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Story 1 連作:『イワイ』

Scene 1: 目撃

ーー心臓が止まった。

ぶつかってきた、あの恐怖に染まった顔を思い出す。
世にも恐ろしい怪物を見てしまったかのような顔。俺もあんな顔をしていたのだろうか。いや、造形はもちろんあんな顔なのだが。いや、だからこそこんなにも冷や汗をかいているのだが。わんわんと耳鳴りがする。

ーーの影響で全線運行を見合わせております。お客様にはご迷惑をお掛けしますがーー

改札前で響くアナウンスは頭をすり抜けていく。最早耳は意味ある音を拾わなかった。人でごった返す駅構内をふらふらと彷徨い、彼は令和学研都市(桶狭間橋)駅を出た。

駅前のカフェに入ると、店内はまるで別世界のように穏やかな時間が流れている。店員さんがにこやかに空いている席へと案内した。

ホットのカフェラテを注文し、帽子を脱いで息をついても、まだ興奮は静かに体内を駆け巡っている。


こういう時は。


スマホで「ふぃろと愉快な仲間たち島」を開く。そして「さっき自分の顔を見た。びびった」と打ち込み送信した。通知をオンにし、スマホを伏せて頭を押さえる。
ブブッ
「!」
すぐさま再度開く。

ふぃろ「それは気の毒だな。鏡を外すか?」

ふぃろさんだ!!
頼れるメンバーの即レスに喜びをグッとこらえ、スマホを握り込む。

海石「そうじゃないんですよ!!そうじゃなくて、街中なんです!!」

ふぃろ「街中の鏡を撤去する気か
    やるなら派手にバットでいこう」
海石「人間なんですよ!!俺そっくり、どころかまんま俺!!」

のどかな午後に散歩していたら俺がいましたビビリました助けてくださいーーそういう内心の叫びを切実に滲ませたメッセージを放つと、一拍の間が空いた。
その間に既読が3になる。

にゅーろん「えーと、とりあえず海石さん、これまでお世話になりました」
海石「なんで!?」
白いハンカチを振るトンカツのスタンプが送られた。なぜ別れを告げられるのだ。

ふぃろ「知らないのか?ドッペルゲンガー」
海石「知りません」
ぽいぱ「ドッペルゲンガー…自分とそっくりなその存在を目撃した者は死に至るという伝説があるんだよ」

俺はぴしりと手を止めた。

にゅーろん「さすが令和市 次はフランケンシュタイン出てくるかな」
ぽいぱ「ぼくは吸血鬼が見たい」
にゅーろん「いっそ魔界都市作っちゃう?ラビリンス作っちゃう?」
ぼいぱ「いいね、やっちゃうか サボテンに聞いてくるよ」

海石「盛り上がってよかったな!!でもそれ今は後にしてくれよ!!」
俺の興奮状態を察した二人はそれ以上ふざけることなく、ドッペルゲンガーについて解説しているHPと関連する音楽などを送ってくれる。

俺は読み進めるうちにどんどん周りの気温が下がっていく気がした。
うまく呼吸できているだろうか。

ふぃろ「海石 大丈夫か?」
にゅーろん「反応がないぞ まさかっ!?」
     「あ、マジそう」
ぼいぱ「…海石さん、オフ会する?」

海石「お願い致します」

土下座に見せかけてバク転をするクソ野郎ちゃんのスタンプを送った。


Scene 2: 撃沈

項垂れた頭を支える手はピクリともしない。
混雑したカフェの喧騒をも聞き流す耳は働くことをやめている。
だが、卓上のスマホが鳴動すると石像だった手はすぐさま動き指が滑った。

にゅーろん「今カフェ来たよ!どこにいる?」
海石「北側窓辺トイレ横」
にゅーろん「人多ッ」

通知が止まった。今頃奴は迷子かもしれない。
だがにゅーろんに会うのは今回が初めてで、どんな容貌かもわからない。さて、どうやって見つけ合図するか。

海石「にゅーろん、特徴は?」
にゅーろん「上は青い服、金色のネックレスつけてて、下は茶色!」

ふむ。それで見つかるか。
顔を上げて客と店員が行きかう店内を見回していると、ひときわ大きい何かが目についた。
まばたきし、目をこすり、首を軽く振って、もう一度見つめる。

きょろきょろと店内を見回していたそれは、パチリと視線が合うなり唇をにゅいんと曲げて笑った。とっさに目をそらす。

俺は何も見ちゃいない。
眼の前のカップを頑なに凝視する肩にポンと手が置かれる。

「みーつけた☆ はじめまして、海石サン!!」
「・・・。ハジメマシテ」

どうもにゅーろんです!!
キラキラした笑顔で手を振る”彼”は、若者っぽく青いTシャツとシンプルな金のチェーンで上半身を飾り、艶やかな毛並みの尻尾を振り回す
美しきケンタウロスだった。

ーーーもう、世界がわからない。

静かに天井を仰いだ。

「あっは、ごめんごめん、冗談だよ!これ試作!!」
無言で世の無常を嚙みしめていると、あっはと笑ってみゅーろんはスマホを取り出す。
操作すると、たちまち下半身がただの人間のそれ、茶色いズボンと黒い靴に変わる。ちゃんと二本足だ。

「ここ来る前に公民館寄ってさ。魔界都市計画相談したら、サボテンが特別に貸してくれたんだよねー。あいつもよく姿変えてあちこちにいるじゃん。段階踏んで実験するらしいよ」

サボテンよ止まれ。何を目論む気だ。令和市だけならいいが、くれぐれも別の地域を巻き込むなよ。にゅーろんの笑顔が怪しい。これほどまでに初対面で危険な香りの笑顔を放つ人間を見たことがない。

どこにでもいそうな人間の青年となったにゅーろんは腰かけるなりバナナパフェを注文し、スマホを開く。

「ふぃろさんはチャット参加かー。会いたかったな」
「あの人は離れ島にいるから、仕方ない」

本当は一番相談したかった相手なのだが、船長ともなれば忙しいに違いない。今頃襲撃ーーいや、今はそれどころじゃないな。

「ぽいぱは来れないけど、ラッスンさんが途中参加するってさ。まあ、僕が今日話聞いて、それからみんなに具体的な協力を依頼しよう。いいね?」
「ああ、ありがとう」

スマホを伏せたみゅーろんの表情がおちゃらけたそれから切り替わる。
「何があったか、いちから聞かせてもらおうか」
「ああ」

ゆっくりと頷いた。

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Scene 3: 沈潜


どうすることもできない。

あの日からずっと、にゅーろんと共にあちこち歩き回っている。が、手掛かりを得ることも、もちろんご本人と対面することもできなかった。


「サボテンなら何か知ってるかも。会ってみようよ」
「ここんとこ魔都設計に熱中してたけど、今も市役所にいるのか?」
「行ってみよう」

木造一軒家を改築、増築、サボテンの趣味と市民の意見をふんだんに取り入れた市役所は、一見するとただの魔改造忍者屋敷にしか見えない。しかし扉の上に大きく「令和市公民館」と書いてあるため、初めて来る人々も迷うことなくおののきながら入っていく。

ちょうど帰ってきていたところだったのか、カウンターでぱたぱたと書類を片付けるサボテンに声をかけた。

「ドッペルゲンガーですか?」
サボテンはくりくりした瞳で海石の顔を見つめる。にゅいんと片手が動いて白紙に何かを書き始めた。
「いいですね。魔都に追加しましょうか」
「ああいや、そういう相談じゃなくて。つか頼むからやめてくれ」
「おやおや?」

海石のげんなりした顔にきょとんとする。手を止めたサボテンににゅーろんが代わって説明した。

「…ってことなんだよ。僕らも色々探ってるんだけど、わかんなくてさ。サボテン、なんか知らない?海石さんのドッペルゲンガーが引っ越してきたとか」

サボテンはう〜〜ん?と首(と言えそうなあたり)を五十度ぐらい曲げてみせる。それから両腕をふりゃふりゃと振って笑った。

「あはは、いやいや〜。そんなことあったら、その方には真っ先に海石さんのところへご挨拶に行っていただきますよ。」
「え、やっぱサボテンの仕業か!?」
「えっ?ごめん、なんて?」
「だから、っ、また意識飛んでたのか!?」
「まあ、みんなポンコツですからね。わたし筆頭にね(笑)」
「認めるんじゃない!!」
「はは」

