返していたように思う自分ですが、今回の教祖伝拝読によって

ひながたは一朝一夕でなるものではないと強く感じ

単純なことですが、これは自分にとってひとつ大きな発見ができたように思います。



まとめ

ひながたを通るといっても難しく、すぐには成ってこなかったり、思うようにいくことも少ない中だとは思いますが
でもそこで難しく大きく考えるのではなくて

目の前の小さいことをただ一生懸命に、人の何倍も働く。

何十年という先を見て、焦らずにじっくりと楽しんで一日一日を通る。

というようなことが
今すぐから取り組めて、先々で必ず大きく成ってくるひながたの実践だと今回感じました。
日々を大事に大事に積み重ねていきたいと思います。



ほんとに教祖伝は、どんな映画を見るよりも何倍も感動します。

久しぶりに読む機会があり、読んだところ

『ああ、忘れてた、この生き方やなあ。』と思いました。


今回、お道の本をもっと読んでいこう、勉強していこう

というきっかけが教祖伝です。


まだまだ未熟ですが、実践し、成人していけたらと思います。



ありがとうございました。



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