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文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

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文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスの… もっと読む
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#デザイン

遊びの規則に対して懐疑はありえない。

文化の読書会ノート。 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』序説および第1章 文化現象としての遊…

正解のないラグジュアリー探求のプロセスに意味がある・・そして面白さがある。

日経新聞電子版の次の2つの記事を読むと、これまで画一的で固定的に捉えられていたラグジュア…

都市と農村をつなぐ食 ー 農業が社会を変えるとは?

新・ラグジュアリーのオンライン講座でガストロノミーを取り上げたことがあります。ボローニャ…

ミラノデザインウィークの行列風景が普通になった ー個人データが行列をつくる

数年前まで、ミラノデザインウィークである展示を見るために長い行列ができるのは限定された著…

意味が問われる時代のカラー ーミラノデザインウィークに関するメモ 2

今年のミラノサローネ国際家具見本市を核としたミラノデザインウィークにおいても、素材メーカ…

デザインとアートの接近をみる

従来の枠組みが壊されても、すべてがボーダーレスになるわけでもなく、なんらかの新しい区切り…

インテリアの色の選択に潜む「内なる保守性」を壊そう!

インテリアの色を考えるのって、結構、保守的になりやすいと思います。白の壁を基調とすると、どうしてもミニマリズム志向の罠にはまります。無駄を省こうとすれば、なおさら色への挑戦はしづらくなる。 来月、引っ越しをするので新しい家具などを選びながら、自分の内に潜む「保守性」に気づかされます。 例えば、白い壁に白系統の大理石にどのような生地のソファが良いか?黒いピアノを壁によせておくと、白と黒のコントラストが強すぎないか?悩みは尽きないばかりでなく、家族のなかでも趣味は違います。

ミラノサローネの模索の軌跡が面白い。

空間の「温度」は大切な要素です。摂氏何度ということではなく、空間の雰囲気が暖かいか冷たい…

伊仏の料理から新旧ラグジュアリーを考える場。

「ラグジュアリー」と呼ばれる、あるいは認知されることを多くの視点と長い時間からみることに…

雑多なミュージアム巡りがいろいろなヒントをくれる。

ミュージアムの財政問題は頭を悩ますと次の記事にあります。今回は、これに関連することを書き…

「イタリアデザインを語る場」をつくるー新しい文化のプロセスをリサーチする。

「イタリアデザインを語る場。」というnote内のメンバーシップをつくることにした。昨年末、デ…

今、デザインについて考えていること。

今年最後のCOMEMOです。ここでは、ぼくがデザインについて今、探求していることを書いておきま…

さほど高くない壁でさえ越えられない -ヴェネツィアビエンナーレで見たこと。

2か月ほど前に書いた下書きを途中で寝かせたままにして気になっていた記事がありました。 10…

国外における「日本らしさ」の意味ーアートキュレーターとの対話。

今週、ある家電メーカーがもつ場所で小さなイベントをやりました。場所は大聖堂近くのミラノらしい雰囲気のある建物内にある「普通の自宅」を模したスペースです。ここで、京都の「次世代の陶芸家」3人の作品を置いた長テーブルを囲み、イタリアのアートキュレーターの批評を聞き、20人ほどで雑談しました。 アートキュレーターはコンテポラリーアート、デザイン、クラフトの3つのポイントからセラミックを語れるエキスパートにお願いしました。彼女が上の写真にある作品について批評するわけです。ご覧いただ