辛い時に思うこと


誰だって、辛い目に合うことはある。

日々辛くてたまらないと感じている時もあれば、辛いことが起こった当時は感覚がちょっと麻痺していたりして、ふと後で振り返って「あの時が一番辛かったんだな・・・」ということもある。

体が辛いこともあれば、心が辛いこともある。

どちらも辛い。

人によってその種類は様々。


不幸自慢はつまらない


不幸度合いは、他人と比べることは本来出来ない。

辛さは、あくまでのその人の中の出来事との比較しかできないからだ。

とある失敗をして、「自分ほど辛い立場の人は世の中にいない!」と落ち込んでいる元同僚がいた。

私は「おいおい…そんなの私の辛さに比べたら…」と心の中でため息をついていた。

なぜなら、私はその彼女の失敗の尻拭いのために必死で駆け回って調整し、私の失敗ではないのに謝ったり、仕方なく頭を下げたりしていたからだ。

彼女は嘆くだけで、実際に自分で動かなかった。というか、動けなかった。

渡した同僚たちが奔走する中、オフィス裏の倉庫の片隅で、文字通り「膝を抱えて」小さく震えているだけだった。

でも今思うと、彼女の中では当時のそれまで特に失敗も無く来た中での、きっと滅多にない大きな失敗だったために、それに動揺して打ちひしがれていたのだろう。

彼女の中では最大級の失敗で、辛くなったんだろう。(と思いたい。)

一方の当時の私は、その時に彼女のした失敗の何倍も大きなものまで既に経験済み。失敗に慣れていたから、すぐ判断してすぐ動けたのだ。

・・・まあ、子供の頃から大なり小なりの失敗をたくさんしてきたし、恋愛では迷走してドツボにハマったり、学校卒業後の最初のキャリアでも大きく躓き、就いた仕事でもそれなりに失敗を山ほどしてきた。。。

思い返せば、そういえば兄弟の中でも実はひとりだけ大病をしたり、大きな手術をしたりして来たっけ。(一時期はそのせいでものすごく絶望もした。)

父を早くに亡くして長女気質なのか、何だか一人で必死に気負って家族のケアをしてきたところもあった。

・・・実は先日、母と話していた話の流れで「あんたはみんなより余計に痛くて辛い思いを何度もしてきたのに、なんでそう能天気なの?」と言われた。(苦笑)

能天気は違う、これは自助本能、と答えておいた。

辛いからって耐えられないと嘆いているのは簡単だけど、家族も早く正常に戻らないと、食べなきゃ生きて行けなかったでしょ、と。


父の亡くなったあの日もそうだった。

母も兄弟たちも泣くばかりで、お葬式の準備も上の空だった。

それに気付いてしまった私は、当時は学生だったけれど必死に細かく采配をしたつもりだった。手伝いに来てくれたご近所の人にも指示をしたり頭を下げたりもしていた。

朦朧とする母の着付けを手伝い、兄弟たちの衣装を指示し、葬儀社やお坊さんとの打ち合わせや受付に立ち合い、最後の香典の勘定までやった。

(それを見ていた親族が、後日葬儀の手伝いを頼んで来たりもした。苦笑)

張り詰めた気が解けたのは、四十九日が終わって、自分の部屋に戻った時だった。それから半年ぐらいは、毎晩父の夢を見て毎朝泣いていた。

もう私は二度と笑えないのかもしれない、とさえ思った。

本心では、父の顔を見たあの時に崩れ落ちたままみんなのように悲しみたかった。でも、そうできない自分の性格を少し呪った。


よく「耐えられる人にしか苦労は来ない」というが、本当は耐えられないけれど、耐えるしかなかったから耐えてきたのだ。

気丈に見えるからといって、辛い時に傷ついていないって思うのは違う。

普段から、耐えられる人にばかりどんどん負担が寄せられるのは不公平だと思っている。

だから、自分の身に振ってくる辛さは何とか頑張るが、それ以外の「他人からくる」辛いことは出来るだけ避けた方が自分が破裂しない唯一の方法だということも自分では分かってきた。

「辛い思いをすると優しくなる」のは本当だと思うが、だからって仏の様に万人を許せるぐらいの広い心になったり、悟りが拓けたわけではない。

仕事でも、「強情な女だ」「あいつは悪魔の様だ」「魔女だ」と言われても、傷つくのは傷つくし、私だって涙が出ることはある。が、それを見せないように努力はしてきた。

だから、簡単に泣いて適当に済ましている輩たちが私を陰でそう呼んだ時なんかには、じっくり倍返しだ。(実際にやってきたので、本気。笑)


アラフィフになって


そう、しなくていい苦労は、しないほうがいいのだ。

これが私のアラフィフになってからの結論。

大人になれば、もっと辛さにも慣れたり、辛いことを解消することを知るようになるのかと想像していた。

大人にさえなれば痛みにも強くなるんだと、勝手に思っていた。

でも、自分が昔「大人だと思っていた年齢」になった今、どうかと思うと、やっぱり辛いものは辛い。

そして、昔は騒ぎながらも耐えてきた痛みなどにしたって、この年齢になってもやっぱり痛いものは痛いのだ。(涙)

でもこれまでの経験から、辛さから逃げる方法やごまかす方法はわかるので、なんとかそれで凌ぐしかない。

若い後輩や友人からは上手くやっているように見えているようだが、実はとても必死なのだ。


きっと、私が子供の頃に見て来た、「酸いも辛いも知っていながら、さらっとしていた大人」も、きっと今の私のように、避けたりよけたりごまかしたりして、カラ元気だして凌いできたんだろうな…と思った。

そして、後輩などから「Mさん、全然大丈夫なんですね~」とか言われると、ちょっとだけ「してやったり」な気持ちになる。


「・・・あんたも、いつか分かるからね ♪」



#それぞれの10年

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