正しさの押し付け
私は今でも忘れることのできない若かりし時の失敗があります。元々、自分の思ったことは割とはっきりと伝えるタイプだったので、当時も「おかしいこと」は「それはおかしいくない?」と友人に話していました。
友人同士の金銭の貸し借りについてです。友人チチちゃんがハハちゃんにお金を貸したが戻ってこないという話。
友人チチちゃんはそれを私に話してきました。私がお金を貸している訳ではなく、友人同士の話でしたので今考えると貸している友人が返ってこなくても気にしないと言っているのだからそれでよかったのですが、私は貸したものを返さないことがおかしいと思ったのです。
だから私は「筋が通ってないよね」ということを伝えました。すると友人チチちゃんはお金を貸している友人ハハちゃんではなく、私に対して不満の気持ちを持ったのです。
当時若かった私は、この状況がよく理解できませんでした。お金が返って来ないことを私に相談したのに、なぜお金を返さない友人の肩を持って私へ不満の気持ちを持つのか・・・
それから月日が経過し、たくさんの失敗や学びの中で例え自分が正しいと思ったことでも、押し付けてしまうと相手が不快になることを学びました。
そして何が正解か?なんて、誰にも分からないないし本人が決めることだということも・・・
私の方が合っている
分からないなんておかしい・・・
どうして何もしない?
なんとかしなければ・・・
こんな感情を自分以外の人に矢印を向けてしまうと、なかなか上手くいかなくなるということを失敗しながら学びました。
今は、子供のマスクやワクチンに関してもよくご自身で調べている方ほど、矛盾に気がつき、中にはそんな感情が湧いてくる方もいらっしゃると思います。
コロナ騒動が始まったとき、自分では何も調べずにマスクや過剰な感染症対策こそが常識であり正義だと話してこられると、もどかしい気持ちになっていました。
自分が行動することと、矢印を人に向けることのへの線引きがなく、昔の私のように「なぜ正しいことをしないの」と周囲に正しさを押し付けても、相手に向けた矢印は相手から自分に返ってくるのですよね。誰も話を聞いてくれないと思うのです。
例えば
「私は健康な子供にマスクは不要だと思う」
「だから自分の子供にはさせない」
▶︎これは自分がそう思う。だから自分はそのように意思表明する。自分が正しいと思うことをしよう。
一方で
「私は健康な子供にマスクは不要だと思う」
「マスクの意味がないことは明らかなのに外さない人はおかしい」
▶︎これは「主語がYou」になっています。矢印が人に向いているということ「外さない人」が主語になっているので、このスタンスで話すと聞き手としては「自分が責められている」と感じ聞く耳を塞いでしまう可能性も・・・
私はまだまだ未熟ですが、自分で考えること、自分の意見を持つこと、自分が行動すること、自分の意思表明をすること
ここにフォーカスし、出来るだけ主語が「あなた」にならないように気をつけたいと思っています。