苦笑するにゅーろんは首を振って、海石の肩を叩いて促す。この反応からして、今回の件に関してはサボテンの管轄外ということだろう。がっくり肩を落とした海石は「魔都市開発楽しんで」と言いおいて背を向けた。

「ほい、いってらっしゃ~い」

サボテンは元気いっぱい手を振っていた。

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「令和市民大学行ってみる?あそこの図書館なら何か文献あるかも」
「…そうだな。文献というか、何か知っていそうな人が構内にいるとありがたいんだけどな」
「どうだろうねえ。今日は誰がどこにいるんだか」

市役所を出た後、にゅーろんが車を走らせ令和市民大学へと移動する。市役所から大学へは電車や徒歩ではそこまで近くはないが、車で行けばすぐのところだった。

「ほい、着いた着いた」
「ありがとう」

車を降りた海石は、大学を見上げて目を細めた。いつ見ても圧巻の建物である。空を映す窓が美しい。だが驚くべきは、建物の中だ。外から見れば普通の建物だというのに、ひと度足を踏み入れるとーー。

「行くよ〜海石さん」
「あっ、おう」

先を行くにゅーろんが入口の前で海石を見ている。入口付近に立つガードマンがにっこりと笑って敬礼してくれた。何かと寄ることの多い海石の顔を覚えていてくれているのかもしれない。

ウイーンと音を立てて開いた自動ドアを通り抜けるにゅーろん。海石も続こうとし、

「あっ、海石さん!そこ落とし穴!」
「はっ!?」

スコン、と抜けた床に硬直する。動かした足はもう戻せない。落ちる、と思った瞬間、地下からシャボン玉が怒涛の勢いで押し寄せてきた。

「うわわわわ!!?」
「海石さーん!!!」

ボコボコボコと溢れるシャボン玉に掬われて体が宙へ浮かび天井を(パカンと開いた)突き抜け飛んでいく。小さくなるにゅーろんを見下してから、海石はふうと息をついた。

(まあ、いいか)

毎度のことながら、全身で体験を経験するこの大学の仕掛けには驚かされる。しかもこれで相手を選んで細かく設定を変更しているというのだから、設計者はとんだ天才な馬鹿である。そしてそれを導入する学長も。

無数のシャボン玉は、案外しっかりした安定感と、包み込まれる安心感がある。体の力を抜いた海石はしばしの空中散歩を楽しんだ。

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あいにくというかなんというか、本日の大学ではどこもかしこも様々な講義が白熱していた。大学の活動が活発なのはいいが、乱入して相談するには適していない。図書館でめぼしい文献を漁ったのち、二人は目新しい収穫のないまま大学を出た。

大学の側にある庭園付きの大食堂で遅めの昼飯を食べながら、にゅーろんはじっと海石を観察している。

海石はしょんぼりと小さくなってカレーをつついていた。落ち込んでいる要因として、ドッペルゲンガーという存在の情報の少なさや、探しているもうひとりの海石に関する情報がほとんどないこともあるだろうが。何より、ドッペルゲンガーを題材とした物語のほとんどが、主人公が死ぬバッドエンドだったことも関係するだろう。

にゅーろんは温かいお茶をぐいっと飲み干し、湯呑を置くと大きく頷く。

「こうなったら、あそこ行こう」
「あそこ?」
「とっておきだよ」

にっ、と笑ってにゅーろんは伝票を掴み立ち上がった。


にゅーろんが走らせる車の窓を開け、頬杖をついて海石は過ぎ行く景色を眺める。どこへ向かっているのだか、ずいぶん長く走っていた。

建物のほとんどない、のどかな景色だったのが、だんだん遠くに高層ビルの影が見えてくる。都会に近づいていた。

にゅーろんはひょいと大きな道路から脇道へ入り、曲がりくねった道を走り出した。ぐねぐねとした山道を登っていくハンドルさばきはたいしたものである。

そうしてようやく、ひとつの建物が姿を表した。


「他力本願寺?」
「そうそう」

目を白黒させる海石を振り返り、ニヤリと笑う。
「海石は引っ越してきて間もないもんねえ。ここは知る人ぞ知る駆け込み寺だよ」
「へえ」

海石はてきとうな相槌を打ちつつ寺を見上げる。言っちゃ悪いが、ボロボロだ。にゅーろんに案内されなければ、廃寺だと思って通り過ぎていたことだろう。大都会に近づく途中でこんなところがあるとは知らなかった。

軽快な足取りで階段を登っていくにゅーろんについていく。頂上では、蔦の広がる茅葺き屋根がひっそりと待ち受けていた。

門をくぐり、石の敷かれた境内を歩く。きょろきょろ周りを見回したにゅーろんはあ、と声をあげ、木々が茂る左側へ進む。枝葉に隠されるようにして細い道が続いていた。少し進むと、木々に囲われていた空間が急に開ける。

「いたいた」
「?何が…。あ、」

開けた場所には先客がいた。松の下に寄り添うようにして埋まる大きな岩の上。紺の着物がひらひらと風に吹かれ揺れている。岩に腰掛け、煙管をくゆらすおっさんがいた。
おっさんの視線の先を見た海石ははっと息を呑んだ。

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令和市に、こんなにも美しい世界が広がっていたのか。
知らなかった。

「おーいおっちゃーん!」
呆然と立ち尽くす海石に全く構わずにゅーろんが手を振る。おっさんが振り返った。二人の姿に目を留め、煙管を下ろす。

「ようお参りです」

にこりと笑み、一礼した。


令和市の姿に目を奪われていた海石も、彼の声にはっと我に返る。住職の方か、と慌ててぺこりと頭を下げた。

「はじめまして、おじゃまします。あの、ここにお住まいの方ですか?」

もしそうなら、ひと声かけておかなくてはならない。もしかすると私的な庭の範囲にずかずか踏み込んでしまうかもしれないからだ。いや、もう立ち入りすぎてしまったか?
恐縮する海石に対して、おっさんはぷぷっと吹き出してみせた。

「ははは、いやあ。こんなボロ寺、住めるところじゃござらんよ」
からからと笑う気前のよさにびっくりする。にゅーろんは隣で苦笑していた。
「それよか、お参りはされてこられましたかな」
「あ、はい。あ、いえ、これからです」
「僕は他力を奉納しに。」
「さようですか」

何を奉納するって?聞いたことのないワードに海石の頭ははてなでいっぱいになる。にゅーろんがなぜか何も説明してくれないので、おっさんに伺うような視線を送った。おっさんはそれを受けると、煙管をくわえる。ふう、と煙を吐き出した。

「このお寺っちゅーのはね。己の力だけで生きにゃーと、いろんなもんをしょいこむ方が。ちょいと駆け込むとこなんですわ」

ゆるりと微笑み、おっさんは慈しむように朽ちかけたお堂を眺める。

「他力の力を信じてみなされ。きっとあなたの力になる」

海石はよく分からないまま頷いた。


勝手知ったるにゅーろんがガラガラと引き戸を引いて中に入る。海石はなんとなくぺこりと頭を下げてから、おそるおそる足を踏み入れた。

「え、」

息を呑んで目を瞠る。にゅーろんが振り返って海石の手を掴み、ニッコリ笑った。

「大丈夫だよ、海石さん。大丈夫。」

お堂の中に入った瞬間、視界から色が消えていた。目の前のにゅーろんも、自分の手も、畳も、木の柱もすべてが白黒。色彩が失われたことで、はっきりしていたはずの境界線が曖昧になる。映し出される世界はあまりにも頼りなかった。握られた手が温かい。

手を引かれながら、海石は慎重に、慎重に前へと歩を進める。小さなお堂の中に仏像はない。代わりにあるのは『他力本願』と記された掛け軸だけだ。

にゅーろんは掛け軸の前に正座すると、目を閉じ胸をトントンと叩いて手を差し伸べる。それから手を合わせた。海石は戸惑いながら彼の隣に腰を下ろし、手を合わせて目を閉じる。

(ええーっと…。)

おっさんの眼差しが脳裏をよぎる。

(ドッペルゲンガーとか、死ぬかもだとか、わけわからん出来事がうまく収まりますように)

