最近の記事

謝罪

謝るのって、ずるいと思うことがある。 それは凄く自分勝手な性格の悪い私の話だ。 謝るのって、凄く大切なことだ。それは分かっている。けれど謝罪の先には、許しがある。そして謝罪を明け渡されたら、許しをしないと、今度は私が「許さなかった人間」になってしまう。 もちろん、全部を許す必要なんてない。本当の傷は、憎しみは、許せないって、謝ったって消えないって、言って良いと思う。 でも、これは小さな傷の話だ。 許さないと、みみっちくなってしまう私の話。 謝罪って、凄く大切なことだ。それ

    • 悩み相談ってどうやってするんだろう

      元々人に自分のことを話すのは苦手だ。 悩みも、好きなことも。趣味の話は趣味の話をする友達と、恋愛の話は恋愛の話をする友達と、仕事の話は仕事の話をする友達と。別に隠しているわけでもないし誰にも本心を見せないの…なんてわけじゃ全くないけれど、なんとなく私はそうやって生きている。 昔から人の話を聞く方が好きだ。話し下手の言い訳かもしれないけれど。だから、「あなたは何かないの?もっと話してよ、教えてよ」という人よりとにかく話を聞いて!ってたくさん話してくれる子が友達に集まるし、そんな

      • 最後が疎遠や別離で終わった人間関係に意味はあるのかなんてたまに考える。終わり良ければ全て良しと同じで、終わってしまった人間関係は、なんだか今までかけた時間さえもぼやけていってしまう。 あんなに好きだったのに、もう顔さえうろ覚えな人。泣くほど焦がれていたのに、SNSでさえ繋がっていない友達。何度も何度も笑い合い幸せを分かち合ったのに、縁を切った親友。 人間関係ってそんなもので、案外新しい出会いや新しい価値観が私の中にあるので、それらが失われたり薄れたりすることで私という存在が壊

        • わたしがわたしになるためのワンピース

           中学生の頃、赤い靴が欲しくて仕方がなかった。絵本に出てくるみたいな、どこまでも歩けそうな、シンプルな赤い靴。別にこれ!といった明確なイメージはなかったけれど、何故だかあの時の私は赤い靴が欲しくて欲しくて、でも確か、見つからなかった。 探した記憶はあるけれど、中学生の私には限界があって、探しても探しても、私の心にぴたりとはまる靴はなくって、結局春色のスニーカーだとか、黒のブーツだとか、シンプルなパンプスだとか、どんな服にも合う、便利だけれどひどく実用じみた、そんなものを買って

          虚空

          好きが分からない。 運転する横顔をぼんやり眺めている時、優しい言葉をかけられた時、ふと笑いあった時、なんだかこの人のこと好きなんじゃないかとなんとなく思う。 けれど唇が無遠慮に重なって、そのまま帰り道を一人で歩けば、多分私はもう彼のことが好きではない。空っぽだった。好きでもないけど、嫌でもない。失くしたくもないけど、欲しくもない。虚無。まさに、虚無。 好きの熱を巡らせる思考回路が多分死んでいる。死にたくなるほどの恋をしたことがある。好きな人を見上げた時のあの狂いたくなるよう

          中学生の時、幼馴染が鬱病になった。 クラスに馴染めなかったらしい。ありふれてほしくないけれど、まあありふれた話だった。外界に過敏になった彼女は私を含めた何もかもを信じられず、それでも彼女の母親は必死になって旧友である私を家に誘い、無言で何度もお茶をした。 初めてそういった病と対峙した私は、変わり果てた友人を見て上手く言い表せない寂しさや痛み、逃げ出したくなるような億劫さを抱えていた。双方に失礼な例えかもしれないが、いわば溌剌と愛を注いでくれた親戚が認知症になった姿を見たときの

          お盆におひるね

          長い休みなんて久しぶりで、溶けるどころかじゅくじゅくと膿んでいきそうな暑さの外から帰って、クーラーをガンガンにつけて昼寝をする。布団も曖昧にただまどろむままに身体を投げ出して、変な時間にとる睡眠は変な夢ばかり見るし、起きた時は頭が冴えない。今は夜?朝?そんなことさえ分からなくなる心のまま、脱水症状みたいに気怠い頭をとりあえず冷水で満たしてみる。 お盆って、不思議だ。人生的にも、年齢的にもまだ私はお別れをしたことがあまりない。人の喪失というのは消えないもので、いつまでも消えな

