冷笑
アランはカルヴィンじいさんがどうしても好きになれなかった。
行きつけの酒場の隅、いつでも決まった席に陣取って静かに飲んでいるだけの老人の事情を詳しく知る者は、この町には居ない。
若いアランの知らない頃から、ずっと長いあいだこの町に住み着いていて、入り組んだ路地の先の古ぼけたお屋敷に住んでいる。
腰の曲がった小さなじいさんは相当な資産家のようで、本人曰く「体の具合がいい日」には、同席している連中に酒を奢ることがある。
アランも何度か相伴にあずかったことがあるのだが、その恩を差し引いたとしても、他の酒飲みたちのようにカルヴィンじいさんを好意的に受け入れることは出来なかった。
そもそも、そこまで感じの良い老人ではない。
従軍経験でもあるのか、顔や手には浅からぬ傷のあとがいくつか見受けられたし、深いしわの凹凸に覆われた肌は浅黒く焼けている。いつもむっつりとした顔つきで滅多に表情を露わにせず、話しかければ話はするが、自分からは口を開こうとはしない。それが常だ。
酒を奢るときにしたって機嫌よく振舞うわけではない。とっつきにくい人物だが、逆に余計なことも言わない静かな人物なので、敢て嫌悪感を示す者もほとんどいなかった。
アランも少し前まではそれほど悪い印象を抱いたことはなかった。せいぜい、何を考えているのかわからんじいさんだな、と思ったくらいだ。
それが急に気味悪がるようになったのは、たまたま酒場で目をやった時に、カルヴィンじいさんがえもいわれぬような冷笑を浮かべていたからだった。
最初は見間違えかと思った。ところが、なんどか観察を続けるうちに、アランはそれが自分の見間違いではないという確信を持つに至った。
目立たぬ場所で酒を舐めているカルヴィンじいさんは、まれにひとりで、どこへ向けてというわけでもなく、不気味な笑みを浮かべるのだ。
言葉にしてみれば大したことはないが、アランはそれを何度目にしても慣れることはなかった。ただの悪癖と言って片付けてしまうには、あまりにも不気味で不自然で、底冷えのする笑みなのだから。
そうやって不気味に思ってしまったからには、距離を置かずにはおれない。アランはしばらくのあいだその酒場に通うのをやめていたが、ごく最近になって、まったく別の魂胆と興味を持って、カルヴィンじいさんの近くの席に陣取るようになっていた。
もっぱらの興味の矛先は資産にあった。
アランは本業を営むかたわら、空き巣を働くならず者であった。そのアランがカルヴィンじいさんに目を付けたのは、彼がどうやら週初めのほとんどの期間、住処を留守にしているという話を耳にしたからだ。
意識して酒場に通い詰めてみると、たしかに週頭の四日間、カルヴィンじいさんは姿を現さず、金曜日から日曜日の夜にかけて飲みに来る。
本人に少し訊ねてみれば、正直に「週初めに別の街に出かけて行って、木曜日の夜に返ってくる」のだと教えてくれた。
いったいどんな用事があって四日も家を留守にするのかはわからなかったが、アランはこれで仕事がやりやすくなったと感じた。
酒場に通い詰めて、酔っ払いたちとの細々とした会話を盗み聞くうちに、カルヴィンじいさんには家族がなく、大きな屋敷に住んでいる割には人を雇っているわけでもないことはわかっていた。つまり、カルヴィンじいさんが長く留守にすればするだけ、余裕をもって仕事ができることになる。
目標を定めてから二週間ほど、アランは仕上げとばかりに月曜日の朝、日も昇りきらぬうちから路地に身を潜めて、カルヴィンじいさんが出かけるのを待った。話が本当かどうか、確かめるためだ。
ところが待てど暮らせど姿を現さない。門はぴったりと閉じたまま開くことはなく、家の裏から出たというわけでもなさそうだった。
そのまま夕方近くまで見張り続けたものの、ついぞカルヴィンじいさんが家から出てくることはなかった。
話は嘘だったのか? それとも今週はたまたま予定が違ったのだろうか。
首を傾げつつ、アランは撤収することにした。
次の日もそのまた次の日も、アランは早朝から夕方にかけてじいさんの家を見張り続けたが、結局一度も姿を見せないままだった。
結局その週、ようやくカルヴィンじいさんの姿を見かけたのは、金曜日の酒場でのことだった。
(嘘をついて、ずっと家の中に居たのか?)
