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ブローデル『地中海世界』-空間

人口サイズが小さくても町として成立できたのが地中海世界の特徴である。1000人もいれば産物の交易で生活可能であった(他の地域ではその倍でも困難)。それらが密なネットワークを形成し、この世界の東の端から西の端までを覆った。ただシステムの運用には差があり、例えば東では水の分配において貴族社会的な対応を図り、西では平等主義的であった。

都市の構造は基本的におよそ同じである。時代を経て社会システムに変化をきたしても、都市構造はさほど変わらずに維持されてきた。それは農業を支える田舎との関係においても同じで、都市に社会の価値や威信の基礎があったのである。田舎の住人の多くは、威信とは距離がある生活をする人々だったのだ。

現代の都市計画は紀元前5世紀のギリシャに生まれた。碁盤の目の街区とのコンセプトである。ローマ、ルネッサンス、バロック、現代に至るまで機能ではなく、精神の支配を頂点に秩序を明瞭に示すモデルとしての都市に意味がある。ただし、この意味は家の外壁までである。

公と私が分けられ、男、女、子どもなどの関係は「壁の内」に隠される。女の部屋が優先され、男は夏であれば外で寝ることもある。古代ギリシャやイスラム圏でも同様の区分けが適用された。往々にして現在、西ヨーロッパでは女性の公的シーンからの排除をイスラム圏文化として見がちである。だが、そのリアリティは地中海世界に共通の女性の受胎能力への賞賛と紐づけて手繰らないと見えてこない。

名誉。これは地中海世界においては、金持ちよりもむしろ貧乏人にとっての唯一の財産でもあった。外部からの一切の侵害を防ぐ集団維持のための価値である。名誉が個人的な性格を帯びるようになったのは、社会が家系から夫婦を単位にしたキリスト教社会以降の事象である。

都市空間に上記の関係を投影すると、家は休息と禁断の守るべき空間である。公的都市空間は開かれた場ではあるが、労働と自然の田舎との対比におくと、非労働行為、儀礼、祭りといった行為の場であり、神の保護のもとにあった。それにより都市には必ず方向性が明確に示され、教会や建築物、あるいは道をふくめた構造における「軸線」が問われることになる。

その都市に流れる時間は労働の単調な規則的なリズムではない。沈黙と言葉が不連続に生じる時間であり、あらゆることに思考と議論を用意する空間が都市であり、男たちの社会的な位置を確定して認識するメカニズムがあった。

<分かったこと>

前近代的と思われる慣習や社会の仕組みを成立させていたロジックをもっと学ばないといけない。我々は前近代の「遺物的」な現象を否定的にみることが多く、それらが「遺物となる前」、いやその慣習が生まれた当時のロジックを知る手間を煩わしいと思ってしまう。だから実に簡単な形容詞をつけて「遺物」をゴミ箱に捨ててしまう快感に身を委ねがちだ。しかし地中海世界をイスラム圏とキリスト圏の「共通の里」として捉えると、何が前近代で近代かの基準は脆くも崩れることが実感しやすい。自らの悪習も脱したい。

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