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25回目に寄せて

ある日①
25歳になりました。25年は四半世紀ともいいます。自分の生きてきた期間に「世紀」って序数詞がつくの、なんかすごいですよね。

「裁判所は、婚姻期間にあたる1995年6月から2020年12月の最低賃金をもとに、25年間の「家事」が20万ユーロに相当すると算出。2人の娘の養育費と合わせて男性に支払いを命じた。」

朝日新聞デジタル, 2023,『25年間の「家事」は3千万円に相当 スペイン、元夫に支払い命じる』
https://www.asahi.com/articles/ASR383DVDR38UHBI00N.html

自分が生きてきた期間で、家事と育児をしたら3000万くらいになるらしいです。本当に親に感謝ですよね。かけた時間や労力をお金に換算しちゃうくらいには、大人になりました。こんなの聞いちゃうと、そりゃ少子化になるよなと、納得できます。25歳にはもう娘と息子がいたなんて、両親はどんな責任を背負っていたんだと震えてしまいます。

子どものころに想像していた大人は、もう少し余裕があると思っていました。この余裕というのは、精神面だけではなく金銭面もです。今すぐに生活が立ち往かなくなるわけではないけれど、自分が心からしたいことを金額で躊躇することがある悲しみを、自分でお金を稼ぐようになった大人のほうがむしろ感じている気がしています。

もう一つ、大人になってから日々考えていることがあります。それは、世界のあらゆる理不尽や不正義に対して何ができるか、ということです。
わたしは大学でジェンダー研究に取り組み、未だ遅々として進まないジェンダー平等について勉強しました。わたしが机に張り付いている間に、周囲には平和について考えてついに現地に赴いた人がいたり、環境について考えてついに畑に入り浸っている人がいたりしました。彼/彼女たちの活発さに、わたしはなにもしていないように感じたものです。大学を卒業したわたしは、相変わらず論文や書籍を読みつつ、折に流れてくるニュースに知ったような口を利くだけです。大学時代からたくさん勉強したけれど、まだなにをしていいかも、なにができるかも、本当はよくわかりません。世界には苦しんでいる人がいて、誰かを救おうとすると他の誰かを見捨てた気になって、どうにも動けないのです。無力さに泣きそうになるときがあります。想像していた大人はもっと力強いものでした。

今年も6月になりました。6月はプライド月間と呼ばれてます。それを知るまでは、6月は自分の誕生日の月でした。とくに祝日もないし、梅雨でジメジメしていて、低気圧に気だるくなるような月に唯一あるイベントが自分の誕生日だったからです。

6月のカレンダーに目をやると、5月と7月が薄い文字になっています。大抵のカレンダーは日曜日から始まっていて、真ん中には水曜日がいます。土曜日や日曜日はいつだって端に追いやられています。わたしはしばしば、6月における5月の最後の日曜日みたいな人のことを考えます。社会の端に追いやられて見えにくくされている人たちのことです。もう考えすぎてカレンダーからも不平等を見つけられるようになっています。この発想の飛躍、そのわからなさはもう笑っていいのかもしれません。ただ、わたしたちの社会が、6月における5月の最後の日曜日みたいな人を放っておくことには、決して笑わないでください。

25歳になりました。さすがにもう行動しない言い訳を並べるのにも飽きてきました。わたしはわたしの無力さに泣きそうになるけれど、世界には他者から(特定の他者だったりしばしば匿名の社会だったりする)の暴力で泣いている人がいます。それを思うと、わたしの涙はもう、とっくに怒りや優しさに変わらなければいけないんだと、奮えるものです。そこで、25歳の1年間ではあれこれやってみることにしました。とはいえ、実はまだなにをしたらいいかわかりません。まずは少しでも資金が回ったり、小さくてもコミュニティができたらいいだろうなと思っています。
どの文字も薄くないカレンダーをつくるのもいいかもしれませんね。そのカレンダーは、珍しく木曜日と水曜日に端っこになってもらいましょう。

ちょっといい醤油を買います。