まさか見張っていたことを告げるわけにもいかず、アランは一人頭を悩ませた。
もしカルヴィンじいさんが嘘をついて家にこもりきりの生活を送っているのなら、むしろじいさんが酒場にいる間に仕事をするべきだ。
ふと、あの話が嘘だったとして、じいさんは自分に嘘をついたのだろう…… という疑問がアランの脳裏をよぎったが、合理的な説明は付けられそうにない。
なんとはなしに不気味な気配を感じ取ったが、すでにじいさん相手に相当の時間をかけている。引くに引けない気持ちになったアランは、次の日の土曜日、じいさんが酒場に出かけてゆくのを見送ってから仕事にかかることに決めたのだった。
準備を万端に整えた土曜日の夕方、忌々しいことに見慣れてしまった路地の一角に身を潜め、アランはカルヴィンじいさんが酒場に行くのを待った。
やがて、重々しい鉄の門がひらいて、カルヴィンじいさんが現れた。独特の身体を左右に大きく揺さぶる歩き方で、ゆっくりとメーン・ストリートの方角へと消えてゆく。
落ち着かない気持ちでそれを見送ったあと、アランはすばやい身のこなしで門を乗り越え、エントランスのドアに齧りついた。古めかしい錠は錆びついていて、棍棒のようなもので一撃すれば壊れてしまいかねないほど脆そうだったが、慎重に道具を用いて解錠した。いずれにしろ、大きな屋敷を守るには頼りない簡単な鍵であった。
速やかに屋敷の中に体を滑り込ませると、人が住んでいるとは思えない、饐えたにおいが立ち込めていた。
手伝いも雇っていないというからには、掃除もろくにしていないのだろう。アランはわかっているだけの情報を頼りに、屋敷の一階と二階をくまなく探し回った。
寝室、キッチン、リビング―― 思っていたよりも金目のものは少ない。銀食器がいくらか見つかったくらいで、想定していたせいかほどのものは得られなかった。
カルヴィンじいさんが酒場に居るのは、午後二十一時過ぎから日付が変わるほどまでだ。壁掛け時計を返り見て、アランは焦りを募らせる。
身の安全を考えるならばそろそろ退くべきだが、悪党ならではの強欲さが、これでは到底足りないと騒いでいる。
まごついている時間は勿体ない。アランはかさばる銀食器をいったん諦めて、一階の物置の中に見つけた地下への階段を下ってみることにした。カルヴィンんじいさんの暮らしぶりを見るに、どこかに富の秘密が隠されているとしか思えなかったのだ。
階段の奥には通路があって、その最奥には小さな扉がついていた。そこにも簡単な錠がついていたが、アランの腕前の前には無力なものだ。難なく解錠して開くと、そこには奇妙な造形の彫像や、見たこともない用途不明の器具などが文字通り押し込められていた。
最初は怪訝に眉をひそめたアランだったが、よく調べてみるうちに目の色が変わった。それらのほとんどが貴金属の類で作られていることが分かったからだ。
「やっぱりだ! あのじいさん、おたからをこんなにたくさん隠していやがった!」
アランは夢中になって、小ぶりかつ価値の高そうなものを、ズタ袋の中に押し込んでいった。
地下の物置部屋は散らかっていたが、奥に進むのに困るほどではない。より金目の物を探して奥へ奥へと進むうち―― 壁際に人影が並んでいるのを見つけて、アランは押し殺した悲鳴を上げた。
実際のところ、それらは人ではなかった。壁の前に立っている台に括りつけられた、ただの人形だったのだ。
しかし、ただの人形ではなかった。それらはすべて男性の姿で、左から右に見比べてみると、だんだん年を取っているように見える。
何よりも見逃せないのは、人形の作りが異常に精巧で本物の人間と見分けがつかないほどのものであるということと、外見年齢さえ違うものの、全部が全部同じ人物の特徴を有しているということだった。
アランはそれに気が付いたとき、恐怖から絶句した。
人形たちのモデルは、明らかにカルヴィンじいさんだった。
若いころのカルヴィンじいさんから、今より少し若く見えるカルヴィンじいさんまでが、ズラリと目の前に立ち並んでいたのである。
しかも、それらが浮かべている表情は―― アランが酒場で見かけて不気味に思っていた、あの冷笑だった。
剥いた眼球が斜め下を見つめ、口角がひきつったようなあの、無機質で冷たい笑み。それが定めて生まれ持った表情であるかのように。
アランは恐怖と嫌悪感でその場に縫い留められた。それから頭に黒い靄がかかったようになって、目の前の光景を否定したくてもしきれない。目を逸らしたくても逸らせない―― というような無為な時間が流れていった。
アランが次に我に返ったのは、地下室の階段を転げ落ちるような、あわただしい足音が聞こえてきたときだった。
すぐにカルヴィンじいさんが帰ってきたのだと気が付いたアランは、驚愕と絶望のさなか、人形の立ち並ぶ壁のすぐ近くに、もうひとつ扉があるのを見つけ出した。
幾何学的な文様が刻み込まれた扉を外側に開け放つと、その向こう側はそれまで目にしたこともないような純粋な黒に満たされていた。
ただの壁かと思われたが、違うようだった。先に腕を通してみれば奥行きがある。満たされた『黒』は、ひたすらに濃度の高い闇だったのだ。
迫るカルヴィンじいさんの足音は、どたどたとしていて落ち着きがない。歳のせい、あるいは昔の傷の所為か何かで巧く走れないのだろう。
いくら老人相手とはいえ、それまで追われるということを経験してこなかったアランは焦り慄いて、思い余って闇の中に身を投じると、後ろ手に扉を閉めてしまった――。
それ以降、カルヴィンじいさんが冷たく笑うところを、見た者はいない。
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