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『地中海世界』フェルナン・ブローデル - 陸地

これから定期的に本の「自分なり」の趣旨を章ごとに1000字で書いていきます。主に欧州の文化に関する本です。

先日、近畿大学で経営学を教える山懸正幸さんと話している時、会話が「あらためて、文芸史や美術史などを勉強したくなってきましたね」との流れになりました。というのも社会科学系の人たちの書くものばかり読んでいると、世界はとてつもなく大きな姿をした存在であることを忘れてしまうのですね。そこをやはり意識しておきたい、というのを同時に2人で思ったのです。で、読書会をやろうと。

かといって体系的にやる必要もないし、ぼくがミラノで手元にそう多く、その手の日本語の本をもっているわけでもないので、とりあえず、ぼくが本棚にある本からやろうということになりました。ということで標題の本でスタート。

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欧州側の地中海世界を理解するに海抜高度は鍵だ。南から北を遠く眺めればアルプスやピレネーという山脈が視界に入るわけだが、海上の近くにあっても、厳しい崖が連なり、その先に丘上に都市がある。今も山間部にこそ、古い習俗が残る。

丘や山地よりも平野において農業は安定して規模を確保できるが、そうしなかった。致命的なマラリアや多数の戦争の災厄から生活を守るには、山腹の斜面のに張りついた方が(例え農業生活が困難であって、人口が密集しても)、有利だったのだ。

だから、そうした海抜高度の高いところに住む人たちが、その後、例えば中世以降、出稼ぎに山を下りる。傭兵、召使、行商、渡り職人、煙突掃除人といった分野で「平野の人手不足を」補う現象が見られることになった。

特に、この現代にあっては地中海世界というと快楽的な楽園とのイメージがある。しかし、実際には困難と不安定で、人と対立しやすいから、人の生活は簡素に徹するしかなかった。よって、平野の都市の一部の富をもって地中海世界の文化度を賞賛する愚は避けないといけない。

なにせ、産業革命以前、人口の80-90%は田舎に生活していたのだ。

オリーブ、葡萄、小麦の3つを基本として、地中海世界の農業と生活のバランスが成立していた。また、これらに加え、豚肉の保存による「塩漬け肉」が救いをもたらした。この組み合わせのなかで、キリスト教圏ではないもう一つの地中海世界、イスラム教では葡萄酒と豚肉を絶った(さらに海産物にあまり重きをおかない)ことが、文化を分けた。

さてオリーブと葡萄は比較的安定していた。輸出もされ上手くいったが、小麦はパンの消費も含め、この世界の歴史のなかで、常に果てしない悩みの種となる。政治的な交渉の重要案件であり続けた。

繰り返すが、派手なお祭り騒ぎは一部の限られた習俗であり、地中海全体における象徴的な行事ではなかった。農民の宴会でさえ質素である。自発的な節制した生活なしに人は生きていけなかった。

とするならば、深い海溝に囲まれ火山活動と地震の地域(そのうえ、常に他の世界からの侵略を受けてきた)地域で、早咲きの豊かな、それこそ黄金ともいえる文化的な繁栄は、どうして成立しえたのか? 

単に一部の搾取によって可能であったとは言い難い。それでもそのような高度な文化のある世界が持続した。その謎に多くの歴史家が関心を寄せてきたわけだ。

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