ふー、と深く息をつく。にゅーろんは海石が立ち上がると、顔を上げて手を差し出す。海石はその手を掴んで引き上げた。


「ありがとうございました」

門のところでお礼を述べると、おっさんはにっこりと、嬉しそうに笑った。

「いえいえ。こちらこそ、はるばるお越しくださって、ありがとうございます。またいつでもお越し下さい」

それからおっさんは煙管を袂に戻し、すっと手を合わせ穏やかに目を閉じる。

「ここに集まる他力が、海石さんの助けとなりますように。いついかなる状況でも、海石さんが他力を求める心を忘れませぬように。他力本願、他力本願。」

なむ、と頭を下げる。丁重に頭を垂れるおっさんの姿勢は、境内に溶け込むように美しい。海石は思わず見惚れていた。

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Scene 4: 潜行

「ありがとうございましたー」

構内のコンビニから出て駅へ向かう。ピンクのレンガの建物の中でたくさんの人が話し合っているのを横目に、コンクリートを踏みしめた。真夏にフードをすっぽりとかぶる彼に対し、校門前に立つガードマンが鋭い視線を飛ばしてくる。

大学前の店が立ち並ぶ商店街は価格と品揃えから常ににぎやかである。人込みをすり抜けるようにして進んでいくが、それでも肩がぶつかった。よろめいた体を誰かが捕まえ、支える。内心舌打ちする。

「おっと、悪い。大丈夫か?」
「…ああ、大丈夫だ。こっちこそごめん」
「えっ?」

とぼけた声を出した相手は、いきなり肩を強くつかんでくる。強引に顔をのぞき込まれ、突然のことに反応できずに固まった。

どこにでもいそうなサラリーマンといった風情の男が目を見開き、そして破顔する。

「海石!」
「!!」

瞬間、手を振り払って人込みに飛び込んだ。

「おい!?」

呼び止める声も無視して走り抜ける。

「おい、待てよーー…!!」


構内で笑い合う顔。校庭を走り回る顔。店の商品を眺める顔。時刻表を見上げる顔。滑り込んでくる電車に乗り込む顔。

呑気で、

あどけなくて、

平和ボケしていて、

当たり前のように生きていて


すべてが、滑稽だった。


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「何も知らねぇで、笑ってろ」



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Scene 5: 行動

他力本願寺を出た海石は、幾分すっきりとした胸に手を当てていた。ふう、と深い息を吐き出す。

「ありがとう、にゅーろん。いろいろと付き合ってくれて」
「ん、いいよ。僕は暇人だからさ、令和市のあちこちに顔出してるし。頭よくないかわりに一緒に動くことはできるんだ」

にゅーろんは車にもたれて軽く微笑む。海石もつられてはにかみ、ありがとう、と頷いた。

「にゅーろんが暇人でよかった」
「はは、僕も感謝してる」

それに、と言いかけたにゅーろんは話を止めてポケットに手を突っ込んだ。スマホを取り出し、タッタと軽くタップする。それから顔を曇らせた。

「え、なにこれ」
「ん?」

令和市みらいの文化センターのオープンチャットで、海石にメンションがきていた。誰だろうか。スマホから届いたメッセージを見て海石も固まった。ひゅ、と喉が鳴る。

桜海老『海石、さっきはごめんな。肩は大丈夫だったか?お詫びを兼ねて、来週末みらいの文化センターのメンバーで集まってバーベキューしようぜ』

続けて手を合わせて『ごめんね!』と謝るサボテンのスタンプと、『私だってたまにはミスをするのです』と真顔のハムスターのスタンプとが送られている。

震える手で返事を打ち込んだ。

海石『肩って、なんのことだ?お前には、今日会ってない。今日はずっとにゅーろんとあちこち行ってたんだ。』
桜海老『えっ?』

彼は会社勤めで日々忙しく、たまの夜に海石と語る時間を持つくらいだ。ふぃろ島のオープンチャットで行われていた会話なんかも読み飛ばしていたに違いない。海石は個人的に会話できるよう、メッセンジャーで話しかけた。

海石『桜海老。さっき俺を見たって?』
桜海老『ああ。ぶつかってしまって、謝ったらお前の声がしてさ。つい肩掴んじまったんだ。そしたら、お前、びっくりして、そのまま走ってしまってよ。すげえこえー顔しててさ、いきなり悪いことしたなあって』

「…。」

びっくりした顔。こえー顔。海石はスマホを握って黙り込む。
じっと考え出した海石を眺め、にゅーろんはスマホをいじり始めた。

「よし」

小さく呟いた彼に、にゅーろんはおもむろにスマホをポケットに突っ込む。

「決めた?どうするか」
「ああ」

頷く。

「ドッペルゲンガーのことは、もう気にしない」
「へえ」

面白がるように目を細め、にゅーろんは腕を組む。

「死ぬかもしれなくても?自分と同じ顔がそこここをうろちょろしてても?」

「うん。おれだったらって、考えたんだ。ドッペルゲンガーがおれなら、ほっといてほしいと思うはずだ。それに、死ぬかもしれないなんて、生きてればみんなそうだ。いつ死ぬか、何で死ぬかなんて誰にもわからない。どう対策したって、どうしようもないこともある。じたばたするのはやめるよ」

「ふうん」

「おれは令和市民として、これからも生きていく。死ぬかもしれなくたって、いや、死ぬかもしれないからこそ。おれはおれを生きる。今、おれがやりたいように生きて、死ぬよ」

それが、おれが令和市に来て、学んだ生き方だ。

海石ははればれとした表情でそう告げる。にゅーろんは小さく笑った。

「ーーなるほどね」

にゅーろんはひとつ、頷く。スマホを取り出して何かいじると、ポケットに入れて車から体を離した。ちゃり、と鍵を鳴らす。

「帰ろうか。駅まで送るよ」
「ありがとう」

海石はにっこりと笑った。

「ーーーよっしゃ、これで心置きなく魔都設計プロジェクトに参加できる!!おれ、色々やりたかったんだ〜。やっぱ魔っぽく蜘蛛だろ毒だろ魔術だろ、自動機械人間やゴリゴリのロボット作ってもいいし、街並みもほかと違って歩くと花火飛んだり扉の仕掛けミスるとファイヤーボールとか雷とか」

「あはっ、いいねえ。市役所メンバーのリアクションが目に浮かぶよ」

抱えていた重荷を下ろした海石は嬉々として喋り出す。ずっとうずうずしていたのだろう、今にもスマホを片手に設計図を描き出しそうだ。にゅーろんはくすくす笑って海石をプロジェクトチームへ招待する。

「ようこそ魔都振興研究所へ。ハムスターのためにも、お手柔らかにね」      「ありがとう!!思いっ切りやるさ!!」

なんてったって、令和市は市民の『やりたい』をみんなで動かしていくところだから。やりたいな、はじゃあやろうぜ、に転がっていくところだから。

いつだって、飛び込んでみれば面白がって迎え入れられる。


令和市は、そういうところだ。


助手席に乗り込んでシートベルトを締めた海石は、早速魔都振興研究所チームで共有されているドキュメントを熟読し始めている。こりゃあ百人力だと笑って、にゅーろんはアクセルを踏んだ。


「忘れ物ない?前みたいにスマホ置きっぱとかやめてよ」              「大丈夫、ちゃんと持ってる。にゅーろん、今日はほんとにありがとう」            「うん。じゃあ、また会おう」

令和学研都市(桶狭間橋)駅前のロータリーで、車を降りた海石はポケットをぽんぽん叩いて確認する。にゅーろんは片手を振ると、滑るように車を発進させてみるみる遠ざかっていった。

海石もくるりと背を向けて、人混みの中をさくさくと歩いていく。相変わらずこの駅は賑わっている。乗り換えも便利だし街も栄えているし、海石もこの街を訪れるのが楽しみだった。

スマホをかざして改札を抜け、最寄り駅に向かう電車を調べながらホームを歩く。待機列に並んでちらりと電子掲示板を見上げた。

18時44分。帰宅する頃には腹ぺこになっているだろう。今日の夕飯はタコライスを作ろうか。近所のスーパーもそろそろセールをしているだろう。いいものが安くなっているといい。

