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30年間ありがとうございました!(大切なお知らせロングバージョン)

ボタンアコーディオンの安西はぢめです。日頃よりご贔屓に預かりまして誠にありがとうございます。

私事ではありますが、安西はぢめは2023年2月5日の誕生日を区切りにアコーディオン奏者としての自発的・積極的な演奏活動から引退する事にしましたのでここにお知らせします。

二十歳の時に最初のアコーディオンを手にして以来、丸30年間に亘るご愛顧、ご支援を賜り誠にありがとうございました。「アコーディオンの音色は人を幸せにする」をキャッチコピーに、「生演奏」にこだわって活動する中で、直接たくさんの笑顔に出会えて心から幸せでした。心から感謝申し上げます。

尚、レッスンや、人形町のモンマルトル・フランス家庭料理のシェ・アンドレさんの毎月第二水曜日に開催中の Le Soir avec un Accordeon(「アコーディオンの夕べ」)は変わらず続けますので「ボタンアコーディオンの安西はぢめ」としてお目にかかる事もあろうかと存じます(次回第97回は2023年2月8日)。引き続きこれからもどうぞよろしくお願いします。

長年、お客様に音楽を直接お届けしその場で反応をダイレクトに感じる事ができ、状況の変化に即座に対応できる「生演奏」にこだわってレストランや宴会場のテーブルを回ったり、大道芸の現場で試行錯誤したり、テーマパークで長く演奏させてもらったりして来ましたが、残念な事に長時間の立奏を続ける事が困難な身体になりました。特にショーアップされた大袈裟なムーブを長年続けたり、生音を大きく出す時に負担が大きい動きをして来た事が原因だと思っています(一般的な奏法をしている限りアコーディオンは特別身体に悪い楽器という訳ではありません)。追い討ちをかけたのがコロナ禍以降の現場の激減による体力の低下、そして昨年秋に初めてコロナ陽性になって以後続く倦怠感です。長年悩まされて来た慢性的な腰痛や背中、肩の痛みは従来から行って来た毎月数度のカイロや鍼灸によるメンテナンスでもあまり持続的な改善がみられず、現場への楽器と衣装など重たい荷物を持った移動だけで疲れてしまうという体たらく。廃業も視野に入れ一人色々と悩みましたが、ここに最終的な選択肢として積極的に楽器を弾かないという決断に至りました(2023年5月よりコロナ後遺症外来を受診し、加療に努めています。皆さんもコロナ罹患後の体調にご注意ください!)

初期のアーティスト写真

振り返れば、35回を数えた自主企画「ミュゼットパーティー」では好きな曲を好きなだけ弾き、たくさん勉強もさせて頂きました。大好きなギタリスト河野文彦さんに数多く助演して頂いて「特等席」でミュゼットを弾けた事が私自身一番嬉しく刺激的な自主ライブでもありました。フミ君、忙しいところたくさん弾きに来てくれて本当にありがとう。また「ミュゼットパーティーで初めてミュゼットを知ってアコーディオンを始めました」という方にも出会ったことがあり、私が楽しむだけでなく、何かしらをお届けする事が出来たのではと自負しています(2015年10月30日〜2017年2月5日。ミュゼットに特化した定期ライブ&セッションイベント。ご来場のお客様、並びに長く会場を提供してくださった四ツ谷の小さな喫茶店ホメリの宮内さんのお名前も記してここに感謝します)特に最終回は25周年CDの発売イベントも兼ねて行わせていただき、たくさんのお客様がお出でくださり感動しました。クラウドファンディングで作らせて頂いた記念CDはもう残り少なくなりましたが、お陰様で私の名刺代わりになりまして、とてもご好評を頂いています。ご支援くださった皆さんのお陰で実現したものと、改めて感謝申し上げます(購入ご希望の方はお問い合わせください。残部僅少)

河野文彦さんと知り合って間もない頃(撮影年不明。約20年前)私のCD制作にもギター・バンジョー・マンドリンで参加して頂いて、彼のゴキゲンなプレイを収める事ができました。

2回目の挑戦、第4回オーディションで合格を頂いた「ヘブンアーティスト」のライセンスは6年間ほど活用し、都営大江戸線の上野御徒町駅の構内や、東京都美術館の中庭などで多い時には月に20日近く稼働して家賃を捻り出していた頃もありました。この頃知り合い、ご一緒させて頂き多くの事を学ばせて頂いた芸人諸兄やイベント関係の皆様と今もご縁が続いている事にも心から感謝を致します。右も左も分からない私を懐深く迎えて多くの事を教えてくださって本当にありがとうございました(スタジオ・エッグスさんの制作で、ダメじゃん小出、ふくろこうじ、両大先輩と共に3人の公演をさせてもらった事があったなんて、今振り返ると夢の中の出来事のようです)

