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無意識のうちに抑え込まれている感情があるみたい【#71】

あんざきです。

久々の日本で、缶ハイボールの恩恵を全身で浴びています。
あと、缶レモンチューハイも。

日本の缶飲料は最強だと思います。

***

知らず知らずのうちに、気持ちが抑えられてることってあるよなぁと思います。

今の僕の状況は、「コロナ禍にベトナムから日本に帰国してきた人」です。

2021年7月現在、この人たちには、、、

・入国後3日間、検疫所指定の場所で待機
・入国後14日間、自主隔離

という措置が取られます。

今は自主隔離期間中です。

最初の3日間は、ベット+人ひとり歩くスペース、くらいの部屋で、
一歩の外出も許されませんでした。

そこから自主隔離期間となり、多少広いホテルに移り、
外出は最低限可能、という状況になりました。

ちょっと広くなるだけで全然気分が違う。
外にも対して出ないけど、「出ても良い」っていう環境になるだけでまた違う。

そう、痛感したので、、、

「閉塞感とか強制って、知らぬ間に人の気持ちを押し込めるのかも」

と思いました。

実際、最初の強制隔離中も、そこまで不快だとも思っていませんでした。
「まぁ、こんなもんか」と自分を納得させていたのだと思います。

そこから”自主”隔離となると、思った以上の開放感を感じたわけです。

「抑え込まれている」という自覚無しに、抑え込まれていたわけです。

で、これは多分、社会生活にも転用できるんだとおもっています。

社会規範、社内規定、暗黙のルール・・・

社会には、いろんな制限があります。強制があります。
それによって、閉塞感みたいな感情が生まれます。

ひっくり返す前に言っておきたいのですが、
このような制限は決して悪いものではありません

誰でもなんでもしていいし、人に迷惑かけていいし、どうでもいいよ!
という社会だと、きっと混乱を招き、崩壊することでしょう。

その崩壊を防ぐために、先人たちは様々な制限を作ってくれました。

動物的な生態系というやつから、人間的な社会に変わってきたわけです。

ただ、それが閉塞感・強制力を持って、制限どころか拘束してしまうこともまた事実です。

制限があることによって、それに適用して生まれるアイデアもあれば、
その制限によって失われるアイデアもあるはずなんですね。

3年前、日本の会社のルールで働いていたときは、
一つの物事が承認されるまでに数日かかっても、なんの違和感も感じませんでしたが、

一度海外で、自分たちでルールを作った後に戻ってみると、
「たったこれだけのことに、こんなに時間かけるのか!?」と、憤りを感じるほどです。

大事なのは、、、

ルールには人を人たらしめる効果がある一方、
人の思考や感情を、気付かぬ間に抑えこんでしまう、という側面がある

それを分かった上でルールを動かしていくことなんだろうなぁと思います。

わかるためには、ルールの中と外を行ったり来たりして、
「本質的にお得なのはどっちかしら?」という井戸端会議を、
周りの皆さんとしていくことがいいのかもしれません。

***

無意識って怖いですよね。

でも、無意識って可能性ですよね。

ではまた。

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