『速報です』

混雑しながらも穏やかな時間に、無機質な声が鋭く切り込む。駅の掲示板にパッと映像が映り、ニュースが流れた。そこに移る光景に、ホームにいた人々は息を呑む。

「緊急速報。令和市公民館が爆破。付近の市民は速やかに避難開始。緊急速報。令和市公民館が爆破。付近の市民は速やかにーーー」

公民館が、燃えていた。

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Scene 6: 動転

「たった今、令和市公民館が爆破されました。」

各路線の運行状況や路線図を表示していた電子掲示板は、緊急ニュースを放送するテレビへと変貌した。無機質な音声は通常の倍の速度で状況を説明する。燃える公民館を映していた映像は、続いて公民館付近の地図を表示した。いくつかバツ印がついている。

「付近の皆様は、至急避難所へ避難してください。公民館から離れてください。緊急事態の発生に、令和環状線、空港線を含め、すべての路線は一時運転を見合わせております」

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続いてニュース速報から画面が切り替わった。ハムスターだ。常に冷静沈着なハムスターが避難を呼びかける。

「付近の皆様は今すぐ脱出用ポッドに乗船してください。サボテンが順次誘導しております。お近くの印の箇所へご移動ください。繰り返します。付近の」

ハムスターの声が途切れ、またニュースが表示された。

「速報です。令和市民大学にウイルスが発生し、建物から強制的に退去される人が続出しております。退去させられた人は避難誘導に従ってください。繰り返しまーー速報です。近代美術研究所が切り離され、令和市から離脱しました。アクセスできないため研究所内の動向は不明です。現在確認中、速報です。ゴーストヶ丘のゴーストたちが一斉に怪奇現象を発生させました。近隣の方々は今すぐ避難してください、電力の供給がまもなく断たれま速報です。しさく公園が浮遊を開始しました。墜落の可能性がありますのでご利用の方は低空飛行中に脱出してく速報ですーーー」

「どうなってるんだ!?」
「またサボテンが騒ぎを起こしてるんじゃ」
「いや、あれはマジっぽいぞ。何かが起きてるんだ!!」

騒然となった人々はスマホを操りながら、一斉に駅の出口に向かおうとする。ちょうど止まっていた電車はすべての扉が開かれ、乗客たちがホームに溢れ始めていた。構内は一瞬パニックに陥りかける。が、そこでぽこぽこと地中から幾つものサボテンが飛び出した。うち一体が電子掲示板に飛び乗り、ぶんぶん大きく手を振る。

「はいはーい!!みんなちゅうもーく!!私たちが案内するからね~!!ついてきて~!!」

分身たちはぴょーいぴょーいと地面を跳ねて「はいグループになって~君らはこっちね~はいはい行くよ~」と素早く人々をまとめている。構内の市民は指示に従いながら走り出した。

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海石は一旦壁際に逃れ、スマホを取り出しオープンチャットを開いた。公民館のオープンチャットは大変な有様だ。怒涛のように情報と会話が飛び交っている。ふぃろ島を開くとそこもどんどん人が話していた。そのうち一文が飛び込んでくる。

ふぃろ『@海石、@にゅーろん!!今どこにいる!?ひょっとして駅にいるか!?』

にゅーろん『あいにくさっき海石さんと別れちゃったんだよね!!僕は今国道-132号線で車の中、もう狭間駅から離れちゃった。』
     『@海石さん、大丈夫!?』

海石はすぐに返事を送る。『俺は大丈夫。ふぃろさんとこは影響ないですよね?』

ふぃろ『ああ、俺は島にいる。それより、@桜海老 達と合流できないか?@海石、話したいことがある』

にゅーろん『あ、よかった。』
     『@桜海老 さんたちはどのへんいいるの?』
桜海老『今ラッスンと一緒に丸の内駅にいる。片田舎駅に行こうとしていたんだ』
にゅーろん『わかった。そのへんの公園にいて。今から迎えに行く。@海石さんも、どっかで待ってて。迎えに行くから』
海石『了解』

海石はスマホの画面をオフにして改めて駅構内を見た。サボテンの誘導があるといえど、外へ出るための行列は発生し、皆苛々と落ち着きなくスマホや電子掲示板を見上げている。これでは外に出るためにもう少し時間がかかるだろう。落ち着いて会話するために、むしろ無人となった電車の中に入って腰を下ろし、イヤホンをさす。既に会話は始まっていた。

まいまい『令和市中が大混乱ですね。』
ぼいぱ『隕石衝突以来だねえ』
ラッスン『やべえことになってんな』
にゅーろん『うわあ、渋滞してる。到着遅れそうだ~』
桜海老『焦らなくていいよ、にゅーろん』

オンライン会議のアプリを使い、ふぃろ島のメンバーの何人かがアイコンなり顔なりを画面に表示して話している。海石はタップしてスマホの画面を空中に投影させ、それに向かって話しかけた。ちなみに自分の画面は砂浜のバーチャル背景にしてある。

「まいまいさんやぼいぱは大丈夫なんですか?」

『ええ。相方の糸瀬も一緒に家にいましたから。わたしたちは僻地に住んでいるから、問題ないですよ。』
『うちは大都会だから、ちょっと回線落ちが心配なくらいかな~。ひょっとするとゴーストヶ丘の騒ぎの影響で電気止まるかも。まあ問題はないね。』

画面に自宅の風景をそのまま映して喋るまいまいやぼいぱは絵を描いていたりお茶を飲んでいたりといつも通り変わりない姿を見せている。いつもならば気に留めない彼らの姿も、今はどこか安心感を与えてくれる。混乱の真っただ中にいるだろう、ミュートで、アイコンだけは表示して会議に参加しているメンバーからハートのスタンプが送られていた。

そのまま雑談を始めていると、ぴこん、と音がして新たな参加者が入ってきた。

〈よし、繋がった…聞こえるか?〉

あー、あー、と音を試すその姿が映される。海石はぱああっと顔を輝かせた。

「ふぃろさん!!!!!」
〈おお、海い〉
「今日もすこぶるカッコイイですね!!!」
〈え、うん(^_^;)? ありがとう。〉

画面の中でポリポリと頭をかく動きをしているのはふぃろ、の本体ではなく、動作を再現しているアバターである。流れる人工音声はよどみなく、遠く離れた彼の言葉を伝えてくれる。

船長の登場に、メンバーは会話をやめてそちらを見た。ふぃろは渋い顔で口を開く。

〈公民館が爆破された、それだけじゃない。このままだと令和市そのものが消滅する。〉

その発言に、音声でつながっているラッスンが真っ先に食って掛かった。
『はあっ!?冗談よせよ!!令和市がなくなるわけねえだろ!?ここに住んでるおれらはどうなるってんだ!』
同感だと言いたげに桜海老が隣で頷いている。

『さあねえ〜』カメラ越しのぼいぱはニンマリと笑っていた。
『もともとなかったんじゃな〜い?』と、コップにさしたストローでくるくる遊ぶ。
『令和市消滅?あるものは消えるしないものは消えようがないし 幻は解けるだけだよ』
〈俺は令和市を守る〉
メンバーの混乱に耳を貸すことなく、ふぃろは断言する。
電波状況が悪いのかカクカクした動きで片手を持ち上げ、パズルのピースのアイコンを表示した。”手掛かり”の象徴だ。

〈令和市は消滅なんかしない。必ず生き残る道があるはずだ。そこで鍵となるのが海石、お前だ〉
「へ!?」
〈正確には、お前の見たドッペルゲンガーだ。〉

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「あの、どういうことですか?」

いきなり話を振られた海石は困惑して問い返す。
ふぃろは全員から説明を求める視線を浴び、こほんと咳払いした。

〈一昨日にゅーろんが上げていた、海石がドッペルゲンガーと会った時の体験談を語る音声。あれを聞いていて、違和感があったんだ。〉
「違和感?」
〈ああ。聞いてみたほうが早いな〉

空いている片方の手に、ラジオのアイコンが表示される。アバターはカチッとボタンを押し、キュルキュルと古風な音がして再生が始まった。

『それじゃ、教えて。ドッペルゲンガーと会った時のこと』

『ああ…。あれは、俺が令和市みらいの文化センターを出て、駅から電車で令和市学研都市駅に行った間のことだった。あの日はそれまでは、普通に過ごしてたんだ。普通に人と会って、打ち合わせ終わって次に移動してた。狭間駅の改札出るとこで、隣の人と同じとこ使いそうになってさ。あ、と思ってそっち見たら、同じ顔が俺を見てて。なんか、一瞬、頭真っ白になった。わけわかんなくて。で、俺を見てたその顔も、すっげえびびった顔しててさ。なんも言えない間に、人の波の中に消えた。え、ドッペルゲンガーがどこ行ったか?そんなのわかんねえよ、見る暇も余裕もなかったし。人すごい混んでたしさ。なんか電車が全部?止まったとかなんか言ってた気もする。あんま聞いてなかったけどな。もう、それどころじゃなくて。人にせっつかれて改札出て、ふらふらしながら駅出て、そのへんのカフェに入ったよ。その後はオープンチャットの通りだ。無理すぎて島の仲間に頼ったんだ』

