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人間なんて

 旅人だとかそんなことを名乗れるほど立派ではないけれど、未熟者でもない。引きこもりだった僕はほとんど旅なんてしたこともなかった。家族旅行とか修学旅行とかバス旅行とか、自分は連れて行かれているだけで、どこに何があってどんな場所かもわからなかった。夏場所が待ち遠しいですね。何を言っているのだ?

 音楽とか、小説とか、そういう世界に飛び込むことが旅だった。学校帰りに中古CD屋を巡って5年ぐらい探してようやく見つけたCD。それは紛れもなく旅だった。100分遅れの電車を待つ三ノ宮駅の寒いホームで読んだ小説。僕は旅をしていた。

 前述の連れて行かれた旅行以外に、僕は大学を卒業するまでほとんど兵庫県から出たこともなかった。京都に2回ほど行ったぐらいだ。苫小牧発仙台行きフェリ~♪と吉田拓郎が歌っていたのは知っていたけど、苫小牧も仙台も行ったことはなかった。フェリーもたこフェリーしか知らなかった。それも名前しか知らなかった。そういえばよくラジオを聴いていたけど、半蔵門のスタジオから全国38曲ネットでお送りしていますと言われても、東京FMが実在するのかもわからなかった。全部僕の幻聴かもしれなかった。

 それはともかく、よく旅をするようになったし、気がついたら旅をすることを考えていて、いつの間に旅人レベルがこんなにあがったのやらと思う。まだ仙台行きのフェリーには乗っていないけれど。

 なぜ旅が好きなのか……? 日常が辛いから? ――そうかもしれない。死に場所を探しているのか? ――そうかもしれない。旅先で死ねたら素敵だ。

 手段について。
 鉄道が好きだ。でも鉄道オタクの人たちみたいにマニアックになれない。正直車両とかにそこまで興味がない。一番興味があるのは駅だ。かっこいい駅、渋い駅、きれいな駅、期待はずれの駅、なにもない駅。全部好き。先日もただ名前が長いだけの駅に行った。もちろん駅前になんにもあらない。長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅という。駅から歩いて10分ぐらいのところになんちゃら公園があった(長者ヶ浜潮騒はまなす公園ではない)。それ以外ただの田舎町。なんもねぇ。そういう土地を歩いている時の無力感。旅人が訪れるようなところじゃないとこを訪れるしてやった感。そういうものがあるよね。そして地方都市の駅前を意味もなく歩くのも良い。こんな街なのかと知る。意外と都会じゃんとか意外と田舎じゃんとか、地図を見てもわからない。この道をまっすぐ行けば有名な神社に着きます、はいい。その隣の路地はどんなだろう? 横から行って帰りは正面から帰ったらええやん。そして、何もないただの住宅地だと知る。しかも行き止まりで結局元の道に戻る。オレハナニヲヤッテイルノダ。それだよ。サイコロの1の目の裏側は6だと知ってはいるけど、サイコロを持ち上げて裏を見ないと本当に6かわからないのように。わざわざ6とわかっていて見に行くのだ。見に行かないで、もし6じゃなかったらどうしよ、と気になって仕方ないと思う日々を過ごすことにならないですむ。
 きっと、そうやって安心させる行為なのだろう。旅は。知識だけならインターネットに大体書いてあるけど。松本のきれいな街も華厳の滝の迫力も実際に行かないとわからない。それまで、名前でしか知らなかった街が、料理が、景色が、お酒が、全部自分の一部になっていく。喜びなんじゃないかなそれは。