レギュラーを長く弾かせて頂いた墨田区の割烹ちゃんこの名店「吉葉」様。週に2回、バルーンのパフォーマーと「和装で懐メロ」という現場。足掛け7年ほど務めさせて頂きました。ある年の正月には出て行ったら正面の席が25歳で辞めた会社の上司一行のテーブルだった事があって、心臓が飛び出るかと思うほどびっくりしました。テーブルに行って「あの頃は給料分働きもしないのに生意気ばっかり言ってすみません」とお詫びとご挨拶ができたのも良い思い出です。神様のイタズラ、そして必然って本当にあるのだと思いました。

この頃は写真の表情もまだ固くて初々しさがありました

舞浜の大手テーマパークには、2005年の夏イベント以来2017年11月まで足掛け13年出演しました。ある時は灯台のある岬の近くで村人の一員としてアイルランド音楽を演り、またある時はニューヨークで一番のお調子者トリオの一員としてバイオリンや洗濯板と共にお祝い事をして回ったり、ハロウィンの頃やクリスマスの時には折々の衣装を着て季節の曲を楽しく弾かせて頂きました。メキシコのフルーツ農園のファミリアの一員に加えて頂いた年もありました。来園している子供たちとヒーローを目指してトレーニングに励んだ日々もありました。ここでの経験は何にも替え難く、私を形作るものの中ではとても重要ですし、面白いエピソードも多いのですが契約の都合上、守秘義務があって書けないことがたくさんあるのがとても残念です。お客様が綺麗に撮ってくれた写真もたくさん頂いてますが、それをここにシェアすることもできません。けれども、長い間に何十万人という方の目に触れて誰かを笑顔にできた事、そしてこの時に出会った仲間と今も深い親交があって信頼を築いている事が宝物です。キャスティングしてくださった皆様や共演者の方々、音楽事務所「センターランド」の方々、全てのお客様に感謝しています。(番外編として、オフィシャルホテルの中華レストランに、大人気スペシャルイベントの衣装を着て二胡のソロでテーブルを回った年もありました)

西島秀俊さん主演「シェフは名探偵」の第3話ではシャンソン歌手役のシルビア・グラブさんの伴奏役として映像作品にも起用して頂きました。事前の録音並びにレストランシーンの撮影に参加させて頂くことで、新型感染症の感染防止に努めながら作品を作り続けている人々の姿を垣間見て感動しました。当日は近藤史恵さんの原作「タルト・タタンの夢」を読み、その回の重要なモチーフになっている「フェーブ(お正月にケーキに忍ばせる陶器製のチャーム)」をポケットに忍ばせて現場に行きました。不勉強で佐藤寛太さんを存じ上げなかったのですが、店内ライブのシーンではニコニコと楽しんでいるお芝居をしておられたのが印象的でした。待ち時間が出た時、離れた場所からマスク越しに目から上だけでにらめっこして遊んでくれて「イケメンなのに気さくな方だなあ」と思いました。撮影終了した時、近くを通って楽器に興味を示して「これどうなってるんですか?」と質問してくれました。二、三お答えしたのですが、まさか25万人以上フォロワーがいる人気者とは知らなかったお陰で普通に受け答えできたのかも知れないなと思っています。木村ひさし監督や皆さんも大変優しくしてくださいまして、とても良い思い出です。西島さんは直接お会いするとスラリと上背がある方で、間近に見ると圧倒されてしまい緊張して挙動不審になってしまいました。ご無礼をお詫びします。そして気遣いの方で、いち早くエレベーターに乗り込んでボタンを押してくださいました。どうもありがとうございます。伴奏者としてお供させて頂いたシルビアさんは終始素敵なムードメーカーさんでした。随分前に帝劇ミュージカルを観に行った後、友人の楽屋見舞いをしたらその時エレベーターで同じになった事があり、小柄で可愛らしい方だというのはお見かけしていたけれど、とても気さくで素晴らしい方でした。「父が趣味でアコーディオンを引いていたので、耳慣れた懐かしい音だわ」とおっしゃっていた通り、アコーディオンで伴奏をつけてもバッチリでした(普段ピアノ伴奏で歌っていて、アコーディオンの音色に慣れていない人の中には、音が取れなくなる人もいたりします)事前に録音して、撮影ではカメラアングルを変えて同じシーンを何度も「弾くふり」しますので、音が出ないように谷口楽器さんでアコーディオンの中身を抜いてから臨んだりとこちらなりの工夫を重ねました。メディアとの接点が少ない私に貴重な経験をありがとうございました。