〈な、おかしいだろう?〉
「えーっと…。」

海石は返答に困って仲間を見た。画面の中の仲間たちも考え込んでいる。

〈よく聞いてみてくれ〉
「?」

ふぃろはもう一度再生した。

『え、ドッペルゲンガーがどこ行ったか?そんなのわかんねえよ、見る暇も余裕もなかったし。人すごい混んでたしさ。なんか電車が全部止まったとかなんか』

今度は一部分を切り抜いて再生される。海石やにゅーろん、まいまいなどは首を傾げるばかりだったが、画面内の何人かが「あっ!」と叫び、身を乗り出した。ふぃろは相槌を打つ。

〈海石がドッペルゲンガーを目撃した7月22日。この日、令和市の路線はどこも止まっちゃいなかった〉

海石たちは驚きに固まる。

〈SNSを確認したし、全線に確認をとった。あの日止まった、運転を見合わせた路線はひとつもなかった。〉

間違いなく、7月22日に電車は一切止まっていない。ふぃろから告げられた衝撃の台詞に、知らなかった、とにゅーろんが首を横に振った。

「僕の足、基本車なんだよね。まさか止まってなかったなんて。でもそういえば、そんな電車が止まってたら、あのサボテンがのんびり魔都設計話に付き合うわけないよね」
『サボテンちゃんは電車大好きですものね』とまいまいが相槌を打つ。

全線止まる、あるいは数本でも止まることがあれば、基本のんびりしているサボテンでも即座に対応に向かう。全線運行停止の事態ともなれば、今現在市役所のメンバーが行っているような緊急対応をしていたはずである。

そう。今、行っているような。

だんだんとメンバーの顔つきが変わってくる。海石もなんだか妙な予感がした。この先の話を聞いてはいけないような。今すぐスマホをオフにしたいような。そんな、妙な焦燥感。

長い空白が漂う。
黙り込んだメンバーだったが、ついにこわごわと桜海老が呟く。

『まさか、ふぃろさんが言いたいのは…。』

ふぃろは頷き、明確な音声で告げた。

〈海石。あの日、お前がみらいの文化センター駅から令和学研都市駅…狭間駅に移動していた間。お前は7月22日にいなかった。お前は今日。7月24日にいたんだよ〉

「えー、それ、つまり…」
〈ドッペルゲンガーの正体は、未来に紛れ込んだお前自身だったんだ、海石。〉
海石は目を見開く。口を半開きにして、ふぃろに視線を釘付けにした。

『えええ、うそでしょ』
『本気で言ってんのかよふぃろ?』

ぼいぱやラッスンが非難めいた声をあげる。ありえないと言わんばかりにラッスンは首を横に振ったが、まいまいやにゅーろんは真摯な表情でじっとふぃろを見つめていた。たよりない糸を手繰り寄せるかのように、船長の帽子に答えが書いてあるかのように、視線を注いでいる。

桜海老が腕を組んでうーんと首をかたむける。

『まあ、令和市なら時間移動してもありえないことはないと思うけれど。それがどうして令和市が生き残ることとつながるんだろう?海石が時間のねじれ?はざま?にいて、ドッペルゲンガーという自分を見た。それだけで…』
『あっ!!』

にゅーろんが膝を叩く。
『わかった、”兆候”だ!!』
『!!』
彼の言葉に、はっ、と桜海老も顔を上げた。ぼいぱは思いっきり顔をしかめて二人を見ている。

『どういうこと?』
『シンクロだよ』
『え?泳ぐやつ?』

ラッスンのひと言に、桜海老がずっこける。まいまいは笑い出しそうなのかなんなのか微妙な表情で彼を見ていた。
にゅーろんが解説する。

『synchronize、同期する、同時に起こる。すなわち一致だよ』

『"自分と同じ顔を見た者は死ぬ"。海石が目撃した”死の兆候”は、そのまま令和市滅亡の前兆でもあったんだ』

『つまり、海石さんのドッペルゲンガーを発見し、海石さんの死を回避することができれば。令和市の滅亡も回避できる!!』

『ええ!?そんなバカな!!』
『連動してるわけねえだろ!!コイツが令和市に来てから何回コケたと思ってんだ!?』
『海石さんはよくこけますもんねえ』

ぼいぱは完全否定しラッスンは海石の所業を指摘する。まいまいはおっとりと過去を振り返って微笑みつつ、この事態に動じることなくアートの制作を開始した。会話しながらキャンバスに絵の具を投げつける、これがまた見事な投擲である。
ふぃろは首を横に振った。

〈令和市だって何度もコケたさ。だが言いたい話はそうじゃない。
令和市は令和市民によって成り立っている。運命共同体なんて生易しいものじゃない。令和市は令和市民なんだ。令和市民は令和市なんだ。令和市民が生き残ることで、令和市は生き残ることができる。逆に令和市が滅亡すれば令和市民は生き残らない。このままでは俺たちの存在はなくならないが、令和市民は滅亡する。〉

『何言ってんだか』
『言葉遊びもたいがいにしろよ』

納得しているメンバーと、全くのとんちんかんだと考えるメンバーとではっきりと分かれていた。しかし、ふぃろは彼らの反応を気にすることなく大真面目に力説している。

〈海石、お前の身に起こる出来事が、最も直接的だ。令和市と直結している。お前が生き残る手段を考えろ。いや、作れ。いや、生き残れ。〉
『無茶苦茶だなあっおいっ。おい海石、お前ふぃろの言うことなんか真に受けんなよ。もういいからとっとと避難を、…海石?』

ショックのあまりか、俯いていた海石はラッスンに声を掛けられても何も言わない。反対側から怪訝そうに桜海老が画面に顔を近づけた。一拍の間を置いて、海石はぽつりと呟く。

「ふぃろさんは」
〈?〉
「令和市に、生き抜いてほしいですか」

破壊音や悲鳴のとどろく緊急事態。繰り返し流れる避難誘導の音声案内。対して無人の電車に座る海石の周りは小石が落ちてもわかるほど静かだ。深海のような落ち着きをたたえる海石の問いかけに、ふぃろは迷うことなく大きく頷いた。

〈令和市はまだ、生きなきゃならない。
まだ、その生を生ききってはいない。〉

「…わかりました」

〈海石?〉

海石はぱっと顔を上げる。にっこりと笑ってふぃろの映るスマホを掴み、ぶんぶん振った。

「やっぱりふぃろさんは頭脳明晰パーフェクトクールで超かっこいいですね!!さすが俺たちの船長!!」
〈え!!? お、おお??〉
『あーあーハイテンションだこと』
『ふぃろも慣れろよ』
〈お、俺が慣れるのか〉

毎度のことながら海石のキラキラした眼差しをいきなり浴びたふぃろは驚きのあまり硬直している。「じゃあさっそくおれちょっと飯食って腹ごしらえしてきますね!コンビニいってきます!」と手を振っていく海石を見送った。桜海老はくっくと笑ってスマホをーーきっと気持ちはふぃろの肩を叩いている。

『いやあ、やっぱ船長はすごいなあ。海石をあっという間に元気にしてくれた』
〈うん…?何もしてないけどな?〉
『あはは!』

きょとんとしているふぃろににゅーろんも明るい声を挙げて笑い出す。まいまいもふふふっと声をもらし、会議はほんわかとした雰囲気に包まれた。

『なんにせよ、生き残りたいよねえ』
『だな!!ふぃろの言ってることわけわかんねえけど、最後だけ同意だ!!』
〈ああ、細かい話はどうでもいい。なんとしても生き延びよう〉
『僕らもやれることをやろう』
『ですね』

一同は覚悟を固めた。


『繰り返します。公民館爆破を始めとする度重なる緊急事態の影響により、全線運行を見合わせております。市民の皆さまにはご迷惑をおかけしますがーー』

アナウンスが響き渡り、改札口は人でごった返している。乗るはずだった電車が止まった人、降りようと思っていた電車が動かなくなった人、発車を見合わせた電車からどうにか降りようとしている人ーー。あらゆる方向へ動こうとする人々の集まりでごちゃごちゃだった。サボテンがなんとか呼びかけ、人の流れを整えようとしている。

その中をかき分け、海石は走る。息を切らし、ひとの足を踏み踏まれ、押しのけられながら走る。

そしてついに見つけた。今にも改札を抜けようとする背中。

「ーー待った!!」

ぱし、とその手首を捕まえる。ぜえぜえと肩で息をしながら膝に手を付き、ようやっと顔を上げる。手首を掴まれた人物は振り返った。

「あーらら。出会っちゃったな、俺たち。
 いいのか?」
「…。話したいことがある。付き合ってほしい」
「おう、いいよ。」

なんせ、”おれ”の頼みだからな。

そう言って、『海石』はニッコリ笑った。



ーー令和市滅亡まで、あと


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盾は守り抜けるか?