 鉄道のいいところ。酒が飲める本が読める景色が見れるご飯が食べれる寝れる。車ではこうは行かない。車で旅するのも楽しいけど。
 何より景色が見れるのはすごく嬉しいことで、この辺、超都会じゃんとか、めっちゃ田舎やんとかがわかるのがおもしろい。車両に興味がないと書いたけど、細かい形式までは知らねぇよということで、この形東北の電車だよねとは思う(JR東のE7○○系とか。○○までは知らない)ことはある。この形東海だなぁとか。東海といえば、駅名標がひらがななのが印象的で、駅名標といえば、大阪環状線の黒いのかっこよすって感じだ。
 あと、路線もおもしろくて、よぉこんな山ん中に線路走らせたなとか、単線の非電化はローカル感あっていいすねとかは思うのである。日光線の最後の勾配登っていくところとか興奮するし。日光駅のホームから来たところを見ると勾配が急で線路が見えないのだ。

 そして今の情勢。本当に人類は2021年を迎えることができるのか? このまま滅ぶのか? って感じで興奮する。そんなことを言ってはいけない。でも僕は善人じゃないし、悪い人間だから、人類が滅亡に向かっているなら、ざまぁないぜって感じだ。それに川的な視点からは、人類は滅んだほうが地球のためなのだ。
 でもそろそろ旅をするのは自重したほうがいいと思う。人類のためではない。自分のためでもない。僕のようにいつ死んだって構わないと思っている人間はとっととおさらばすればいいのかもしれないが。ならなんのためか。旅人のため。以前訪れた素敵な旅先が困っているのは悲しい。でも自分が行くことで困らせるもの悲しい。旅先に旅人が訪れないことで素敵なお店も宿も潰れてしまうかもしれない。次に訪れる誰かが立ち寄れなかったら苦しいでしょう? 意外と人間好きじゃんお前と思ったかもしれないけど、自分さえ良ければいいと思っている人間がなにより嫌いで身体の左半分だけでもいいから死んでくださいと思っているから、そうはなりたくないなぁと思う次第であります。レッスン4だ。敬意を払え。旅先に、旅人に。
 旅先で、歴史のある建物を観たりしたとき、なんて俺はちっぽけな人間なんだって思うし、ここまで旅してこれたのも、鉄道会社のおかげで、道路を整備した人たちのおかげで、バスを走らせている会社のおかげで、その土地にも人は住んでいてお店があって、それは林業のおかげで、建設会社のおかげで、運送業者のおかげで、間で取引する人のおかげで、国土交通省や農林水産省があるからで、文明を感じる。僕はこの走ってきた道路のアスファルトの構造も知らない。いかに自分がちっぽけで、未熟者で、何もできなくて、何も知らなくて、愚か者かを知る。僕にできることは旅先で、地元の料理を食べたりお土産を買ったりしてその土地にお金を落としていくこと。それから、次に訪れる誰かのために汚さないこと、素敵なことは素敵だと伝えること。そう思う。サムデイ。

 もちろん人類はいずれ滅ぶし地球も滅ぶ。ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水に非ず、だ。万物は流転するし、誰が何をしてもどうせみんないずれ滅ぶのだ。虚しいね。宇宙の歴史から見たら人間の一生なんてほんの一瞬で、そんな中で争っている人間はいかに醜いかって思ったりするし、その同じ一瞬に生きて出会えたんだから、なぜ他人を不快にする輩がいるのだろう。迷惑だし滅べばいいのにね。でもきっとそういう人は滅ばないし、僕のようなタイプの人間は、こんな血は滅ぶべきだと思っているのだ。

 ららーらーらららーらーらー

 春ですね。
 おすすめの春の旅先は金沢。兼六園。桜の開花から1週間は入場無料で夜9時まで開いている。朝は4時ぐらいから開いていた気がする。素敵だよ。
 また、来世でも兼六園に訪れることができるように、僕たちにできることは旅をすることだけなのかもしれない。来世ってなんだ。

 旅をしてわかること。小説の中で出てくる地名がただの記号じゃなくなる。大体の位置関係しかわからなかった場所も、実際の距離感をつかめる。まだ知らない土地もいっぱいある。次はどこに行こうかな。47都道府県巡ったら、アラスカ行こうかな。アイスランドも行きたい。モロッコもペルーも。明日生きていたら。来年以降も人類が生きていたら。
 そんな私です。


もっと本が読みたい。