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ナポレオンの行軍ののろさは、ユリウス・カエサルのときそのままであった。

読書会ノート

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第5章 技術革命と技術の遅れー遅かった輸送、技術史の扱いにくさ

交換は進歩しつつあるすべての経済社会の用具であるのに、その交換が輸送によって課される限界ー輸送の遅さ、輸送量の貧弱、その不規則性、原価の高さーによっていったいどれだけ妨害されてきたか。これを示すのがブローデルの意図であった。つまりはポール・ヴァレリーの言葉のごとく(本タイトル)。

世界、どこでも街道とはうっすらとした線でしかなかった。かといって、どうにでも引き直せる線でもなかった。宿駅がなければ、馬であれ、人の足であれ、ある距離を移動するのは厳しい(たまに野宿するにしても、だ)。途中にさまざまなサービスがあってこそ、旅が可能になる。そして、その街道の成功か不成功かは、ときどきの経済事情が上げ潮か下げ潮かによる。上げ潮のとき、街道は栄える。

何よりも注目すべきは、19世紀のヨーロッパにいたるまで輸送手段そのものに大きな進化がなかったことだ。4輪馬車の出現は16世紀後半である。乗合馬車は17世紀である。18世紀前半の記録によれば、馬、馬車、船、飛脚をもって、24時間の最大移動距離は100キロである。この距離を超えるのは大手柄であり、贅沢なことだった。

そして、この速さとは常に大都市とを繋ぐ路線において実現したが、その理由は敏速に払う代金があったからである。輸送の担い手は穀物などの収穫が終わったあと、冬の数か月など、西ヨーロッパの農民であり、貧しく乏しい報酬に甘んじていた。よって農繁期は輸送活動が停滞した。

輸送を請け負う会社は、利益が限られるためか大規模な資本家が手を出すようなものではなかった。輸送費は価格に応じて10%程度であったのだ。これは海上よりも陸上で高くついた。船は蒸気船以前でほぼ完成形に近づいていたのだが、道路の整備が大きく前進したのは19世紀である。技術の障害を越えたからではなく、大量投資・計画的・体系的改良の結果であり、それは利益を生むと気づいたからだ。

技術は人類の生活を前に押しやるが、同じリズムではなく、一気に押し上げ、その次には小刻みに進み、均衡を生むまでほぼアイドリング状態が続く。また、多くの技術史研究はそれらを産業革命前史として扱ってきた。例えば、農業は何千年にもわたって重要な産業であったが、農業技術が技術史研究のなかでまともに扱われることは少なかったのだ。耕地を広げることであっても、それは技術の結晶だったのだ。

実際、18世紀以前、科学者が実際問題の解決や応用には無頓着だった。そのころの科学技術とは職人の経験からの秘訣の集大政であり、15-16世紀の技師は兵学に携わり、建築家・水力技師・彫刻家・画家として技能を賃貸しした。

<分かったこと>

陸上交通に長い間発展がなかったのが、鉄道、自動車、高速道路によってこの100数十年、発展があったようにみえる。そして、例えば500キロを飛行機で1時間、高速鉄道で3時間、高速道路で5時間という現代にあって、これは大幅な発展であると言えるのだろうか?しかも、殊に高速道路では、運転手のまったくの不注意でそれなりの人数が死亡事故に巻き込まれる。

そんなリスクがあるなかで数時間の差に一喜一憂すること自体がとても古臭い価値観に縛られているような気もする。我々の「時間」に対する価値や考え方が、18世紀とあまり変わっていないとしたら、いったい我々は何をみるべきなのか?

写真:1767年、ダンケルク港の二重起重機。


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