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サマージ

人間的な願望から
人並みのあこがれから
魂よ、つまり、
お前は脱却し
そして、自由に
飛ぶという~A・ランボー「永遠」

こんにちは 、アヌグラハです。
これから、 主にスピリチュアルな世界について 、書こうと思うのですが 、その前に自己紹介として、 自分のヒストリーを何回かに分けてお伝えしつつ、今、伝えたいことも合間にはさんでいくというスタイルで行こうと思います。

先ずは、スピリチュアルな世界との出会いについて。。。
話は、小学5年生の、夏休みまで遡ります。
その日、私は、今までお小遣いは、硬貨ばかりで、もらっていたのですが、初めて千円札をもらったので、ウキウキしながら、商店街を歩いておりました。
本が大好きな子供だったので、今日は、本屋に行って、何か読みごたえのある本を買って帰ろうと、心に決めていました。家にあった子供向けの本は全て読み終えて、飽きてしまっていたので、何か、ズッシリとした手応えのあるものが欲しかったのです。
本屋の棚を、隅から隅まで物色しているうち、目に飛び込んできたタイトルの本がありました。
『瞑想~こころを旅する本』
瞑想という言葉の意味は分かりませんでしたが、サブタイトルの『こころを旅する』という言葉に惹かれました。

「こころを旅するなんて!何かワクワクするじゃないか!」

手にとって、レジへ持っていって、
「これ、ください!」
と言うと、本屋のおじさんに、
「これは。。。子供には難しいんじゃないかな。。。」
と言われましたが、構わず買って帰りました。

難しいどころか!
古今東西の、あらゆる文献から採られた、数々の美しい心の旅のイメージや、象徴が散りばめられたその本は、実践書であると同時に詩集のようでもあり、夢中になって読む耽り、本に書いてある瞑想のテクニックの実践に没頭しました。
本格的な瞑想の準備段階の、ヨガで言うプラーティヤハラを経て、永遠を知るための瞑想、ダラーニからディヤーナまで、本だけを頼りに、コツコツと毎日積み重ねて行きました。
最初は、1日10分程度だったのが、回を重ねるにつれ30分~1時間と増えていき、毎日の習慣になって、そのまま3年間!1日も欠かさず続けました。
今、思うと、相当変わった子供でした。
毎日、夕方になると、お気に入りのマッサージチェアの上で、胡座をかいてヨガの手印を結び、母親が夕食が出来たと呼ぶまで瞑想していました。
よく心配もせず、放っておいてくれたものだと、今更ながら両親には感心します。

それが起こったのは、中学二年の夏休みでした。
中学に上がる前に、家が新しく建て替えられ、その頃は自室が与えられて、部屋のベッドの上で瞑想していました。
ディヤーナという、1つのヤントラを観想し、そこから無限にイメージを広げていく瞑想です。

突如として、部屋の天井の上の更に上、見えてないはずの真夏の青空が、トロリと融けて、流れ落ちてきました。
目眩くような快感の震えが、体を貫き、本に書いてあった『サマージ』が自分に起こっていることを感じました。
観ている私の中心『アートマン』と、宇宙の中心『ブラーマン』が融け合って一つになること。
ニ元性を超えた、絶対一元アドヴァイタの世界。。

とたん、
「こわい!」
という思いと、
「まだ早い!」
という思いが、私を瞑想の感覚から引き戻しました。
目を開けて、快感のせいなのか、それとも怖さからか、震える身体を自分の両腕で、ぎゅっと押さえ付けました。

同じ頃、ソー・ハムのマントラを使った呼吸の瞑想(プラーナ・ヤマ)でも、同じような体験をしました。

「ソー・ハム」

の意味は英語で言うと

「I am that 」

になります。
座って、頭頂のサハスラーラチャクラから、呼吸するイメージで、「ソー」と唱えながら吸い、「ハム」と唱えながら吐きます。
宇宙の中心に向かって吐き、宇宙の中心から吸い上げます。
続けていると、突如として、位相の転換が起こります。
今まで、自分自身が吸って、吐いていたのが、宇宙の中心が吐いたときに、自分が、まるで風船のように膨らませられ、宇宙の中心に吸われたときに、体が萎んでいくように感じられます。
更に続けていると、意識は、自分の体を抜けて、宇宙の中心と一体化していきます。

「I am that I am 」

。。。またしても、途中で怖くなってしまいました。

私は、まだ中学2年生で、扉を開けて、
「向こうの世界」
に行くには、まだ早すぎると感じていたのです。

~続く

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