見出し画像

意味のイノベーションとコンテクスト

この年末年始の休暇を使って、Ezio Manzini "Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation"を読みながら、デザインや「意味のイノベーション」をソーシャルイノベーションの文脈で考えている。マンズィーニはサービスデザインの源を作った1人だ。

ぼくが監修・解説で関わったミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティの『突破するデザイン』が出版されたのが一昨年7月。その数か月前に立命館大の八重樫文さんと『デザインの次に来るもの』を出した。したがってこの1年半以上に渡って、「意味のイノベーション」のエヴェンジェリスト的な活動をしてきていることになる。

一方、ベルガンティ自身は大学の経営学系とデザイン系の研究者でチームを立上げ、デザインマネジメントの「使い分け」実態リサーチを行い、その結果は以下の冊子でも昨春に発表している(上の画像はその一部。「意味のイノベーション」をデザイン思考2.0の1つとして自ら位置付けている)。この研究会は当初イタリア国内企業向けのプラットフォームとして発足したが、現在はグローバルプラットホームに進化し、且つ2度目の実態調査を実施している。

また、これとは別にミラノ工科大学経営系の研究者が集まり、クリエティブリーダーシップをテーマにしたプラットフォームも昨年秋から稼働させている。こういう状況でぼくも、色々と頭の整理をする必要もあり、冒頭で書いたマンズィーニの本を読んでいる。

ベルガンティ自身『デザイン・ドリブン・イノベーション』や『突破するデザイン』のなかで書いているように、彼はマンズィーニとは90年代後半から議論を重ねていて、2人の論点に共通するところは多い。特に「意味のイノベーション」はソーシャルイノベーションと密接な関係があることを、ベルガンティが強調していることをみても、「真意はそこにあり!」といった感じだ。コンテクストの大切さを理解することなしに、「意味のイノベーション」の理解に辿りつかない。

ちょうど偶然にも、およそ10日前、デザイン会社のTakramのポドキャストで「意味のイノベーション」が取り上げられていた。コンテクストデザイナーである渡邉康太郎さんが「意味のイノベーション」に注目しているのは、前述の理由でとても合点がいった。ポドキャストに対する反響があったようで、渡邉さんはベルガンティがTEDxで話した趣旨を日本語にした。ツイッターを見ると、それなりの数の人たちがこれを読んでいることが想像できる。

話は飛ぶ。

昨年10月、ユーザーイノベーションを研究する本條晴一郎さんが六本木のデザインハブで「分野の壁を越えて見える意味のイノベーション」という話をしてくれた。自身が物理学者から経営学者へ転身する過程と背景を説明しながら、コンテクストと意味の関係を明かす彼の話は、「伝説的になるだろう」と思わせてくれるほどに面白かった。

もともと2017年、IT批評家の尾原和啓さんが本條さんを『突破するデザイン』をネタにしたトークセッションに呼んでくれ、そこで知り合った縁だった。本條さんは2011年に出した『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』を出版時点で読んでくれていて、「ローカリゼーションと当時の研究課題であるハラスメントが繋がった」と言う。

ローカリゼーションもコンテクストとの関係が鍵になるテーマであり、ぼくは10年以上、コンテクストという言葉を前に格闘してきているが、彼の話を聞いて、ぼく自身がローカリゼーションを考えるに前進できなかった部分が、これで前に進めると確信した。本條さんに「安西さんが意味のイノベーションに関わるのは、ローカリゼーションの延長線上にあるからでしょう」と指摘され、「ああ、そうか!!」と気づいたほどに我が身のことは疎かになるとの教訓をえた。

渡邉さんにせよ本條さんにせよ、お2人ともコンテクストへの関心の高さから「意味のイノベーション」に興味を抱いている、というのは実に示唆的というか、メインストリームでの出会いと思っている。

こういう整理をしながら、今、今月、日本で何か所かで行う講演の資料を作っている。そのうち3つは公開の場。2つは告知済みで、1月19日は京都で「「意味」が問われる時代におけるモノづくりの仕組みと考え方」を話し、23日は東京で「意味が問われる時代のイノベーションとは?」をアート&ロジックの増村岳史さんと話す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?