優しくありたいと思うのはエゴ?
最近、自分の優しさと他人の優しさの違いに気づいた。
私は誰かに対して助けてあげたいと心の底から思って人に優しくするよりも、
優しい自分でありたいがために、優しくしていることの方が大きい。
それに対して、私の友人は誰に対しても愛に溢れた人で、誰かが悩んでいたり、生きにくい生き方をしている人に対して真剣に考えて、向き合っているように感じる。私にはそう見える。
私はそれまで、自分の優しさについて考えたことがなかったが、彼女の考え方を通して、自分の優しさが自己満足であるのことに気がつき、自分の優しさがただの自己満足で、偽善者なのではないかと少々自己嫌悪に陥った。
そして考え、行き着いた答えは、
優しさは1つじゃなくていい。ということ。
そもそも、皆さんは誰かの優しさに種類を感じたことがありますか?
例えば、私たちが普段生活していて、誰かに対して優しいなと感じる時、「この人は自己満足の優しさだ」と思ったことがあるだろうか?
少なくとも私はない。ただ鈍感なだけかもしれないけれど笑
もちろん、見返りをあからさまに求めるようであればそれはエゴの丸出しで、恩着せがましいだけだし、すぐにわかる。
しかし、すべての人間が心の底から人に優しいならこの世界は戦争も紛争も起きない平和な世界になっているはずで、、。
優しさの形は1つだけじゃなくてもいいと私は考えたい。
誰かに幸せになって欲しい、笑顔でいてほしい
だから優しくする
一方で、優しくすることで自分を好きでいられるから優しくする
そのくらいのご褒美は許してあげようかなっ
そんなことを考えた1日でした。
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