令和市を

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Scene 7: 転機

海石は駅を出ると、無言で歩いた。てくてくと歩く彼の後ろで、『海石』は右に左にぶつかり合い逃げ惑う人々をのんびり眺めている。

「すげえ騒ぎだこと。で、どこで話す?このへんのカフェは無理そうだ」
「あそこにしよう」

海石が指差した方向を見て、ドッペルゲンガーは楽しそうに肩を揺らす。

「なるほどね。たしかに、あそこなら話の途中で崩れることもないし、人もいないな。」

いいな、そこにしよう、と頷くのを見て海石は再び背を向けて歩く。目指すは駅近くにある展望台。高層ビルほどにも育った巨大な楠を利用した見晴らし台は、令和市を眺めるにもってこいだ。海石はそこを対話の舞台に選択した。

互いの体力のなさをバカにつつ、ヒイヒイ言いながら長い階段を登りきる。ちなみに二人共、登るための第二の選択肢であるはしごは断固として拒否した。
頂上へ到達した海石は、眺望台に出るなりはっと息を呑んだ。ドッペルゲンガー『海石』は柵に腰掛け平然と景色を眺める。

「あ〜らら。だいぶ、崩れてきてんなあ」
「そん、な、」
建物も、道路も、オブジェも、空さえも。
あるべきかたちを保てず、崩壊の魔の手に侵食されている。遠くでは山が削られ、炎や煙が燻っていた。うかうかしてるとここも崩れてきちまうな、と『海石』はのたまった。

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海石はぐっ、とせり上がるものを呑み込む。そして表情を取り繕い、柵上に座る彼の隣で一望した。『海石』はお、と目の上に手をかざして身を乗り出す。

「あっちの方には海が見えるぜ」
「へえ。あ、海賊島、見えるかな」
「そりゃ遠すぎるんじゃ…おっ、しさく島が浮いてやがる。ん?あそこに無事な建物があんな…ひょっとしてゆかりの部屋か?しぶといな」
「あそこは頑丈だよ」

海石は口元をほころばせて胸を張った。自信満々なその態度に『海石』はわざとらしく唇を尖らせ、つまらなそうにそっぽを向いた。そんな彼に、海石は穏やかに問いかける。

「なあ、ドッペルゲンガーの『おれ』。お前は何者なんだ?」
「おれ、だろ?」
「そうか?
 本当に、そうか?」
「なーんだよその言い方は。生まれてからどんな暮らししてきたか、ここで何食って何して生きてたか、趣味は何か、イチから全部話せば納得してくれるのか?」

面倒くさそうながらも、『海石』は要求されればそれに応えるつもりのようだ。景色に背を向け海石に体を向ける。己の膝に頬杖をついて顔を向けた彼に向かって、海石は静かに問いかけた。

「なら、聞くけどさ。おれは、これまで何回お前に殺されたんだ?」

この展望台からは、何回お前に落とされた?

幼なじみと一緒に懐かしい思い出を振り返るような、あたたかい記憶を取り出すような、そんな緩やかさを伴う調子で投げられた問いに対し、『海石』はからりと笑ってみせた。

「そんなの、数えきれねえよ。」

海石は苦笑した。

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「やっぱり、そうか」
「ああ。ここ以外にも、色々なところで落ちてったからな。うっかり落ちたことも、俺が落としたこともある」

ほんとに、色々だったよ。と言って、『海石』は大きなあくびをした。

「縁ってのは、ほんの小さな交わりだ。ほんのちょっとのすれ違いで、砂粒みたいな積み重ねで、ちょっとずつ未来がずれてくんだよ」
ま、お前、いつも死ぬけどな。告げる姿は悲しみも喜びもなく、黙り込む海石の前でだらしなく座っている。

「でも、なんでお前がそれに気付いたんだ?記憶でもあんのか?」
「いや。ただ、ふぃろさんに『ドッペルゲンガーの正体は未来に紛れ込んだお前だ』って言われた時、なんとなく…既視感があった。『ああ、まただ』って」海石は展望台に突き出るごつごつしたはしごを撫でた。「でも、」と続ける。

「でも、何回もおれはお前と会って死んでるはずなのに、今おれは生きてる。同じ崩壊寸前を繰り返してるってことか?
繰り返すってことは、未来に進めないってことは、生き残る、が正解なのか?
おれが生き残るまで、正解のルートに進むまで、令和市は未来に進めないのか?」
「正解?正解があんのか?」
「ないか」
「ないな」

お互いうんうんと頷き合う。ぴゅうぴゅうと風が吹く。『海石』は輪郭を歪め道路に巻き込まれながら沈む商店街を見下し、呟くように海石の疑問に答えた。

「未来に進まないんじゃない。その先がないんだよ。令和市が滅亡すれば、空間は消えて時間は消える。もう、ない」
「‥なら」
「ただ」

『海石』は振り返る。カチリと視線が組み合わさった。

「"お前"の選択はRETRYじゃない。LOOPだ」

海石は目を見開く。

キインと耳が痛む
ぐにゃりと手元のはしごが歪んだ。



彼は淡々と語を連ね る

お前は何度も繰り返している
同じ時を繰り返している
同じ崩壊の末路を辿っている
同じ選択を最後にしている
『令和市よ、もう一度』
お前は何度も試している
令和市を守らんと

お前がRETRYを選択する限り
お前は納得するまでお前の行為を選び直し続けることになる
お前のLOOPは終わらない
お前のLOOPは断たれない

長い沈黙
遠くで信号が鳴っ ている



Ceased One、お前が選べ

この選択で

終わらせるのか終わらせないのか




彼は唸る 木目を睨んで考え込む
ぷつり
音が一瞬途切れる
彼は力をふりしぼり ことばを押し出した

わかったよ

お前の中には
無数の嘆きがある
無数の悲しみがある

令和市の死に納得できなかった
おれの死が

令和市民として生きていく中で
納得できなかったこと

消化不良の気持ちが
たくさんあるんだ

おれはまだ生ききってない

吐き出すような 滲むような
懇願にも似た声音が零 れ る

それで死んでいった
おれたちが

繰り返される時間の中で
思いをたくさん溜めていったんだ

彼は揺れる木の枝を見つめる
相槌のようにさざめく枝葉を
声なき声を挙げる木の葉を
彼は伝わるものを受け取った
彼は彼に向き直 る

今気づいたおれは
今を生きてるこのおれは
たくさんの
おれの想いを消化しないといけない

かすれるような 絞り出すような声は
徐々に力を帯 びていく
瞳 に光が灯る
芯が透 る


おれはすべてのおれの思いをひっさげて

この先に進む

  意志を籠めた


           確かな響きが告げる


「LOOPは終了する。

これが最後のRETRYだ」


海石は、はっきりと言い切った。

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「それがお前の選択か。」吐息をつきつつ、『海石』は呟く。少しだけ 力を抜 いたよう に眉を下 げ、笑っ た。

