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努力や経験は内容考えずに尊ばれるものなのか

今まで基本はゲームの話してきたわけなんですけど、 一般化して書いてたりするのは、ゲームでも仕事でも勉強でも考え方自体は一緒だからです。今回は努力や経験についてのお話。

努力や経験が、ただそれだけで偉いみたいなよく分からない風潮があります。

私的に全くよく分からないのが、詰め込み型で努力して試験受かるのは偉いみたいな風潮です。私は少なくとも詰め込み型の努力について全く偉くもなんともないと思っています。

詰め込み型の努力しかしない人はどうしたら内容が分かるのか、どうやったら効率がいいのか、その辺考えずにただ努力します。そして、内容が理解できないから良く出題されるパターンをひたすら覚える。

それが全て悪いとも限らないのですが、私の経験上、そういう人は大体が応用効かない人ばかりです。仕事内容にしても覚えなきゃいけないことが沢山あるから大変ってのが口癖。こう言われると全部覚える必要ないよねと思っちゃいます。全体理解して、主要なパターンさえいくつか抑えれば、特殊な例外のパターン以外、全体の8割くらいは分かるものだからです。全体理解の難しい易しいは場合によりけりですが、それでもパターン同士を繋げていけばある程度は全体像が見えてきます。

努力して試験に受かるにしろ、その試験の範囲を実務で使えるなら偉いですが、大抵の人が実務だと使い物にならないのってこれが主な原因です。パターンの殆ど全てを覚えないと使えない。

だから応用できないし、資格試験受かりました、関連職場で1から100までのパターン全てか殆どの説明受けないと分かりませんってのが多かったりします。勉強してきた内容を活かすことができずに自らの努力を自分で無駄にしてしまう。努力は積み重ねが大事って良く言われますが、本当の意味でこれを理解してる人ってあまりいません。目標達成しさえすればいいってものじゃなく、目標達成するまで、した後どちらも積み重ねがいります。そしてただ努力してるだけでは積み重ねられません。

私的には詰め込み型の努力で資格試験や受験に受かるよりかは、一つ一つ体系理解して受かる方が比較にならない程に後々の価値があると思ってます。そうやって勉強していれば20くらい知って80くらいは想像つきます。


そして、表題のもう1つ、経験の話になりますが、詰め込み型の努力してる人が大抵実務だと使えないのって、それらが経験として蓄積されていないからです。何故か関連性あっても、出題パターンが違うから別々の問題として扱ってしまうんですね。

経験もただ、それをやってきただけじゃ意味なんて殆どなく、どのように考えてやってきたかによります。やってきたことの大小、社会的な価値その他関係なくです。

経験が何十年あろうとどんなに価値がありそうな仕事をしてようと、それを考えずにやってきたことってかなりの部分を無駄にしています(伝統など特殊な例外はありますが)。

努力や経験が偉いんじゃなくて、どのように努力して、どのように考えて経験を積み重ねてきたか、人間ってそれ次第だと思います。










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