無我夢中あっという間の30年でした

五大路子さんが座長の「横浜夢座」公演には何度もキャスティングして頂き、お芝居やその音楽にも携わる事ができました。横浜は生まれ本籍地で縁が深い土地ですので、横浜に所縁がある題材だけを取り上げる「夢座」さんの活動には思い入れが深いものがありました。特に「奇跡の歌姫 渡辺はま子」は再演にもお声掛け頂きモンテンルパからお帰りになった皆さんのお集まりにも加えていただくという大変貴重な経験をさせて頂き、平和への思いを新たにしました。数多くの共演者やスタッフの皆さん、そしてご観劇の皆さんへ記して感謝をお伝えしたいと思います。

「岩下の新生姜」でお馴染み、漬物の「岩下食品」さんが運営する新生姜ミュージアムで開催されたダニエル・ビダルさんのコンサートでは伴奏を仰せつかってヒット曲「オー・シャンゼリゼ」をご一緒させて頂いたこともありました。その他にも「パリの空の下」なども伴奏させて頂き、今も忘れられないとても楽しい1日でした。

「TOKIOの国分太一さんにアコーディオンを教える」などという仕事がなかったら、一生お会いできないであろう国分さんと数時間でもご一緒できて、こちら側こそたくさん学ばせて頂きました。メディアでお見受けする通りの穏やかで素敵なお人柄でした。その節はどうもありがとうございました。

光栄な事にアコーディオンのご縁で李香蘭こと山口淑子さんとプライベートで一日ご一緒させて頂いたこともありました。その日の面白いエピソードが色々とあるのですが、一つご披露すると、私も何か一曲弾くという事になり、山口さんのレパートリーでもある「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d'amour)」をご披露したところ、演奏後しばらく沈黙の後「誰もが知ってる曲を弾くって難しいわね…」とおっしゃった事を今も時々思い出して、冷や汗がでます。早いもので、もう鬼籍に入られてから9年が経ちました。

凛とした美しい方でいらっしゃいました

などなどなど、アコーディオンを通じて、本当に書き切れないほど、数え切れないほど貴重な体験をさせて頂いたり、たくさんの方に会わせて頂いたりして来ました。それは逆に、数多くの方々の人生の1ページに参加させて頂いている可能性があるという事でもあります。改めて、貴方の人生に参加させてくださって本当にありがとうございます。感謝は尽きません。本来ならば、関係各所各位、またお世話になった皆様、応援してくださるファンの皆様お一人お一人にご挨拶してご報告したいところではありますが、略儀にてお知らせ致します事をお赦しくださいませ。

尚、先に書きました通り引き続きレッスンは続け、レギュラーのお仕事に関しては満了するまで有難く継続させて頂きます。また、お声がかかる機会がありましたらご相談の上、責任が持てる範囲でお引き受けさせて頂きます。

今後につきましては専門性を生かして原点に戻り、アコーディオンを手にする前から学んでおりました中国音楽のレッスンを中心とした音楽活動にシフトして「中国音楽の小学校」をコンセプト旗揚げした音楽教室「創樂社」を通じて、豊かで幅広く奥深い中国音楽について啓蒙や教育、教材の開発を続け、より多くの方にその愉しさをお伝えし、死ぬまで音楽には携わって参ります。さらに昨年来、恩師坂田先生の代行を勤めさせて頂いている国史蹟 湯島聖堂芸術講座「中国音楽入門」講師にも本格的に全力で取り組んで参ります。どうぞこれからもご支援をよろしくお願いします。

二胡を始め、中国の民俗楽器に興味がある方はぜひお気軽に!実は、中国はアコーディオン大国でもあるので、こちら界隈でもまたアコーディオンをご披露する事もあると思います

「安西はぢめ」こと安西創(あんざいはじめ)より心からの感謝を込めて

まだまだ音楽活動は続きます。引き続き応援してくださる方を募集しています。これからもどうぞ温かいサポートを宜しくお願いします。投げ銭はこちら。任意の金額を設定していただけます⬇️


いつも温かいサポートをどうもありがとうございます。お陰様で音楽活動を続けられます!