「ならいいよ。

また 会おうな」

海石に は解っ た。その言 葉は、もう会 うことはな いからこ そ放た れた言 葉 と。


柵の上  が傾 ぐ。
支 の い宙 へ と 重 のま に 体 が吸 込まれ 。


落ちる。落ちる。落ちる。

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『海石』は

そら に消 え

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Scene 8: 機縁

高所の風は身を裂くように吹き抜ける。

ぱたぱたと服の袖がはためいた。

沈みゆく空の色が目にしみる。

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「どう、して」

声が震える。驚愕を表す瞳は小刻みに揺れ動いた。
彼はぐしゃ、と顔を歪める。

「何で、そんなことするんだよ…
 馬鹿がッ!!
 今すぐーー今すぐ、その手をはなせ!!」

『海石』は そらに消えかけ
 海石に腕を掴まれた。

海石は歯を食いしばり、右手で『海石』の左腕を掴んでいる。右半身は完全に外にせり出し、左手と左半身が辛うじて木の柵に引っかかっていた。

楠がざわざわと葉を揺らす。
海石は手に力を込めた。

『海石』は怒鳴る。ぶらぶらと宙ぶらりんな足が風に煽られる。

「馬鹿野郎が!!手をはなせ!!」
「嫌だ」
「舐めてんのか!?お前が今ここで死ねば、どうなると思ってる!!さっきのお前の、命がけの選択が惜しくねえのか!!?今の、生きてるこのお前の思いを無駄にするな!!」
「だったら、尚更はなさねえよ、ばーか!」
「ああ!?」

目を三角にする『海石』に向けて、海石は思いの丈をぶつけてやる。

「さっきのおれの選択が、命がけだって知ってんなら!!あの重みを知ってんなら、わかるだろ!!尚更手なんかはなせねえ!!」「なっ、んで、」
「孤独に沈む死は、もう終わりだ!!!」

『海石』は限界まで目を見開く。
海石は泣きそうだった。こみ上げる涙を懸命に抑え、のどを震わせ怒鳴り返してやった。

「おれはもう、誰も悲しませたくねえんだよ!誰もひとりにしたくねえんだよ!!
ずっとずっと、独り死んでった"おれ"がいるのに、それに気付いたのに、今目の前でひとり消えかけてる"おれ"が今目の前にいるのに、手を伸ばせば届いたのに
今更手えはなせるわけ、ねえだろうが!!」

バカヤロー!!と叫ぶ海石はやけくそだった。あれだけ済ました面をさらしていたあの『海石』が、ポカーンと口を開けて呆けているアホ面をさらしているのだからガッツポーズぐらいしてやってもほんとはいい。ほんとは遠慮なく笑い飛ばしてやりたい。が、正直無理だ。己の体重を片手で支えるなんて、一般人の彼には難しい。火事場の馬鹿力とはよく言うが、海石は『海石』を掴むだけでフルスロットル状態だった。とても、持ち上げられそうにない。

ずる、すると、片手が滑る。はっと気付いた『海石』が片手を伸ばして海石の手を払おうとするより先に、海石は左手を柵から離して両手で彼の体を掴んだ。

なっ、と抗議を上げる彼は暴れて離れようとするが遅い。海石は無理やりその身体を自分のほうに引き寄せた。乗り出しすぎた身の重みに片足では耐えきれまい。生まれたての子鹿のように震えている。

海石は焦燥を浮かべる『海石』に対し、朗らかな口調で問いかけた。

「こういう時ってさ、どうすりゃいいと思う?」
「心中しようって時の話か?」
「いや、八方手詰まりの時」
怪訝な顔つきをする『海石』は推測できないようだ。己の思考回路を辿るだけの話なのに。
海石はニヤリと笑いかけ、正解を告げた。

「他力本願。おれらじゃもうどーしようもないから、こりゃもー他力本願だ。」

他力の力を信じようぜ。
自信満々に、いっそ清々しく言い切るその姿に、『海石』は呆れたような、それでいて眩しそうな、ゆらめく眼差しをよぎらせた。

それでも、ややあって、ふと苦笑いする。

「それがお前が学んだことか」
「そうそう、一緒に唱えようぜ。せーの、他力本願、他力本が…あ、」

ずるり。
柵に絡めて踏ん張っていた足首が滑る。力尽きた足首は柵にかからず空を切る。二人は宙に投げ出された。

「あ〜」

海石は『海石』を抱きしめ、身を丸めた。

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『まだだよ、海石さん!!』


ーー海石のポケットから、にゅーろんの声が響き渡った。

落ちゆく二人の頭上に影がよぎる。

「ほいほいまいど!!
サボテンフライだよ!!」
「カラッと揚がりそうですね」

のんきな声と堅苦しい声が降った、と思った瞬間、何かにばふっと埋もれる感覚。世界がぐるんと回転し、次に気付いた時には二人まとめて柔らかな羽毛の上に乗っていた。

海石は瞬きを繰り返し、ゆっくりと身を起こす。自分が乗るものを見下ろす。

「ジェット…飛来鳥、隊」
「お困りの方はお声がけを!市民の方を守ります。どうもどうも、サボテンです!」
「海石さん、こんばんは」

返事のつもりでピエー、と鳴くのは伸びやかに羽を広げるジェット飛来鳥隊隊長だ。サボテンが羽の上でぴこぴこ踊り、ハムスターが隊長の首元に収まり慣れた手付きで隊長に指示を出している。

海石はふにゃ、と笑みを浮かべ、自分に押しつぶされた『海石』を抱き起こした。

「ほら、『おれ』。生きてるぞ。これが他力本願だ」
「マジモンの他力本願じゃねえか…」
「あっはっは!おっさんすげえわ」

青い顔の『海石』は完全に脱力しており、海石に対して文句を言う気力もないようだ。大人しく座っている。ハムスターもサボテンも同じ人間が二人いるこの現状を疑問におもわないのか、どちらの海石にも大した反応をしなかった。

代わりにサボテンが誇らしげに胸を張っている。そり返らんばかりに嬉しさをアピールしている。

「これで最後の市民救助ですよ!
 今のところ死者ゼロですからね!」
「え、すげえ。全然ポンコツじゃないな、サボテン!!すげえ!!」
「ありがとうございます」

ハムスターが綺麗に会釈してみせる。

「海石さんがスマホをオンにしてくださったおかげで、今回の救助は間に合いました」
「…。スマホ?」
『えっ?』

素っ頓狂な声がポケットから上がる。

『嘘でしょ?まさか海石さん、単純にウッカリスマホを切り忘れてたの?敢えて僕らに聞かせてたわけじゃないの?』
「・・・」

海石はおそるおそるポケットに手を伸ばす。引っ張り出して、悲鳴を上げた。

「やべえ!!残り3パーだ!!むしろよくまだ生きてたな!?」
『うっわーやっば』
『海石らしいといえばらしいのか』
『めちゃくちゃ慌ててたもんなあ』
『ウッカリさんですねえ』

にゅーろん以外にもいるのか、同じ音質で次々に声が重なっている。顔を引きつらせる海石に構わず、ふぃろが落ち着きはらった声で尋ねた。

『それで、海石。これからどうする気だ?何も言わなければ、職員達はお前らを避難所に案内するぞ』
「いや、おれは避難所には生きません」

慌てて海石はハムスターを止める。ハムスターは隊長を撫でて移動を止め、ホバリングしながら海石を振り返った。

「どちらへ向かいますか?」
「みらいの文化センター方面へ。みらいの文化センターは、もとより現在からみらいを探るところ。時間が入り乱れることに慣れてる場所だから、この崩壊にも最後まで耐えうるはずだ。それに、みらいの文化センター裏手には、ほとんど放置されてる丘がある。丘のふもとはわりと平らで、面積もあったはず」

海石がつらつらと考えつつ述べるなり、スマホ越しににゅーろんがあはっと声を弾ませた。

『そういうことか!わかったよ、海石さん。必要な物は文化センターにだいたいあるし、こっちで準備して待ってるね』

「あ、あるのか?」

『あるよ〜、なんたって文化センターだもん、お風呂も台所も楽器もね!白衣に緋袴に千早にと、巫女装束は足先までバッチリ!!ああでも、これから料理を即興で作らなきゃね!あとまだ文化センターで粘ってた市民のみんなを集めてくるよ』

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『にゅーろん??何言ってんだオメー?』
『ふぃろさん、解説して?』
『あーと。つまり、宴の準備をすればいいんだろ』
『宴え?』

「そうともさ」

海石はニヤリと笑みを刻む。『海石』は戸惑いを浮かべていたが、口をつぐんで会話を見守っている。ハムスターがなるほどそういうことですか、と呟く隣で、サボテンが「わっしょいわっしょい!!」と両手をふりふりリズミカルに跳ねていた。ちなみにここは遥か上空の鳥の上である。