          お盆におひるね

          巣立ち

          晴れた昼間、予定がなくて部屋で寝転ぶと窓から空がよく見える。変わらないこの景色が好きだ。たまたま開いたインスタで、結婚して海外に住んだ友達が華やかな生活を送っているのをぼんやり眺めてから、また空を見る。 花が多く咲く異国のその地が、飛行機でどれくらいかかるのか私は知らない。 中学の頃からの友達であるその子と、私は3年間一緒に帰っていた。単純な話、最寄りが近かったのだ。何故だか乗り換えてから反対方向に行くクラスメイトが多い中、私と彼女の方向は一緒だったので、クラスというくくり

          巣立ち

          さみしさは月が溶ける様子に似ている

          さみしいってなんだろう。そんなことを、たまに思う。 本を読んだあとのさみしさがすきだ。 活字から顔を上げて、小さく息を吐く。周りを見渡すと誰もいなくて、やけにしんとしているように思えて、まだ戻ってこない頭は、境界がひどく曖昧な世界を揺れているような、そんな心地になる。溺れていたいのに、誰かを探したくなる。そんな気持ち。わたしはそれを、さみしいと呼ぶ。 小さな頃、ふと目がさめると家族が全員起きていた朝。 移動教室の片隅、どうしてだか誰もいない暗がりを見つめる瞬間。友人と別れて歩

          さみしさは月が溶ける様子に似ている

          何もかもだめな日

          今日はだめ。もーーーだめだ。 仕事で馬鹿みたいなミスをした。これが原因かもしれないし、鏡を見ると土日にかけたまつ毛パーマが馬鹿みたいに上を向いていて死にたくなったのが原因なのかもしれない。職場に行くと案の定「マツエク?化粧濃いよ今日」と言われて死にたくなったし。こんな日に限って髪の毛もまとまらないからそれが原因かもしれない。せっかく過ごしやすい気温なのに腰が痛いからか、花粉で鼻がつまりすぎて今日一番触れたものは人の手でもパソコンでもなくてティッシュなんじゃね?って感じだからか

          何もかもだめな日

          さみしいという病気について

          生まれてからずっとさみしい。 人がいつから記憶というものを持つのか分からないし、結局歳をとればとるほど過去は薄れていくし順序がバラバラになるし美化もされるから真相はよく分からないけれど、私がよく「一番昔」だと思う記憶の中の幼い私は(喋っているから幼児期くらいだろうか)、何故かシャワーを浴びながら泣いている。その前に怒られたのか何かそういうテレビでも見たのかは覚えていないが、ただただ心が破けそうに苦しくて、不安でたまらなくて、わたしなんで生まれたの、と何度も何度も繰り返しながら

          さみしいという病気について

          おんなのこ

          16歳。昔とても大好きな女の子が、20歳の誕生日を迎えた時「女の子としての自分は16歳で死んでしまうような気がずっと、ずっとしていて、それをなんとか大丈夫大丈夫って引き伸ばして生きている」と零していた。私はいつまでも少女のように愛らしい彼女のことを大切に思っていたけれど、きっとその胸の中に死にゆく永遠の16歳、女の子として一番柔らかだった時の彼女が眠っていて、その灯火はあんまりにも儚くて、いつ消えるか分からないそれを愛しながら時に憎みながら怯え抱き続けている彼女だからこそ、愛

          おんなのこ

          さよならダージリン

          友達と縁を切った。縁を切った、なんて言い方、なんだか笑ってしまうほど陳腐だけれど。 連絡を取ることをやめて一年が経った。 毎日連絡を取っていた相手だったので、綺麗に疎遠にできず、ぷつりと絶ってしまった。それはまさに長く伸びていたはずの糸をちょきりと切るような行為だった。 初めてのことだ。わたしはずっと、人と縁なんて切ったことのない人間だった。むしろ人と喧嘩したことさえなかった。それが、自慢だった。 けれどそれは、いつだって愛し愛され円満に生きてきたってわけじゃあない。温厚な

          さよならダージリン

          愛されるということ

          可愛いね、可愛いね。 その言葉が容姿の愛らしさを表すだけではなくなっていることは、もう誰だって知ってるだろう。kawaii大国日本だとか、「女って何にでも可愛いって言うよね」とか、そんな話ではない。本気の思いだとか憧れだとか嘲笑だとか無感情だとか色んなものがあるだろうけど、私が思う可愛いは主に「容姿を表したもの」と「愛おしさを表したもの」の二つになる。もちろんその二つの境界線は曖昧で、混ざったり分かれたりしている。 私が今現在宇宙で一番愛おしく思っている自担(いい歳して痛い

          愛されるということ