女がうるさいのは本当だけど、男もうるさい(笑)
日本では、「女性がいるとうるさい」みたいなことを言ったとかで、パッシングを受けて辞任した話が最近あったそうで。
先日、海外のこっちのニュースでも「かなり」大々的に放送されているため、周囲から「そんな日本で頑張っていたんだね…」と”今更”、変な同情をされている。
アラフィフで、遠く異国の地から眺めている今の私としては、
「日本の女性を可哀想がるこの国だって、まあ男尊女卑はあるし、更に人種差別もあるし、日本とどっこいどっこいだと思うけどなあ…」
・・・な気持ちだ。
まあ今に始まったことじゃない。
男の人は「女はうるさい、姦しい」(←まさにこの漢字がそうだ。)と思っているように、女の人は女の人で、「男だって、うるさい奴はうるさいのに何で女ばっかり?ねえ?」と思うだろうし。(実際私も思ってる。苦笑)
そして、日本で今も83歳のおじさん(若い人からは、もうおじいさんだろうけど)が言っていることが、ここまで大きくなっているのを見て、今回思ったことを書いてみる。
あくまで個人的見解で、私個人の意見
異端を承知で、正直に言う。
私は女性だが、「女性の地位が低すぎる!」「もっと女性は声を上げて!」と言うような感じでヒステリックに高々と叫ぶフェミニズムの人が、実は苦手だ。
現在私のいるこの国では、「国際女性DAY(3月8日)」などに、パレードをしたりしているが、私には単なるお祭りをしたい人のイベントにしか見えない。
中にはアグレッシブに、パフォーマンスとして公衆面前の前で全裸になって「女性の解放」を訴える女性(それも集団)がいるが、見ていてあんまりきれいではないしむしろ醜い...。そんなんになるくらいなら解放って何?って思っている。
もちろんそれは個人の自由だし意見を持つことは尊重する。「表現の自由」といえばそれまでだけれど、誰かに嫌悪感を与える行動はマイナスイメージしか与えないのにな、と私は思う。
自分の意見を主張することはきっと素晴らしいことなんだと思うが、私の個人的で勝手な美的感覚からすると、その光景はものすごくイケてなく感じてしまう。
ちなみに、私が美しく感じる女性の地位向上にむけて行動した人の代表は、例えば極端かもしれないが大山捨松などだ。
主張だけではなく実際に自ら実行する、芯の通ったその姿勢が素晴らしいし、美しいと思う。(自分はそうはなれないが、憧れる。)
「そんなんじゃ、いつまでたっても変わりませんよ。出てなんぼ、パフォーマンスの時代なんだから。」
そう言われるかもしれないけれど…これはあくまでも自由な個人の感性で、私の意見だ。こういう意見を持っている人もいるだけだ。
私の、男社会との向き合い方
就職氷河期に大学を卒業した私の年代では、残念ながら、男女格差はあって当たり前。
女子ということだけで、「今彼氏はいますか?」「何歳位に結婚したいですか?」「結婚したら子供は欲しいですか?」という、既にどうでもいいくらいプライベートなことを、就職の面接で、それなりの役職者の面接官がタバコを吸いながら平気で訊いてくる環境だった。
(そんな、いつ結婚するかとか子供は産むかみたいなことを事前にわかるぐらいなら、人生簡単だと思うけど…実際に四十まで結婚してなかったし。苦笑。)
当時は、私より成績の悪い大したことない(…失礼)男の子が、私が「女子で大卒だから」という理由で面接することさえ断られた企業に就職していくのを横目に見ながら、すごく理不尽に感じた。
さらに仕事の場に出ると、「女だから」という理由ではじかれたり、「責任のある男の人出して(まるで女性に、責任が無いと思っている?)」と言ってくる場面も、確かに多かった。。。
私は30代前半に、うっかりちょっと権限のある管理職に就いたことがある。
社内で初の女性管理職だったのに、最初の頃は大事な会議に呼んでもらえなかったりした。腹が立ったので、見落とせないぐらい大きな仕事を受けてやった。(結果、社長から直々に呼ばれるようになった。)
陰で営業部長が「女が…」と言っていたり、その部下の人達もいろいろ言っているのも聞いてきた。(ちなみに、部下の女性の方が結構キツい言い方していた。もちろん後ほど倍返し。)
私が責任者で目の前にいる、というのに某大手大企業の営業に「どなたか責任者の、男性の方にお会いしたいのですが」と言われたりもした。(・・・私も根性悪いので、出禁にした。苦笑)
とある男性担当者が大きなへまをしたのに誰もケアをしないため、仕方なく別部署の私が責任者として、背中に刺繍の入った「兄貴さん」にお詫びに行ったこともある。(・・・周囲の子分さんたちがいきり立ってたが、兄貴さんご本人はたいへん温厚な方で、許していただけた。男性担当者と逃げたほかの男性上司は、後ほど公開でしっかり〆た。)
「女はこれだから…」と言われたら、冗談ぽく「男はそれだから…」と返すのが、私の日常だった。笑ってもらいながら、ちくっと刺す程度。
でもどちらかというと私は、男性とは敵対するよりも協力する方法を取ってきた。
その方が、仕事上利益が大きいからだ。
多少の細かいことは出来るだけ気にせずに、時には花を持たせたり、おだてたり励ましたり、調子に乗せたりしながら。
女嫌いのおじさんには、母のように娘のように、広い心で接した。
最後に「また一緒に仕事したい」と言われたら、私の勝利だ。
・・・でも、そんな私でも、女性差別の言葉は言われ慣れているけれど、やっぱり傷つく。
女性という立場でちょっと目立つと、「身体で仕事を取る奴だ」(ただでさえ忙しいのに、そんな面倒なことしない…)とか髪型(ほっとけ…)やスカートの丈(なぜ覗く?)までも、いろいろ言われるようになるのだ。
それは男からも女からも。同じ女性同士でも味方ではなく、むしろ敵になったこともあるし、男性でも心から信頼できる味方になってくれた人もいる。
だから、女だけがうるさいんじゃない。男もうるさいんだ。男女ではなく、そのひと個人の問題だ。
私は声高に不平を言わない代わりに、悔しい思いや辛いことをした分、自分がその時に必要なものを取れるだけ分捕ることで、自分を納得させることにしていた。(お金とか、待遇とか、休暇とか、信頼とか…)
私の中の結論として
今後、女性が高い地位に就く機会が増えても、たぶん女性差別は無くならない気がする。
そう、社会は元々、理不尽なのだ。そして不公平なのが普通なのだ。
それは世界中どこだって、同じだ。
男女の差、人種の差、貧富の差、頭の良し悪し、見かけの美醜…社会の公平分配と平等を叫んで始まったあの社会主義でさえ、あの体たらく、なのだから。歴史を見れば、3000年以上もの間かかっても、人間はこうなのだ。
結局は人間のやることだから、公平に平等になんてなるわけない、と私は小学生の頃から諦めている。(苦笑)
でもそんな中で、自分の納得できる落としどころを模索して探していくのが、働く女性としての、これまでの私の世渡り方だった。
でも今は、昔は言えなかったことがどんどん言える時代になっている。
男でも女でも、老いも若きも、働いていてもいなくても、既婚も未婚も、子有も子無しも、今後の「現役世代」がより生きやすい世界で、社会であればいいと本当に願う。どうか、少しでも楽しく生きて欲しいのだ。
どの人生も、普通は一度きりだ。そこだけは、皆同じだ。
自分の時間を、自分の判断で使える、ありがたいこの時代に、私はこれからも心から感謝しながら、好き勝手に生きていきたいと思う。(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?