「これからお祭りをするんだよ。生者も死者ももてなすために。生者も死者も楽しむために。もてなして、楽しんで、ーー死者が、ゆくべきところへ行けるように。」

『海石』は真顔で海石を見つめる。海石はその視線を受け止めた。『海石』は息をつき、視線を外す。

「そういうわけだから、演奏できる人いるかな?そっちに」
『いるよ〜。まいまいさんはピアノできるし、他にも色々』

ハイッ、と力いっぱいサボテンが挙手する。

「わたしはベストな曲を見つけます!」
「いや、ありがとう、サボテン」

海石は首をふる。

「サボテンは、ほかの市民と一緒に料理を食べて、楽しんでほしい」
「?わかりました!得意ですよ」
「ハムスターもね」
「そうですか」
「クソ野郎ちゃんは…。」

海石はふと考え込む。

「クソ野郎ちゃんには、頼みがあるんだ。いいかな?」
『びっくりするくらい、すべての人がひと夏の思い出って感じ、ひと夏の楽しい思い出がいるよ。』
「ありがとう、よろしく。」

「では、行き先はみらいの文化センターへ!!隊長さん、よろしく〜!!」

ジェット飛来鳥隊隊長は雷のように日の沈んだ空を切った。


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Last Scene :

すすきを左手に、蓮の花を片手に佇む。すすきを軽く振ると、水琴窟のような音が微かに鳴った。傍らに立つ『海石』から渡された般若の面を顔にかけ、海石は小高い丘の上を振り仰ぐ。

「ちょっと待って、海石」

クソ野郎ちゃんがぴょんぴょんとはねながら近づいてきて、かぱっと口を開けた。海石は右手を差し出す。がぶり。クソ野郎ちゃんが花に噛みつき、もぐもぐと咀嚼してごくんと飲み込む。またかぱっと口を開けて花を放した。無事な姿の花を見下し、海石は原っぱを登っていく。斜めに削られた、広々とした岩棚がひとつ。裂け目からたんぽぽが広がる岩。丘の上にはそれだけだ。

海石は岩の上に立ち、両腕を下向きに左右へ広げた。ちらりと後ろを見る。丘のふもとでは楽器やパソコンを構え、市民の皆が静かに海石を見つめていた。その奥ではご馳走が並び、多様な市民が徳利を片手に待っている。

『海石』と目が合う。互いに頷き、海石は夜空を見上げた。

すすきと蓮を星に向け、交差させる。

ーーすまなかった。

海石は心の中で深く詫びた。
これまでずっと、気付かなかった。気付こうとしなかった。
やむを得ないといえばそれはそうだ。この海石には知る由もない。
それでも、『自身』が苦しみ悩み、呻きながら死に埋もれていったことを知らなかった。

せめて、詫びよう。
せめて、祈ろう。
己に向けて、しずめの唄を。

さらさらとすすきが揺れる。
ゆるりと蓮の花を前へ掲げ、彼は口を開いた。

    れいわのとくさのことば

市民は祝杯を挙げる。

クソ野郎ちゃんは咆えた。


  ひととし ひととき うまれいづる
  あらたなるゆめ れいわのまちよ
  かのよこのよと はざまにゆれて
  えにしをつむぎて いましずむ

とん、と岩の上に跳ぶ。片手のすすきを風になびかせた。

すすきの音が響く。
左右に、前後に
崩れかけた天地に
綾のように広がっていく。

  れいわのそらうえからはなんぞ
  ゆめか のぞみか なかまか ひとか
  ところうまれて ひとはむすぶ
  あらたなるゆめ あらたなみちを

片手の蓮を月に向ける。
ボッ、と蓮の花に炎が宿った。

炎はそらへと燃え盛る。
篠笛が絡みつき、ゆらゆらとそらへのびた。

クソ野郎ちゃんが咆える。

  ときをきざみて れいわはねむる
  とくさのたからをよにはなつ
  たみのいとなみ さきはうように
  かのよこのよの いたみをとかし
  さるはのいたみを 0にかえす

すすきの穂を真横に向けて足を引く。
右から左へ 左から右へ
ふるふると穂が響く。

高く打ち鳴らす太鼓が轟き迎え撃つ。
鼓が笑い、箏は唱和する。

  ひとひふたみよ いつむななや
  ここのたりやと いのちはづる

くるりと回る草履に合わせ、白衣の裾が膨らみ岩を撫でる。
鈴の音は高らかに世界を震わせた。

  れいわのうみしたからはなんぞ
  なげきか さけびか こどくか あいか
  ところうまれて ひとはとざす
  あらたなるゆめ あらたなみちを

ゆうわりと膝を折り、炎を纏う蓮を左肩に当てる。手首をかえし、弧を描きながら右肩の先に高く伸ばした。軽く振られた蓮から火が溢れ、足元の舞台に落ちていく。

クソ野郎ちゃんが哭いた。

  ときをほどきて われはおきる
  とくさのたからをみにまとう
  たみのいとなみ ねぎらうやうに
  かのよこのよの いたみをいやし
  さるはのいのりを 1にたくす

ピアノの音が一瞬途切れる。

海石は振り返り、真っ直ぐにまいまいを見つめた。彼女はぎゅっと眉間を寄せた末、再び鍵盤に指を滑らせる。
すすきが風にそよぎ、裾が掠めるごとにたんぽぽの綿毛が宙に舞う。琴の音は丘を撫で、四方の果てへと伸びていく。

蓮を天空へかざす。火の粉は月に照らされながら夜空を流れる。

  れいめいのほしにひをともす
  そらへうみへと ふるふはしれ
  おつるとばりにひをともす
  ふかくたかくへ たちのぼれ
  れいわのわれはみちしるべ
  かなたなるさと われへとかえる

腰を落としながら右手を下ろしていき、花を足元の割れ目へ近付けた。たんぽぽの綿毛に火が灯る。

  ひとひふたみよ いつむななや
  ここのたりやと いのちめざむ

蓮を下げたまま腰を上げ、再びそらへ花を掲げた。育った炎は蓮から溢れ、地に落ちる。あっ、と息を呑む音が小さく届いた。

ほの明るい波がゆるりと地をめぐり、
石舞台はゆるゆると灯を纏った。

彼は再び両手の先を交差させ、星に放つ。
星は瞬き、雨のように丘の上へと降り注ぐ。

  れいめいのほしにひをともす
  そらへうみへと ふるふはしれ
  おつるとばりにひをともす
  ふかくたかくへ たちのぼれ

すすきの音が呼び
篠笛が誘う

  れいわのわれはみちしるべ

ピアノと箏がみちを編み

   かなたなるさと われへとかえる

鼓は目覚めを促した

  れいわのわれはみちしるべ

蓮の花が夜を照らす
白の衣が夜に輝く

  かなたなるさと われへとかえる

クソ野郎ちゃんが泣いていた。

  ひとひふたみよ いつむななや
  ここのたりやと いのちはづる

彼はうたう
右手が 衣が 足元が
舐める炎に呑まれようと

  ひとひふたみよ いつむななや
  ここのたりやと いのちめざむ

彼はうたう。
この炎と共にうたう。

奏者は奏でる。
はらはらと雫を頬に伝わせ
奏者は旋律を送り続ける。

市民は杯を干す。
透き通る涙を杯に注ぎ
市民は馳走を平らげる。

共に謳う
今を謳う
唄を送る

ほころぶ世界はかたちをかえる
こだまする唄がかたちをかえる


クソ野郎ちゃんは走り出した。

  れいわのまちよ いまねむらん
  れいわのわれよ いまめざめん
  ほろびしいけるものたちに
  れいわのわれとしるものに
  こころひびきて ここにみちる
  ゆらゆらとふる ときのうたよ

蓮の花が燃える
衣が燃える
石舞台が燃える
世界はゆれる

クソ野郎ちゃんは海石に飛びかかる

ぐば、と大きく口を開けた。

  ときはかきはに さきはへたまへ
  ときはかきはに よろこびたまへ
  ときはかきはに いはいたまへ

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  ときはかきはに さきはへたまへ
  ときはかきはに よろこびたまへ
  ときはかきはに いはいたまへ

炎は夜にほどけた。


連作『慟哭の残響』...

https://note.com/anumar3/n/n170eb1ef3be7